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H・G・ウェルズ『むらさき色のキノコ』日本語訳

翻訳者の序文

この話は、簡単に言ってしまえば「キノコを食べてラリったら、人生が上手くいった」という、筋自体はどうしようもない短編で、ウェルズみたいな「SFの父」がこんな短編を書くんだ……と思って、非常に気に入ったのだった。いい機会だから全訳してみよう、どうやら誰も無償の翻訳していないっぽいし。ということでこの日本語訳である。ただまあ、やっぱり翻訳していても、笑いながら「やっぱりどうしようもないな」と思いを新たにしたのであった。楽しんでくれたら嬉しい。

翻訳元は『30 Strange Stories by H. G. Wells』を利用し、どうしても構文の意味がわからないところについては『モロー博士の島 他九篇 (岩波文庫) 』を参考にした。

この文章は、ライセンスは『クリエティブ・コモンズ 3.0』の「非営利 - 継承」において自由に使うことができる。この文章で直接お金を取らず、かつ翻訳者の名前を書く分において、配布や改変を自由に行って良い。

本文


 クームズ氏は人生に病んでいた。彼自身の存在だけではなく、他のあらゆる存在に悩まされた挙句、不幸の源になっていた家を離れ、街を避けるためにガスワーク・レーンの横を通り、運河を渡って、スターリングのコテージに渡り、人々の喧騒からも視界からも外れた湿った松林の中で、一人になっていた。
 「もう耐えられない!」
 彼は自分に対して、珍しく冒涜的に「もう耐えられない」と繰り返し叫ぶのであった。
 
 彼は黒い瞳を持ち、とてもあざやかで黒々とした髭を持ったチビ男だった。彼は、とても硬くピンと立った、わずかばかりにすり減った襟を着けており、そのせいか、二重あごがあるかのような印象を与え、そして彼のオーバーコート(これもボロボロ)もアストラカンがトリミングされていた。彼のグローブはこぶしの上に、黒い縞が描かれたライトブラウンで、指の先が割れていた。彼の妻が言うところの、いとしくも薄れゆく日々の思い出――それは彼が彼女と結婚する前のことだ――では、その面影は軍人なのだ。だが、今となっては、彼女が彼を呼ぶことといえば――それは、夫と妻の間で言うこととしては恐ろしいことにも思えるのだが、妻は彼のことを「小さなうじむし」と呼んだ。とはいえ、妻が彼を呼ぶのはそのような言葉だけではなかったのだが。
 
 その騒ぎは、この場合もやはり、獣のようなジェニーに関することであった。ジェニーは、妻の友達であって、そして夫のクームズ氏の招待もないくせに、彼女は祝福された日曜日ごとに夕食にやってきて、午後の夜を騒動に変えてしまうのだ。彼女はずんぐりとして騒がしい女性で、派手な色を好み、そしてバカみたいに大きく笑う。そして今週の日曜日に、彼女は仲間――それは彼女と同じような野郎だったが――を引きつれることで、前回よりもひどい占拠を行った。クームス氏は、デンプン糊をたっぷりと付けた清潔なえりと仕事着のコートをつけて、クソみたいな怒りを抱いて自分の席についていたが、彼女とその来客はアホで無駄にゲラゲラ笑っていた。まあ……彼は耐えていた。夕食のあと(それは「いつものように」遅れたわけだが)、ジェニーはなにをするかと思ったら、ピアノのほうへ行き、バンジョーの曲を引き始めた。まだ世界が平日であるかのようにだ!血と肉が沸き立つのを押えることはできなかった。その曲は次のドアまで聞こえ、そして路上まで響き渡り、周囲の不評を買うだろう。クーヌズ氏は話さねばならなかった。
 
 彼は自分自身が真っ青になっている、と実感した。自分にやってきた、痺れみたいなものが、呼吸を乱し始めた。彼は窓の近くの椅子に座っている――新客がアームチェアに陣取っているのだ。クームズ氏は頭を向けて言った。「にちようびだぞ!」彼は警告する様子で、カラーから飛び出すように言った。「に・ち・よ・う・びだぞ!」それは、なんとまあ「ムカつく」とか言われそうなトーンであった。
 ジェニーは続けてピアノを弾いていたが、妻のほうはというと、ピアノに積み上がっている楽譜を眺めていたので、彼をぎょろりと見て「何か問題でも?」と言う。「人が楽しめないとでも?」
