見出し画像

面白ご都合主義

おれは大学時代、ご都合主義にならないように注意してきた。

ご都合主義とは、自分達の都合のいいように捉えたり、考えたりすることだ。

政治思想のゼミに入り、また個人的にも思想の本を読んでいたこともあって、本の読み方には注意を払っていた。歴史や思想を読み解くにあたって、このご都合主義的な読み方は非難される。それだと著者の考えや歴史は読み解けないからだ。

そもそも人間の脳ミソは、見たいように見てしまうという習性がある。

だから、人は、意識をしない限り自分が見たい事実を補強するために読んでしまいがちだし、結論ありきの論証集めをしてしまいがち。

そうすると、新しい考えは生まれないし、真理には辿り着かない。思想や歴史から新しい発見を引き出すことは不可能になってしまう。

だから、自分も、都合のいい読み方をしないよう、注意に注意を重ねながら、読んでいた。本当の意味をとろうと思い、批判的に何度も穿った。そして、それがいつの間にか癖になっていた。

また、そういうところに身を置いていたため、そういう都合のよい捉え方をするのは、しょうもないダサい行為だと思っていた。だから、都合のいい考え方をしないように自分もしていた。

だが、ある時期からそれを一変させた。

面白く見えるように都合よく考えようと。

この考え方のせいと言うつもりはないが、悲観的な人生観、社会観をもつようになっていた。いつのまにか人生つまんねぇと思うようになり、社会も仕事もくだらないという考えに支配されるようになっていた。

だが、絶望してても人生はある。結局人生楽しんだもん勝ちだし、別に研究者や評論家になりたいわけでもない。

だから穿った見方をやめて、人生は面白いと思い込めるような結論ありきで、世の中を眺めてみようというふうに舵を切りかえた。

「やっぱ人生おもろいよな。やっぱ仕事っておもろいよな。」

そういうふうに思うための論証集めをしようと。

そしたらほんとにちょっとずつだけど、どんどん面白いなぁと思える事実が集まってきたし、そういうように見え方が変わってきた、ように思う。明らかに以前より面白さは増してきた。人は意識次第で大きく変わるんだと思わされた。

このような考え方はいってみれば、すべての事象をあるがまま見ず、面白いと思うように歪曲して解釈する都合のいい思考、ともいえる。

カッコよくいえば…

面白ご都合主義!!

今のところ感触はいいから、これからも面白ご都合主義を掲げていきたい。

最後に、なかなか心に響いたオッサンの言葉を添えて、終わりにしたい。

というやつをやってみる。

‘光の側を見ることを、能天気だと思う人もいるでしょう。影の方を語る方が、真剣で深いことに見えたりします。でもね、光の側を見ている人、そうそうバカでもないし、影ばかり語る人、さほど優れているということでもない。
糸井重里『ぼくの好きなコロッケ。』

一周回って、光を見る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?