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映画『Dr.コトー診療所』を鑑賞してきた件にまつわるつらつら

※記事中には大いにネタバレを含みますので、未鑑賞の方は気を付けてください。

 熱しやすく冷めやすいタイプ。山漫画に感銘を受ければ、三種の神器を買いそろえて百名山を登り、海外作品にハマれば、そいつを元手にプラスアルファで語学を勉強して関連の資格試験を受け、タップダンスの印象が強い映画を見たら、実際にタップダンスを習いに行くなど突発的な行動においては枚挙にいとまがない。
 長年並走しているのは、音楽くらいかもしれない。

 最近、『沼にハマる人々(著:沢木 文 氏)』を読んだ。沼にもいろいろと種類があって、この本からはハマってはまずい沼もあることをおおいに学んだが、私の場合は、生活に張り合いを与え楽しみを添える、よい影響をもたらしてくれる沼が今のところは多い。
 あまたある沼のひとつに、吉岡秀隆さん沼。
 人間は、成長とともに変わるというが、根幹には不変の一本筋があるのではないか。なにかの拍子に何度でも再燃するのが私の沼パターンのひとつで、3年前、白い巨塔の再燃から、医療ドラマといえばあれも好き……の芋づる式でうっかりコトーを観てしまい、流れで吉岡秀隆さん沼の再再燃に流れた。
 沼は何度浸かっても程よく沼い。へんに行動力があるので、既存のSNSのアカウントで、そのころは全国各地で静かに暮らし、地産地消に近い状況で各々吉岡さん沼を粛々と掘っては温泉化している方々とあっというまにつながった。
 そして、社会人は素晴らしい。かつてと違い、自分が自由に使ってもよいお金が手元にある。手軽なストリーミングサービスがこれまた素晴らしい。出演者検索に「吉岡秀隆」の四文字を入れて、片っ端から視聴予定リストに突っ込み、来る日も来る日も、ときには10分、ときには数時間通しでと、スキマ時間を捻出してはありとあらゆるご出演作品を観あさり、生き生きとしていた。
 個人的に確信をもっている。社会人で生き生きとしている人には、何らか自身の”推し”がある。なにも人に限らず、"推し"は料理だったり、スポーツだったり、慈善活動だったりと人によって様々だ。ここらあたりの話を忖度なく深く聞ける仲になると、人間関係は面白い。
 まあ、そのきらきらした人が「お金増やしたくない?」とか、あそこへ行って素敵な考え方を勉強しようとか、石が水がなど言ってきたら、その方のつかっている沼はあくまでも私には合わない。

コトーの思い出

閑話休題。
 吉岡秀隆さん沼に生息する中でも、吉岡秀隆さんときたら、Dr.コトー診療所はほんとうにほんとうに好きで、沼再燃時も再再燃のときも何度だって観てきた。
 なんなら吉岡秀隆さん沼の掘り始めもコトーである。
 初掘りは小学生〜中学生にかけてであった。コトーの憂いたっぷりな横顔の写真を定期券入れに挟んでいたのを母親に見つかって、「気持ち悪い」「恥ずかしいから捨てなさい」と言われたエピソードは忘れられない。
 何度観ても飽きない。色褪せない。
 船上での緊急オペに胸を熱くした。
 コトーが島を出ていけと言われれば、得体のしれない人を受け入れる島の人の気持ちに共感しつつもコトーの針のむしろを一緒に味わった。
 再燃時には、コトーが船で吐いたシーンに揺さぶり動かされ、そんなに酔うものなのかと釣りが好きな親戚の知り合いのつてをたどって小型船舶に乗せてもらった。「船酔いするか試したい」とは言えないので、「おっきい魚が釣れるの見たい」とか言って。乗り物は苦手なものが多いが、あんがい大丈夫だった。穏やかな晴れの日だったからか。
 鳴海先生の闇に心を痛めた。クールにみせる堺雅人さんの演技だからこそ染みた。
 彩佳の乳がんに泣いた。彩佳がコトーに診てもらいたいのに素直になれない心境を吐露するシーンは何度でも観た。顔とか声質とかはどう転んでも似ないが、声の上がり下がりや感情の込め方、行間の読み方については、その一連を日本一うまく再現することだってできるほど何度でも観た。日本一かどうかは誰かが判定してくれたわけではない。
 そして、ヤシガニラーメンはいつか発売されると本気で思ってきた。作品に触れる折、また思い出すたびに、ふとヤシガニをググっては、怪しく色めく毒々しいフォルムに「お前はいつラーメンになるのかねえ」と語りかけてきた。ヤシガニらはたぶん、画面の向こうで私の好奇に恐れおののいている。