「道理をわきまえた楽しみなら、心配などしない!」チビなクームズ氏は言う。「だがな、この家で平日にやるような曲を、日曜日にやってもらいたくはないんだよ!」
「私の演奏の何が悪いっていうの?」ジェニーは演奏をやめて、どったんばったんピアノの椅子の周りで飛び跳ねながら言う、クームズ氏はこりゃひと騒動になるなと思いながらも、世界中の神経質で内気な人に共通して見られる、行き過ぎた空元気をむき出しにするのである。「静かに座れ!その椅子は体重のある人用には出来ていないんだぞ!」
「体重のことは言わないの!」ジェニーはいらいらしながら述べた。「で、演奏の最中に私の後ろでグダグダ喋ってるのは何かしら?」
「なるほどね、クームズさん。日曜日には少しも音楽を楽しまないと、そういうわけですな?」新客はそのように口を挟む。彼はアームチェアにもたれかかり、タバコの煙をフーッと吹きながら、哀れみの笑みを浮かべていた。そして、妻と同じタイミングで「ジェニー、気にしないでいいのよ、続けて」みたいなことを言ったのである。
「私だって楽しむよ!」新客のほうを向いて、クームズ氏は言う。
「じゃあ私だって楽しんでもいいじゃないんですかね」新客は、明らかにタバコと論議の萌芽を楽しみながら言う。ついでに言うと、彼はもやしのような若い男で、淡褐色のスタイリッシュな奴で、銀とパールのピンがついたネクタイを占めていた。
「だからな」クームズ氏は切り出した。「これは私にはふさわしくないんだよ。私はビジネスマンで、人間関係というものを知らないといけない。で、つつしみのある楽しみなら」
「それはあなたの人間関係じゃないですか!」クームズ夫人は小バカにしたような言い方をする。「いっつもそうなんですからね。あれがどうだ、これがどうだ」
「あのな、私の人間関係を学ぶってことがなけりゃ」クームズ氏は言う「お前はなんのために結婚したというんだ」
「びっくりした」ジェニーは振り向いて言う。
「あなたみたいな男、みたことがない!」クームズ夫人は言う。
「結婚してから、何もかも変わってしまったわ。以前から」
 そしたら、ジェニーはターン、ターン、ターンと再びやりはじめたのである。
「見てよ!」ついに苛立ちにまで追いやられたクームズ夫人は、立ち上がり、声を荒げて言った。フロックコートは、クームズ氏の憤慨と共に昇天してしまった。
「暴力はよくないな、今は」淡褐色のひょろなが若人は座り直しながら言う。
「お前は何なんだ?」グームス氏は乱暴に言い張った。
 すると、彼らは一気に話し始めた。新客のほうは、ジェニーの「婚約者」なので、彼女を守ると言うし、クームズ氏も他のところでやるなら大歓迎だが、ここは私の家の中なのだと主張するし、クームズ夫人といえば自分の客に無礼をしたことを当然恥じるべきで(前に述べたように)本当に「小さなうじむし」のようだと罵った。しまいにはクームズ氏はここから出ていけとは言ったのだが、彼らがそうしないので、自分が出ていくことになったのである。顔は燃え上がらせ、眼には興奮のあまり涙を浮かべてながら、彼は通路に向かい、そして上着を着るのに奮闘し――そのフロックコートのそでが、ぺちゃんこになっていたからだし――シルクハットにブラシをかけていると、ジェニーはピアノを再び弾き始めると、家の外にも聞こえるような、無礼かつ屈辱的な態度でかき鳴らし始めたのだ。ターン、ターン、ターン。バタンと店のドアを、家全体を揺らすような勢いで彼はドアを閉めた。それは手短に、彼自身のそのときの気分を表していた。あなたも段々と、彼の「存在に対するいや気」というものをわかりはじめている頃だろう。
 彼はモミの木の下のぬかるんだ道を一人で歩きながら――それは十月も終わる頃で、どぶやモミのトゲの山からキノコが生えていた――憂鬱な結婚生活について思い返してみた。十分に平凡でそっけない結婚生活だった。だが今となっては、妻は、仕事部屋での悩ましく面倒で不安定な生活から逃げ出すために、そういった好奇心から自分と結婚したのだ。そう認めざるを得なかった。というのも、彼女みたいな階級の大半に見られることだが、ビジネスを共同で廻していくといくときの義務を理解するには、妻はどうしようもなくバカであった。彼女は、楽しみ、騒ぎ、そして社交を追い求める貪欲さそのものであり、目の前にぶら下がっている貧しさを我慢させようとするものを見つけては失望していた。