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noteをやろう、続けようと思わせるnote

そのままです。
自分はこういう気持ちで投稿してます。

○失敗は成功だから
○完璧主義というか、失敗したくないという気持ちはいらん
○全ては実験
○続ければ、誰にも読まれない今日のしょうもない文章もコンテンツになる

○失敗は成功だから

こんな記事書いても意味ないとか、しょうもない記事を書いたとか、恥ずかしいとかそういう気持ちは最初ほどある。自分は今だってある。だけど、その時々の自分の本気を出すしかないし、そこで本気を出すから、本気を出したときのクオリティが少しずつ上がっていく。恥ずかしくて無難に何もしないのか、それとも笑われてもいいから上手くなるために、成長するために、やるのか。将来楽しんだり笑うことができるのはどちらか。

○完璧主義というか、失敗したくないという気持ちはいらん

例えば、コピーライターという仕事がある。今までコピーライターとしての仕事をしてない人がコピーライターになるためには、初心者ながらコピーライターの仕事をやるしかない。でも初心者だから死ぬほど失敗を繰り返す。そして段々とコピーライターになっていく。つまり、コピーライターの仕事ができるようになってからコピーライターになるのではない。コピーライターになるためにはコピーライターの仕事をやり続けることでしかなれない。
書くのもそれと一緒。死ぬほど失敗しながら書くしかない。書けるようになってから書くのではない。てかそんな人はそもそもいない。コピーライターになってからコピーライターになる奴がいないように。
だから、失敗するとか、恥ずかしいとかそんなの捨てるしかない。最初から書く人には100%なれないから。

○全ては実験

自分は全部実験だと思っている。
いろんな文章とか書いてみて、出来映えとか反応とかを見ればいい。そこから需要もわかるし、自分の得意なところもわかる。
自分もいろんな文体とか試したりもしてる。エッセイ風やったり、日記ぽいの書いたり、小説風なの書いたり。ビジネスライクっぽいのも試したり。この文章だって実験。最初からわかるのではなく、段々わかっていくし、変わっていくもの。自分もこれからどんどん変えていくつもり。

○続ければ、誰にも読まれない今日のしょうもない文章もコンテンツになる

仮に今日から下手くそな文章と思いながらnoteを始めたとする。誰にも読まれない中続けたとする。そして、3年続けて文章とかも上達して、読んでくれる人も増えたとする。そしたら、今日のしょうもない文章も、「いかに自分がしょうもなかったか」「誰でも続ければここまでなれるんだよ」というようなコンテンツに生まれ変わる。でも今日書かなければ、ありがちな口だけで「昔下手だったんだよねー」というパターンになる。だから迷わずショボさを出すべき!ショボければショボいほどネタになる!

まとめ

自分はこういう気持ち・考えで、しょうもないnoteですがなんとかやってます。noteに限らず、皆さんが何かをやるときの理由になれば光栄です!お互い頑張りましょう!!

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