神無月

10月がおわる。ジタバタしてたような気もするし、何もしていないような気もする。というか2020年の終わりが見えてきている。信じられない。


先日、珈琲屋でパソコンを開いて作業をしていると、斜め後ろの席に親子連れが座った。まだ立ち上がって一歩踏み出すのがやっとくらいの小さい子だった。

あーあ微笑ましいなあ。幼子は、周りの空気をあたたかくするような、不思議な魔法を持っているのだと思う。言葉にならない言葉を発している様子も、母親がすみません、というが周りはとても和んでいる。いい子だねえ、可愛いねえ、との声が自然発生する。いい空間だ。


ゆーくん、と呼ばれたその子は、畳で繋がった席を大冒険している。少し離れては、元の位置に戻され、また離れて、連れ戻され、エンドレスに繰り返している。そのうち、隣に座っていたお姉さんにニコニコしだして、見事、お姉さんはロックオンされていた。「美人なお姉さんが好きなんです、すみません」とお母さん。お姉さんが「おいで」と手を出すと、ゆーくんはとてとてとお姉さんの方へ歩いて行った。3歩目で力尽きて、すとん、と座り込んでも尚ご機嫌で、お姉さんに「えらいねえ」と褒められている。

「今はじめて、3歩歩いたんです...」

少し遅れて、お母さんが静かにそういった。

聞き耳を立てるように、少し気にする程度でみていたが、その声が聞こえた瞬間に思わずそっちをみてしまった。

変わらずニコニコしているゆーくん、え!!と驚くお姉さん、感動で固まるお母さん、鳥肌が止まらない私。

その場にいたみんなが、ゆーくんをみてニコニコしている。えらいねえ、とみんなに褒められるゆーくんはずっとご機嫌だ。


人間が3歩歩くことがこんなにも尊いことだとは、思ってもみなかった。

珈琲屋ではじめて3歩歩いたことは、お母さんにとって一生忘れられない瞬間だろうし、きっとゆーくんが大きくなったらこの話をするんだと思う。もしかすると、私が覚えていないだけで、私の記憶って両親の中には私の何百倍も眠っている、というか刻まれているのかもしれないな、なんてことを思った。いろいろな自分のはじめてを、自分自身は覚えていない、という面白さ。不思議だなあ。


帰りに、改札の前で喧嘩をしている小学生くらいの姉妹がいた。手に持っているものをリュックに仕舞いなさいという姉と、それを頑なに拒否する妹。ドラッグストアで見かけたのは、楽しそうに歩く姉の真似をして後ろをついてまわる弟の幼い兄弟。何がそんなにおかしいのかはわからないけれど楽しそうなふたりがなんだかとても羨ましかった。


大人になる、ってことは、もうあの時間の『当事者』には戻れないってことなのかもしれない。私が3歩歩いたところで褒められる訳はないし、弟とどうでもいい喧嘩をしたり、よくわからない遊びをしたり、というような状況もほとんどない。もちろん、大人だからできることもあるけれど、もうちょっとこどもでいたかったな、なんてことを思う10月のおわり。

こども時代の私への対抗心から、冷めかけのブラックコーヒーを一気飲みしてみたけれど、今日はどうもあの甘すぎるコーヒー牛乳の方が飲みたいかもしれない。おでんにからしをつけて食べたいな、お湯割りとかいいかもしれないな。大人の外枠を当てられた、大人になりたくない私が、一生懸命背伸びをしながら自分を大きく見せようとしているようでなんだかおかしい。


モラトリアムな私を置き去りにはしてくれない。今年もちゃんと、冬がやってくる。

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