彼女は夫の悩みに苛立っていたし、妻のそういった行為をコントロールしようとするちょっとした試みも、結局は彼女の愚痴の種を増やすだけであった。彼はなぜナイスになれないのかしら――普段のように?と。クームズ氏は、「身の丈に事が足りる」ように、克己と競争についてささやかな野心を持ちせ、自助の精神を育てている穏やかな小男である。とはいえ、ジェニーは女版メフィストフェレスとしてやってきては「野郎ども」の年代誌を捲し立て、そして妻と劇場やら「何やら」に連れて行きたがるのである。それに加えて、妻の叔母、いとこ(男も女も)は、資金を食い潰そうとするわ、彼の人格を侮辱するわ、ビジネスの準備をひっくり返すわ、良い顧客を悩ますわで、総じて彼の人生を荒らしていく。クームズ氏が、怒りや憤り、そして恐怖のような何かの中で、家から逃げ出したり、あるいは怒り狂いながら意見表明したり、ここにはいられない、なんて大声を出したりして、最後の抵抗の一線にぶくぶくと自らのエネルギーを使うのは、これがはじめてなのではなかった。しかし、この際立った日曜日の午後みたいな、クソみたいな生活はいままでになかった。日曜日の夕食は、彼の絶望を表していた――同様に、灰色な空も。結婚生活の帰結が、ビジネスマンとして耐えられないフラストレーションになっていることをうすうす感じ始めていた。ゆくゆくは破産し、そしてその後――手遅れになったときに、彼女はやっと後悔することになるだろう。そして、前もって暗示した通り、森の通り道の右側や左側に、邪悪な臭いを放つ太くて様々なキノコが、運命のいたずらのせいで生えていた。
 小さな商店主というものは、自分の妻が不義理なパートナーであることが判明すれば、このような憂鬱な立場になるものだ。彼の資金は全部ビジネスに使ってしまったわけで、彼女と別れるということは、地球上のどこか見知らぬ場所で、無職になるということを意味している。離婚するための贅沢なコストは、彼の支払い能力を完全に超えているわけだ。善きにつけ悪きにつけ、古き良き結婚の伝統というのが彼を縛り続け、事は悲劇の絶頂に達するのである。レンガ積み職人は妻を蹴り殺し、公爵は妻をだまくらかす。今日において、小さな店の店員や店主は、だいたいの場合、妻の喉をかっ切ることが殆どだ。このような境遇下におかれては――あなたもできるだけ寛大に受けとめて欲しいのだが――クームズ氏の精神が、希望を見失ったばっかりに、栄誉ある終わりに向かって走り出し、かみそり、ピストル、パン用ナイフ、そして検視官に対して自分の敵の名を告発し、許しを結実な態度で願うための手紙のことについて考えたりするのは、注意しなければいけないことなのだ。そして暫くしたあと、その獰猛さをもって憂鬱さを打ち砕いた。彼は、上着の下に、最初でたった一つの、ボタンを留めたフロックコートを羽織って結婚したことを考えていた。彼は結婚式場までの長い道のり、そして資金を得るために長い間貧乏をして節約したこと、そして輝かしき希望に満ちた結婚生活のことを思い返していた。だが、結局はこうなってしまうのだ!慈悲深い審判官というのは、この世界にはいないのか!というわけで、その主題はまた死へと逆戻りしてしまうのであった。渡った運河のことを考え、もう植物が頭を出すようにまっすぐと立てるかどうか、疑問に思っていた。そして、中ほどまでさしかかり、心の中で溺死に思い巡らしていたころ、むらさき色のキノコが彼の目を惹きつけたのだった。彼はそれを無意識にながめ、立ち止まって座り込み、その小さな皮のような、むらさき色の物体を拾い上げようとした。そして、異様で毒々しいむらさき色を持つ、そのキノコの頭を、彼は見た。ねばねばでぴかぴか、そして酸っぱい臭いが放たれている。それは毒であるという考えが頭の中をよぎり、あと一インチで手に届くところまで手を伸ばして躊躇った。が、彼はそれを拾い上げると、キノコを手にしたまま立ち上がった。
 その臭いというのは、確かに強烈で――酸っぱい臭いだったが、決していやな臭いではなかった。キノコの傘を引きちぎると、新鮮なキノコの頭は、十秒たつと、まるで魔法のように黄色がかった緑へと変化した。それは魅惑的な変化であった。その様子を見るため、今度は二つのかけらに引きちぎった。このキノコはとても素晴らしいが、このキノコは致命的な毒を持っていると、父から聞かされているのだ。致命的な毒!