公開日に至るまで

 映画化のうわさを察知したのは、再再燃した吉岡秀隆さん沼で、一通り、ありとあらゆる作品を吸収して少々落ち着いてきて、その中でヒットした別の沼を開拓していたころだった。
 自分の呟きを振り返ってみた。
 令和4年5月初旬。与那国島を訪れた観光客が、映画撮影のために診療所建物への立ち入りをとうめん制限する旨が書かれた立て看板を見つけ、何気なくSNSに投稿した。それがファンの目にとまり、瞬く間に拡散されて物議をかもす。当該看板画像はSNSからすぐに消されたが、ファンはしっかり各々の端末に保存して、毎日眺めていたに違いない。ちなみに私は待ち受け画像にした。
 5月末からはエキストラ募集情報が出てきて、事の発端により信ぴょう性が帯びてくる。6月に入ると撮影が行われるようになったようで、撮影場所の近くに住む島民が盗撮した写真がSNSに上がってきたのを見ては盛り上がった。
 各地のコトーファン&吉岡さん沼民が大いに浮足立ったところで、公開日がわかったのは、令和4年6月末日だった。
 公開日がわかった翌日に、私は即、12月16日(金)の休暇を申請した。
 文句言うなよ、半年前から言うんだから文句言うなよと思いながら申請した。休みの口実によくある、親戚の法事に行くとか、銀行に行くとか、親の通院に付き合うとかではない。誰が何と言おうと、私は大好きなDr.コトーを絶対に初日で見に行くと心に決めた。

公開日を目前にして私が貝になったわけ

 そうこうしているうちに目まぐるしく半年が過ぎて、あっという間にあらゆるコトー情報が巷に溢れ、立て看板騒動に内輪で心躍らせたのがつい昨日のことのような状況になった。あまりの供給に、SNSを覗くたび、ひえ〜んしゅご〜いしゅご~いぱおんぱおんと思っていた。
 ところが、公開日が近づいてくると、さまざまな表現で至る所に映画の筋書きが落とされるようになってきた。私はここで、2点の特大地雷要素を察知してしまった。

1. 40代女・50代男のカップルで子供(しかも第一子)をもうけること
 こればっかりは無責任の極みというか、まず、本当にエゴ以外の何物でもないと思ってしまう。なにより性嫌悪もち的には状況が気持ち悪い。かなり気持ち悪い。どうしようもない。すみません。私の価値観。ごめんなさい。どうしようもない。
 百歩譲って、ふたりの間にはもう大きくなった子供がいるんです、じゃダメなんかい。

2. 男は席に座って食事の提供を待ち、女が全部作って配膳までする構図
 我慢ならない。これをされたら私は即離婚する。家に帰ったらこういう風景を夢想している男が多いだろうと思うと、多かれ少なかれこうした家庭的な役割を期待される従来の結婚は本当に無理。超無理。たとえ推しでも無理。フェミニストは公言していないが、ネットでフェミニストの旗を挙げている方の発言に触れると共感しまくりなので、フェミニストなのかもしれない。

 そんなわけで、その2点を察知してからは、余計な情報を入れたら劇場で観るのが怖くなるからと、貝になりたいと願う段階を通り越して、貝になった。
 信条は、”絶対に期待しない”。2003~2006は間違いなく名作なのだから、そこの思い出だけ持って劇場に行く。期待するな、絶対に期待するな。と、公式の動画は絶対に観ない。番宣はもちろん、ニュース記事の細かなものに至るまで一切の情報を遮断するようになる。

 私が貝になっている間、SNSは連日、新しいインタビュー画像についてくる画像はもちろん、マヂでコトーにジャニはやめてというお気持ちから、試写会や舞台挨拶のチケットが転売されている! ぷんすこ! 等の、さまざまに刺激的なコトー情報を運んできていたが、我関せず、りっぱに貝をやりとげた。

 と胸を張って言いたいが、前日にちょっぴり貝が開いてしまった。
 どれだけ「期待しない」の言葉で抑制しようと、本心はしっかり期待していたことを骨の髄まで理解することになる。心の中に飼っていた天邪鬼にそそのかされて、とある映画評論サイトで、試写会に行った人たちの含ネタバレ感想(しかもおもには酷評)を目に入れてしまったのだ。
 初心貫徹には1%至らず。
 人間、土壇場では何をするかわからない。

鑑賞録①:事前に特大地雷要素認定をしていた2点は実際どうだったか?

