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私を置いて進む世界に、合流

なんだか時が止まっているように過ごしていた、ここ1年ほど。
会社を辞めて、別居して、また同居して。その過程で、仕事や家事すらもほとんど放棄してしまうほど、怠惰になっていった。

すごく傷ついたとか、大変だったとかじゃない。心の傷ができて動けないって話じゃない。ただ、「自分のこと、もう、どうでもいいや」ってなんとなく諦めてしまった。

仕事や家のことだけではなくて、日常の、毎日化粧水をつけるとか髪を洗うとか、定期的に美容室に行くとか、季節に合わせて服を買うだとか、そういったことも事もおそろかになっている。

伸びた前髪はそのままに。毎月楽しみにしていた美容室でのカラーやヘッドスパも、お金も時間もかかるなって思って放棄した。そうしたら、放置した髪の毛が恥ずかしくて、予約するのに勇気が要るようになってしまった。

普段はなんとなく「自分、やばいなぁ」と思う程度だけれど、誰かと出かけたときやお茶をするときに、とても恥ずかしい。だし、相手にも申し訳ない。

今年の誕生日は、ずっと再来したかった横浜のホテルのレストランで祝ってもらった。それなのに、心から楽しめなかった。自分があまりにも見窄らしくて。
とても嬉しかったのに。やっと連れていってもらったのに。スタッフがカメラで撮ってくれた写真は、見返すことができなくて、チェストの奥に封印されている。

外見が適当になっていくのと比例して、内面もひどく捻くれていった。むしろ内面が捻くれたから、外見に表れていったのかも。

自己啓発やご自愛ノウハウとは距離を置いて、共感と慰めを得られるような、仄暗い文章やコンテンツを好んだ。

…と、ここまでいかに自分が怠惰で、見窄らしい外見なのかを綴ったけれど、そろそろこの生活を終わらせないと、と思い始めている。

この1年、よく休んだし、仕事することもサボったし、家のことは夫に任せっきりだった。
件の誕生日を経て、私は静かに、自分自身の舵を握り直すことにした。あと現実問題として、経済状態も酷い。30代のそれじゃない。

世界に置いてけぼりにされているような1年だったし、それは今も感じている。何でもかんでもスピードが早すぎるよ、なんてゴチながら。高速道路で合流するみたいに、私もタイミングを測って、スピードを合わせていかなきゃいけない。(余談だけど運転が好きです)

私はただの私で、誰も見ていない。だからこそ、私しか私を大事にすることはできない。
そんな、100万回くらい聞いた言葉を唱えてみる。「キレイゴト、うるさ」と反抗する気持ちも、小さくない欠片が残っているけれど、せっかくやる気出しそうだから、今は見ないふりしておくよ。

大きく始めるのは得意じゃない。できることから、小さな一歩から。まずは、ドリップコーヒーを淹れて、仕事に取り掛かろう。

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