 無茶な結論を出すのに、あまり時間はかからなかった。今ここでやらなきゃいつやるんだ――クームズ氏は考えた。彼は小さな、本当に小さな――パンくずのような――かけらを味見した。つい吐き出したくなるほど舌や鼻を刺激してきたが、だんだんと、単に辛くてほどよい感じになってきた。まるで、ホースディッシュが添えられたドイツ風マスタードのような――そんな、キノコなのだ。興奮してぐっと飲み込んだ。好みなのかどうなのか。既に精神は注意散漫になっていた。他のかけらも試してみた。悪くない――いいんじゃないか。彼は一時の興味にかられていたので、自分の悩みのたねを忘れていた。死と踊っていた。かぶりつくと、一口で終わらせるようにした。指先や舌に、興味深いピリピリする感じが伝わってくる。脈が早くなりじめた。耳の中で聞こえてくる風車の水流。「もっと試してみるか」クームズ氏はそう言ってあたりを見渡し、自分の足元がフラついているのに気がついた。十二ヤードほど離れたところに、むらさき色の小さな山を見つけ、もがきながら向かっていった。「こいつはいいぞ」クームズ氏は言った。「も、もぉーっとだ」前のめりになって崩れ落ち、その山へと手を伸ばしたが、それ以上キノコを食べることはなかった。気を失ったのだ。
 寝返りを打ち、表情に満ちた驚きの見た目と共に起き上がる。丁寧にブラシをかけたシルクハットが茂みのほうへと転がっていた。顔を手でおさえこむ。何かが起きたのだが、それが何なのかを明瞭に判断できずじまいであった。なんであれ、彼はもうダメではなかった――明るくて、ほららがな気持ちを感じていたのだ。喉は燃え上がり、心が当然の陽気さに満たされて、笑っていた。なんでダメだったんだ。まったくわからなかった。もはや何であれ、もうダメではなかった。ふらふらと立ちながら、世界に対する賛同の笑みで周囲を見渡した。思い出しはじめた。頭の中では蒸気式の回転木馬がはじまっていたので、明確に思い出せるというわけではなかった。そして、家の中で共感できない振る舞いだったことを理解した。だって、皆はハッピーになりたかったんだから。全く正しい。人生はポジティブな男でいかなきゃ。家に戻って仲直りして、皆を安心させてやろう。もちろん、この楽しいキノコを彼らに味わってもらうために、持ち帰らない理由もないよな?帽子いっぱいに。白い斑点のあるキノコや、黄色のキノコも。彼は、陽気な騒ぎを、ダメな犬のように吠えたてたものだが、その埋め合わせをするつもりであった。コートのそでを裏返しに、チョッキにはハリエ二シダを入れてみよう。そして楽しい午後のために、家へ向かった――歌いながら。
 
 クームズ氏が出発したころ、ジェニーは演奏の手を留めて、ピアノの椅子を反対の向きにしていた。「なんでもないことにあんな騒ぐなんてね!」とジェニーは言った。
「みたでしょ、クレランスさん、どれだけ我慢していることか」クームズ夫人はそう言った。
「彼は少しいそぎすぎなんだよな」クレランス氏は裁判官のように言った。
「彼は私たちの気持ちなんてこれっぽちも考えちゃいないのよ」とクームズ夫人は言った。「これがどれだけ不満なことか。夫はね、自分の古びた店のことしか考えないのよ。ささやかな仲間を持ち、自分の身なりを整えるために買い物したり、家計を持ち出してちょっとしたものを買おうとすると、反発するの。「節約!」とか、「生きるための努力だ!」とか、何やら言って。彼はね、眠れない夜に横になりながら、私からどうやって一シリング搾り取るか考えているのよ。彼は一度ドーセット産のバターを食べさせようとしたこともあるの。一度でも彼に主導権を渡せば――ああ!」
「もちろんね」とジェニーは言う。
「もし、男性が女性の価値を認めているのならば」アームチェアに寄りかかりながら、クレランス氏。「男性は女性に対して身を捧げるようにかまえておくべきなんだよ。自分からすると」ジェニーを見やりながら、クレランス氏はこう述べる。「私は自分のやり方で事ができる立場になるまで、結婚のことを考えるべきではないと考えている。それは自分勝手なことなのだから。男は自分で獰猛に闘っていくべきで、彼女を引きずりこむべきではない――」