 最後列を抑えるのが好きなので、着座したら、観客をひとしきり人間観察する。どうしても妙齢女性の比率が多いようには感じたが、男性も適度に混ざり、150席規模の劇場はいっぱいのお運びであった。コロナ対策のため適度に間引かれながらも、ほぼ満席。最前列にまで観客がいた。そう、最前列。最前列は試したこともないし、試す勇気もない。いつも思うが、あそこの席に座る人たちは、鑑賞後、首がもげないのか。耳は無事なのか。

 つかみはバッチリ。いきなりの救急シーンはリアリティそのもので、血まみれの剛利がうめくと、斜め前のおじさんはもぞもぞゆさゆさしていたし、隣のお姉さんはしきりに水を飲んでいた。
 話の序盤でやけにクローズアップされるモブ寄りキャラは、だいたい、話の中盤〜終盤に高確率でヤバい病気になったり、怪我をしたりすることが確定するのでかわいそうだ。それはともかく、あたたかな島の日常描写はこのドラマの醍醐味のひとつ。みんなこの島で生きてきたんだな〜と、16年振りの情景に癒された。
 易出血性で、先生どうした。血液検査するか? と思っていたら、血液検査ぶっ飛ばしてマルク(骨髄穿刺)。なるほどスーパードクターはするどい。他の自覚症状から、血液検査すっとばして先にマルクしたのかな? 白い巨塔の財前も、手術は成功したと皆口を揃えて言うのに自分の手が震え始めるので脳転移を悟ったし。(?)
 コトーが急性骨髄性白血病確定して家族で泣き崩れているところは、隣のお姉さんがたは皆さん、斜め前のおじさんまでも、鼻水をグズグズすすり涙を拭っていた。日本にも優しい人はまだまだたくさんいる。
 そんなこんなでコトーはコンサル先の鳴海の大病院に今すぐ入院して欲しい……とあつく願ったものの、冷静に考えると、あれ。鳴海の専攻、血液内科だったっけ。血液内科と乳腺外科ではだいぶ違うが……。この点は考えないことにするか。

 とまあ、1時間15分を経過するあたりまでは、島の空気感にも絆され、わりとどっぷり物語に浸っていた。

 つまり、先述の二点については、劇中ではなかなかさらっと流され目くじらをたてるほどではなかったと思い返している。
 イラストに描かれる悪魔とかバイキンが手に持っている、さすまたみたいな特大フォークを心に装備して、来たら刺すぞ、今か今かと身構えていたのだが。

鑑賞録②:え、ドリフ??

※意見には個人差があります

 すっかり前半の1時間半に心を許していたが、ここからは、鋭いことを書いてしまうことになる。どうしたらちょっとふわっとするか考え、最近放送された水ダウで、「いい意味で」をつければどんな悪口でも怒られない説を検証していたのを採用し、随所に「いい意味で」を付けた。本当にいい意味かどうかは受け取り手にお任せする。

 剛洋の件から、ニュースで重大な筋を流してくるのが好きだな~と注意していたら台風が来るとか言ったので、後半は、一気に畳み掛けてくるなと身構えたが、畳みかけられすぎて、長めにホットサンドメーカーで押しつぶされた丸焦げの食パンになった。

 あの一連は、誰も何も言わなかったのか。いい意味で。エンドロールで見たが、医療監修いっぱい入っていたのに。いい意味で。

 コトーの「全員助ける!」発言は、発災直後のフェーズで最高にトチ狂っていると思った。私は判斗寄りかもしれない。一緒に働きたくない。いい意味で。おい、トリアージしろ。
 が、へき地医療のハマりどころというか、コトーにとっては島の住人が全員家族のような存在になっているからこそ判断が鈍っている感じを表したかったのかもと飲み込む。
 判斗よ。あなたは間違っていない。コトーはちょっとクレイジーなのだ。いい意味で。

