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コーダ あいのうた



映画のネタバレを含みます。
未鑑賞の方はお気をつけください。




どうも私は人に映画や舞台の要旨を伝えるのが苦手なようで、
話終わった後に、相手の反応を見て、まったく伝わってなさそうで毎回落ち込む。

適切なタイミングで、適切な方法で、適切な表現で、誰かに想いを伝えるのって本当に難しい。

どうしたらこの想いが届くのか?
そもそも、私は今、目の前にいるあなたに本気で伝えようと、一生懸命に相手のことを想えているのか?

仲の良い友人、家族、物理的な距離が近い人、長い時間を一緒に過ごす人ほど本音で話すのが難しかったりする。少なくとも私はそう感じる。相手を「知っている」という思い込みが存在するからだと私は分析する。

主人公のルビーは、両親と兄の4人家族で、自分以外の家族は全員耳が聞こえない。
よって、ルビーは、物心がついた頃から当たり前に、家族が生活するのに必要な通訳をする。
どこにいくのも家族と一緒。
家族はルビーがいないと生活が出来ないし、ルビーも常に「聾唖家族の子ども」として社会に位置づけられ、そのように扱われ、行動してきた。

高校でもまた、「聾唖家族の子ども」として揶揄われることが多く、浮いていた。

ルビーには、これまで誰にも聞かせたことはなかったが、「歌うのが好き」という一面があった。

合唱のクラスを担当するV先生との出会いをきっかけに、音楽大学に進学したいという夢を具体的に持つようになるが、耳の聞こえない両親は、ルビーの歌を聞いたこともなければ、理解が出来ない。

前述した通り、家族、特に両親は、ルビーがいないと生活が出来ないと思っている。
ルビーがいなければ、病院で症状を伝えたり、レストランで注文したり出来ないし、ご近所付き合いさえ出来ない。というより、しようとしていなかったの方が正しい。

映画の中で、ルビーの家族がそれぞれ一人で健聴者の中に立たされた時、周りが何の話で盛り上がっているのか理解出来ず、困惑している場面が何度か出てくる。
しかし誰も彼らにコミュニケーションを取ろうとする人はいないし、彼らもまた自ら輪の中に加わろうともしない。

「コーダ あいのうた」の監督、シアン・ヘダーは、聾唖者、聾唖の両親を持つ子ども達への取材を徹底的に行い、彼らの世界に自らも没頭し、この作品を作り上げたらしい。

ルビーの父親を演じたトロイ・コッツァー(彼自信も聴覚障害を持つ)もパンフレットの中で、「もしこれから手話を使って話す人を見かけたら、もう他人事だと思うないでほしい」と話していた。

彼らに対する私たちの理解の乏しさが、彼らを孤立させていたとしたら、この映画をきっかけに、聾唖者の方との関わり合いについて、きちんと考えたいと思った。


なんかここまで、聾唖者がどうとか、障害があるとかないとか、それっぽいことをたくさん書いたが、私がこの映画で関心を寄せたのは、そういう部分だけじゃない。

確かに、ルビーの成長物語であるこの映画に、「耳の聞こえない家族を持つ子どもである」という要素を外して語ることは出来ないと思うのだけれど。


ルビーの家族は、毎晩一緒に食卓を囲むし、家族団欒の時間をよく持つ、「仲の良い家族」だと思う。
「合唱を始めた」と打ち明けたルビーに対し、母親が「反抗期なのね。私がもし盲目の両親を持っていたら絵を始めていたわ」と返すシーンがある。

私はこの母親の返答に胸が痛くなったし、どうしてこんなにも献身的に家族を支えている娘に甘えっきりで、本心を知ろうとしないのか?少しだけイライラした。

核心的なこと、ルビーが自分の分かり得ない世界に行ってしまうこと、「ママには分かるわけない!」って言われて傷つくのが嫌だったのかな。

そういえば、ルビー、「あなたたちには分からない」って耳が聞こえないことで家族に心を閉ざすことをしなかったな。えらいな。

親子にも適切な心の距離感があると思う。
血のつながりがあるからといって、いつも一緒にいる必要はないし、全てを共有する必要はないんだと思う。

ルビーが自分の夢と本気で向き合いはじめたことをきっかけに、親離れ・子離れが出来てよかったと思う。

離れているからこそ強く思い合える関係もあると、そう思いたい。


ルビーが、自分の心情を外に出す時、発話ではなく手話で気持ちを表現する描写がある。
このシーン、字幕がついていない。
だけどルビーの気持ちが伝わってくる、とても心が揺すぶられるシーンだった。
手話といっても、文字の翻訳が存在しない、本当にルビーの心の中の気持ちが形になった表現だったのだなと思った。

冒頭の私自身の話に戻るのだけれど、人に伝えるのって本当に難しい。
ここまで頑張って映画の感想を文字に起こしても、読んでくださってる方に上手く伝わっているのだろうか?という不安は尽きない。

性別、国籍、年齢、宗教、身体的特徴、様々な違いを持つ人々が様々な人生を生きているこの広い世界で、
遠く離れている誰かに気持ちを届けたいと思った時、どうしたら届くのか?きっとこれからもたくさん悩むのだろうな。試行錯誤しながらどうにか私は私を表現する方法を見つけるんだと思う。



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