「そのことには全て同意したわけじゃないけど」とジェニーは言う。「男性が女性の手助けがいらないようには見えないもの。無碍に女性を扱わなければね。でしょ?それはとても意味のある――」
「信じられないでしょうけど」クームズ夫人は言う。「私は自分のことをバカだと思うの。もっといろいろと知っていればなって。私の父がいなかったら、結婚式に馬車一つ来なかったでしょうし」
「へえ!そんなことをしたのかい?」クレランス氏はびっくり仰天して言った。
「彼は貯蓄とか他のガラクタとかにお金が必要だって言ったのよ。私が目立って元気よくやらないと、一週間もの間、女性のお手伝いさんをよこさないの。それに彼はお金のことでやたら騒ぐの――紙の束を持って、泣き顔のような酷い顔でわたしのところに近づいてきて「私達がこの年を切り抜けるためにも」彼は言うの「このビジネスをやらなきゃいけないんだ」ってね。そこで言うのよ。「私達がこの年を切り抜けたとしても、どうせまた次の年を切り抜るしかないんでしょう。知ってるわよ」って。「あなたはわたしを縛りあげ、醜くやせ細るまで、絞ることは出来ないの。奴隷と結婚したわけではないでしょ?尊重すべき女性ではなくてね」」
 これがクームズ夫人なのだ。私たちはこれ以上、無教育な会話を追うのをやめることにしよう。クームズ夫人は今のような状況であることを満足し、彼らもまた火のまわりで快適な時間を過ごしていた。クームズ夫人はお茶を取りに行き、ジェニーはカタカタとお茶の準備ができるまで、クレランスの椅子に手を置いて、艶かしく座っていた。「あら、何か聞こえたかしら」彼女は入ってくるや否や、おどけた調子でたずねた。キスに関してからかったのだ。彼らが小さなテーブルに座った頃、クームズ氏が帰ってきたような音が聞こえてきた。
 それは、店の入口のドアノブに手をかけているような感じだった。
「私の主人ね」クームズ夫人は言った。「ライオンのように出ていったと思ったら、羊のように戻ってくるのよ」
 店の中で何か倒れた。どうも椅子のような音である。通路から何やら複雑なステップの音がする。ドアが開き、クームズ氏が現れる。しかし、その様子が全く変わっていた。シミ一つなかったカラーは、彼の喉から垂れている、だらしない水滴がついていて、丁寧にブラシがかけられたシルクハットは押しつぶされたキノコが詰められていた。コートはくしゃくしゃで、チョッキは黄色く花咲いたハリエニシダの房で飾られていた。しかし、この日曜における少々奇抜なファッションも、彼の表情の変わりようには曇ってしまう。全体的に青白くなっており、まなこは不自然なほど大きく輝いており、青紫の唇は陰気なニヤケ顔でつりあがっていた。「ウィース」彼は踊るのをやめてドアを開いた。「つ、つつしみのある、楽しいダンス」彼はファンタスティックなステップで中に入ると、お辞儀をした。
「ジム!」クームズ夫人は金切り声を出し、クレランス氏は驚きのあまり、あごをぶらんとぶらさげてへたばってしまった。「お茶」クームズ氏は言った。「お茶は良い……キノコも……な、兄弟」
「彼は呑んでいるのよ」弱々しい声でジェニーが言う。とはいえ、酔っぱらった男で、こんなに青白く、目が大きくなって光っている人など見たことがなかった。クームズ氏はクレランス氏に緋色のキノコを差し出した。「いいものだ」そして言う「なー」その時は、彼は温厚だったが、皆の驚いた顔が並ぶ光景を見て、すぐさま狂気に取り憑かれ、威圧的に激怒するのであった。出ていくさいの仲違いを突然思い出したかのようにも見えた。いままでクームズ夫人も聞いたことがないような大きな声で、彼は叫び始めた。「私の家、私が主人、あげたものは食べるんだ!」力をこめてもおらず、暴れる様子でもなく、誰かにささやきかけるような感じで、手に一杯あるキノコを差し出しながら言うのだ。