 でもそのあとは、いい意味で、どうにも飲み込めなかった。

 コトーの思いをくんで他の患者を放置し、トリアージしたら確実に黒タグをつけるのぶおじに胸骨圧迫している剛洋。
 モブのあつい応援。
 切迫早産疑いでヒィヒィ言っている彩佳、モブのあついあつい応援。モブのあついあついあつい……
「のぶおじー!」
「たけひろー!!」
「のぶおじー!!!」×n
「たけひろー! たけひろー!!!!」×n

 いやうるせえよ。いい意味で。映画『ALWAYS三丁目の夕日 '64』の小雪の出産シーンで、部屋から締め出された男どもが、ふすまに向かって「アターック!!」「アターック!!!」と言っていたノリを思い出した。いい意味で。
 その喧噪のど真ん中で、虫の息のコトー。目を凝らしてみたら、パトラッシュとかいう犬が隣にいませんか? 僕もう疲れたよ。
 そういえば、病弱な役をあてられたときに遺憾無く発揮される吉岡さんの寝顔のパワーは、ファンの間では折り紙付きです。最近では、映画『未来へのかたち』はご覧になられましたか? 未見の方はぜひ。コトーについては、映画のあとは公式パンフレットを買って、裏表紙から見開き3ページ目を見てね。お布団をかけたくなるよ。
 諦めた判斗は、コトーを介抱するでもなく、存在すらない。画面からフェードアウト。
 カオス。これをカオスと言わずしてなんという。いい意味で。
 笑った。盛大に笑った。いい意味で。声が出ないようにするので一生懸命だった。ちょっとくらいブフとか言ったかもしれない。
 ドリフかと思った。いい意味で。そう、ドリフがやったら絶対面白いと思う。いい意味で。その場合は、志村けんさんがコトーね。

 私は偉そうなことは言えない医療のひとのはしくれだが、はしくれとしても、倒れたコトーに、意識レベル確認! バイタル! と体が動きそうになった。医療関係者であれば、各々自分の役割に照らして次の動きを頭に思い描いていただろう。医療関係者でなくとも、コトーに何ができるかは考えたのではないか。
 あの場には、やる気は無くしているけど優秀な判斗がいた。優秀な看護師のナミさんも、これまで診療所を手伝ってきた和田さんや正一もいた。島民は、大小様々な怪我をしつつも、いっぱい。救助にあたる健康体もいっぱい。
 切迫早産疑いで安静を強いられた彩佳さんはともかく、なぜ誰も何もしない。
 ありえない。いい意味で。こわすぎる。いい意味で。
 最終的に、背中で語り掛けがちな原さんがずるずる出てきて、「俺は諦めないぞー! 先生もあきらめるなー!(?!?!)」的なことをぶっ倒れているコトーにいい意味でがなりたてるという、いい意味での超絶精神論+原コト展開(何人か、これまでに出会った原コト推しさんを思い出していた)を持ってきたので、もうほんとうに笑ってしまった。いい意味で。気持ちの部分。ど根性大根。浜口京子さんの父。糸井重里さんが制作に関わっている名作ゲーム『Mother2』でも、致命的な攻撃を受けた際、プレイヤー個体にガッツがあったらHP1で留まって死なない。
 血液疾患のコトーは、諦めるとか諦めないとかいう問題ではない。いい意味で。
 鼻血も出てきてもう自分もフラフラの狂気コトーに「今から心臓の手術しよう……ニヘエ……だいじょぶですお……」みたいなこと言われて最終的に承諾するミドリさん、ただの勇者。最初に言った「私はいいよお(手を出すなの意味で)」の感覚が合ってると思う。いい意味で。
 手術シーンはなかなか怖かった。いつまた倒れて、判斗に執刀を代わることになるだろうとヒヤヒヤ見ていた。倒れる時は、術野側に倒れるなよと思っていた。人を信じるっていいね。ハッピー。

 いい意味で。

尺は足りたのか

 ドリフコントのあと腕時計を盗み見ると、ラスト10分だった。
 あと10分じゃあどうしようもないけどどうするのか眺めていると、コトーと彩佳の子供が、はじめて立つのをみんなで応援するシーンをぶち込んできて、頭が真っ白になった。