 クレランス氏が臆病者であることがバレはじめた。クームズ氏のひとみに宿る狂暴さと向き合うことが出来なかったのだ。彼は立ち上がり、自分の椅子を後ろに押し込み、そして向き直して、座り込んだ。そこへクームズ氏が襲いかかる。ジェニーは好機と見て、幽霊のような声をあげて、ドアへと向かった。
 クームズ夫人は彼女についていった。クレランス氏も逃げようとする。ティー・テーブルをぶっ倒して通り抜けると同時に、クームズ氏は彼のカラーを掴み、キノコを押し込もうとする。クレランス氏はカラーを外して、飛んできた赤いキノコを顔にまだら状に付着させたまま、通路へと飛び出した。「塞いで!」クームズ氏は叫びながらドアを閉めたが、そのサポートは不毛に終わった。というのも、ジェニーが店のドアを開くのを見たからで、そこから消えていって、カギを閉めた。一方で、クレランス氏台所に急いで向かっていた。クームズ氏がのろのろとやってきたとき、クームズ夫人は内側のカギを見つけて、二階へと逃げ出し、予備のベッドルームにカギをかけた。
 Joie de vivre(人生の喜び、精神の贅沢)へと生まれ変わった男は、通路に出現した。彼の姿は散り散りとなっていたが、帽子にいっぱい詰まったあの素晴らしいキノコの山を未だに持っていた。彼は三つの分かれ道にとまどったが、台所に向かうことに決めた。
 キーを持ちながら試行錯誤していたクレランス氏は、この主人を捕えることを諦めて、食器洗い場に逃げようとしたのだが、庭からドアを開ける前に囚われてしまった。クレランス氏は、この出来事については並外れて寡黙になった。クームズ氏から一時のいらだちが再び鳴りを潜め、愛想の良い遊び友達になった。そこには、ナイフや肉切包丁があった。クレランス氏は悲劇を避けるため、ユーモアを持って寛大に接した。クームズ氏がクレランス氏と心ゆくまで遊んだことは論を待たない。彼らが数年前からの旧知の仲であっても、これほど親密で愉快になることはないだろう。彼はクレランス氏にキノコを押し付け、友好的な取っ組み合いのあと、客人の顔をメチャクチャにしたことに対する良心の呵責に、クームズ氏は打ちのめされてしまった。その結果、クレランス氏をシンクのほうへ引っ張っていき、黒いブラシで彼の顔をゴシゴシと洗い始めたのた――クレランス氏はまだこの狂気をユーモアでなんとかしようと全力を注いでいた――クレランス氏は、振りまわされ、こまぎれにされ、元気が抜けきってしまい、コートを着るのを手伝ってもらうと、裏口から送り出された。表はジェニーがかんぬきを刺していたからだ。クームズ氏はジェニーのことを考えた。ジェニーは店のドアを開けることができなかったものの、クームズ氏のキーにたいしてはかんぬきで対応することができたので、残りの晩はその店に残ることにしたのである。
 クームズ氏はお祭り気分を残したまま、台所へと戻っていった。厳格である「善良な結社」に所属しているのにもかかわらず、クームズ夫人が健康のお酒と強弁していたビールを、最低でも五本ほど開けては飲んだ(あるいは、その最初で一枚のフロックコートの前面にこぼした)のである。妻の結婚祝いであるディナープレートを幾つか拝借し、爽快感溢れる音を出して、ボトルの首をぶった切ったのである。素晴らしい飲みっぷりに、そうそう早いころから、楽しい民謡を歌い始めた。運悪く、ボトルの一つで手を切ってしまった――この物語で唯一の流血シーンである――そのせいなのか、それとも酒好きのブランドであった、クームズ夫人のビールのせいで引き起こされた、未体験からくる心理状態が引き起こす身体の痙攣のせいなのか、キノコの毒が巻き起こす邪悪さは幾分か静まった。私たちも、日曜日の午後に起きた事の顛末を引きずるのはやめにしよう。彼は石炭倉庫で事を終え、深い、癒やしの眠りへとついたのだった。

 五年の月日が過ぎた。十月、日曜の午後。クームズ氏は運河を通る松林を歩いていた。物語のはじまりのと同じく、彼は黒いひとみに、黒い口ひげをつけていた。しかし、彼の二重あごは、今やみちがえるほどなくなっていた。オーバーコートも新しくなっており、ベルベットの襟、角が折り曲がったスタイリッシュなカラー。粗末なでん粉のりもなし。オリジナルな万能の一品となっていた。帽子にも光沢がある。彼のグローブも新品同様――ひとつの指のところが裂けてはいたが、丁寧に補修されている――ふと彼を眺めた人たちは、確固たる公正な振る舞いで、自信の表れのように、背筋を伸ばしていることに気がつくだろう。今や彼は三人の店員を持つ店主なのだ。晴れ渡った強い日差しの中で、傍らにはオーストリアから帰った、クームズ氏のパロディーみたいな弟であるトムがいた。彼らは議論を要約し、クームズ氏は取引証の作成を行った。
「ささやかでナイスなビジネスだね、ジム」弟のトム入った。「今日の激しい競争の中でこんなのを築き上げるなんてラッキーじゃないか。君のやるようなことを手助けしてくれる妻がいることも、ラッキーだね」
「私たちの間柄というのはね」グームス氏は言った。「いつもこうじゃないし、このようでもないんだ。まずはじめに、女房は不真面目だったんだ。女性というのはおかしな生き物だよ」
「確かになあ」
「そうさ。君には考えにくいことかもしれないが、女房はわかりやすい浪費家だったのさ。そして私をピシャリと跳ね除けるんだ。私は少し気軽に愛しすぎたんだ。彼女は目に見える全ての祝福されたものが自分のために動いてくれると考えたんだ。うちの家は、彼女の関係者やら、仕事の女性やら、男友達やらで一杯で、隊商宿になっちまったのさ。滑稽な歌を日曜日にしては、取引を吹き飛ばしてしまう。しかも、男どもには色目を使う!トム、いうなれば、まるで自分の家じゃないようなんだ」
「そう風には見えないんだけどなあ」
「そうだったんだよ。私は彼女について考えに考えた。私は言ってやったんだ。「私は公爵じゃないんだ。だから妻を愛玩動物のようには扱えない。私は手助けする仲間と結婚したんだ」さらに付け加えて「君にも手伝ってもらって、ビジネスの難しさに立ち向かいたいんだ」彼女はそんなこと聞いちゃいない。「そうねぇ」私は言うんだ。「私を怒らせないほうがいいぞ。そしたら大変なことになる」これでも、彼女は何の危機感も持たずに、何も聞かないんだ」
「それで?」
「これが女のやり方なんだよ。彼女はそんなことすれば怒り出すなんて考えないのさ。彼女のようなたぐいの女という奴は、男にでも少し脅されない限り、敬意なんて払いやしないのさ。そこでひと騒動起こしてやったのさ。いたのは、普段彼女と一緒に働いている女のジェニーと、その男友達かな。私たちはすこしもめて、私がここに飛び出してきた。ちょうど今日みたいな日でね。で、いろいろ考えたのさ。そのあと家に戻って、打って出てやったんだ」
「なにをしたんだい?」
「伝えられるのは、怒り狂ったってことかな。とはいえ、家内はひっ叩きたくなかったから、男の方をとっちめたのさ。私が何をできるか、よく見せるためね。大男だったよ。で、私は彼を掴まえると、ぶっ叩いてやったんだ。彼女は酷く怯えていてね、そのまま駆け出して、予備の部屋に逃げこんだのさ」
「ほう?」
「これで全てさ。次の朝、彼女へ言ってやったんだ。「わかっただろ?怒ったらどうなるかね!」もうこれ以上いう必要はなかったよ」
「そのあとは幸せになれたのかい?」
「言った通り。女性たちには毅然とした態度を取るしかないんだよ。あの晩がなかったとすると、私は道をずるずると歩き、妻は私にぐちぐち不満をたれ、妻の家族は彼女に貧しい思いをさせているってぶつぶつ非難するんだ――そういうやり口なんだよ。しかし、今は大丈夫だ。君が言ったように、今やまともでおだやかなビジネスだ」
 彼らは静かに感慨深く歩いていた。
「女性って、おもしろい生き物だね」弟のトムは言った。
「ちゃんと手綱を握らないとな」とクームズ氏。
「しかしなんでこんなにキノコがたくさんあるんだろうね!」弟のトムはたった今気がついた。「こいつらが世界の役に立っているようには思わないんだけど」
 クームズ氏は見て「なんか賢明な理由でもあってここに迎えられたのだろうな」と言った。
 このバカみたいな小さな男を怒り狂わせたことで、決定的な行動を取らせ、人生を劇的に変化させた、むらさき色のキノコへの感謝はこれくらいのものだった。