・諸島の超高齢化と医療問題
・コトーの急性骨髄性白血病

 という、今作あらたに投げ込まれた超特大テーマは、特大すぎる愛の桃源郷にまかれて、雲散霧消した。南無三。何も解決していない。

 あのラストだと、なんとなく観ている場合は「なんかいいもん観た」になるだろう。
 なんとなくではない私は、ただただ、祭りのにぎやかしの翌日に日常へ戻った街を歩くときのような複雑な気分で、手元のアップルジンジャーを一気に飲み干した。2時間も経てば、お湯をアップルのジンジャーにするために入れられた成分が盛大に沈殿しており、とくにジンジャーが沈み切っており、もはやジンジャージンジャーみたいになった飲み物に激しくむせそうになった。むせるを発動しないために研ぎ澄ます神経、”むせそう”と戦う意識が、どっぷり浸りそうになった不完全燃焼感を手放させてくれたので、集中できなくてむしろよかったのかもしれない。

 今作が、今後さらなる続編を描くことのリトマス紙であるならば、私は大いに沸き立ち、続編をこいねがう。これを皮切りにストーリーを進めるのであれば、諸島の超高齢社会・医療問題に加え、島での最新白血病治療か、コトーの看取りか? 島の終末期医療、観たい。
 が、どこかで読んだ監督さんの意向では、本作を集大成にするとのことなので、あのあとは個々人の想像にお任せされることになる。
 人間、生きていれば気が変わることもあるので、気が変わってほしい。

 個人的には、尺はぜんぜん足りていない。

 個人的に、この映画でいちばんよかったのは、判斗の存在だ。
 ジャニをコトー組に入れるなとぷんすこしていた皆さん。食わず嫌い王決定戦にエントリーしよう。私と一緒に。
 判斗は最初、離島医療をなめくさっていた。うぜ~だり~の今時の若者のノリがそれらしいが、やることはスマートで的を射ており、かわいい面もあるので、個人的にはいいねこいつ枠に認定していた。最終的にはコトーに感銘を受けたか、いい感じで島に馴染みはじめ、残ってくれる雰囲気を漂わせていた。
 そんな、一切忖度しない危なっかしい判斗をじっと見守る和田さんがまた最高に良かった。判斗の正論にむっとしてつっかかる島民もいる一方で、口を真一文字に結んでじっと何もいわない和田さんがとてもよかった。あれはよかった。自分の思いだってたくさんあったろうに、出さないあたりが、和田さんの優しさと思慮深さを染み出させた。それにしても、勤務時間中に以前の管轄にいても許されるとは、島役場は自由度が高くていいね。

 剛洋は4年生でドロッポしたので、ポリクリ前のOSCEを乗り越えられなかったのだろうか。ラストシーンから、2年次編入か? と思ったが、大学を卒業していないのにそんなことができたろうか。大学中退は、たとえそれが医学部医学科だったとしても、高卒なのだが。
 これも考えはじめたら夢がない。もう気にしない。

続編があってもいいと書いたけど

 気持ちを入れて鑑賞した映画は、劇場から散り散りになる観客の波に混ざって、会話を盗み聞く。四方八方の会話に気を配るので気分は聖徳太子だが、私の聖徳太子はめちゃくちゃキャパが狭いので、10人周りにいれば、その3人の会話を聞けたらいいほうだ。

 前を歩く60代くらいのご夫婦の会話が印象的だった。
「けっこう面白かったな」
「そうねえ、亡くなったら終わりだわねえ」

 全てを霧に巻いて退散したと思っていたら、なるほど、あれは死んだのか。
 あれは、コトーは、死んだのか?!
 続編があってもいいと書いたけど、亡くなったら終わりだわなあ。
 色々感想を読んでいると、コトーは死んだと解釈している人は少なくない。

 その真相は、いつ知れますか?
 島の医療計画はどうなりますか?

 熱しやすく冷めやすい私は、Dr.コトーにも大いに感化され、実際に医療方面へ舵を取ってそっちな感じの資格をとり、そっち方面の資格で食ってる医療者だが、高齢者医療の闇や、昨今のコロナ騒動でいちど燃え尽きた。立ち直ってなんとかやっているが、やっぱり熱しやすく冷めやすい。

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