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パイオニアEDHは本当に面白いのか?


私はパイオニアEDHを遊ぶぶ機会がたびたびあるが何とも言えない気持ちを抱えることが多い。パイオニアEDH委員会様がキャンペーンを実施てくれたせっかくの機会に挑戦的なタイトルで恐縮だが、パイオニアEDHに感じる違和感を突き止めるべく駄文を弄す。

イッツアスモールワールド

まず、私がパイオニアEDHを遊ぶ環境は、私の運営するDiscordサーバ内の狭く限られた人しかいない。他にも幾つかのコミュニティに属し、そこから派生した友人関係も多いがパイオニアEDHのデッキを持っている人はほぼいない。そのためパイオニアEDH環境を語れるような経験値も深い知識も持ち合わせてはいない。だが、いまの私にとってパイオニアEDHはDiscordサーバ内のいわゆる「身内」の環境がすべてなのだ。
そこで対戦するデッキは
・路上の師、リガ
・創造の座、オムナス
・統べるもの、ジョダー
・ドラゴンの打擲、オーグニス
・ジモーンとダイナ
・悟った喪失者、ナーセット
などで、とりわけ上から3つのデッキと遊ぶことが多い。

もやもやを束ねいて

現在に至るまで私は3つのデッキを組んだ。いつもどのデッキ、どのゲームでも勝っても負けてもモヤモヤとした違和感を憶えた。
・解放されし太古、リース
・シェオルドレッドの心酔者、ローナ
・死の頂点、ネスロイ(ビオランテ)

初めに組んだリースは、パイオニアEDHはマナファクトが乏しいため緑のマナクリで加速しつつ、ドラゴンで制空権を抑えて制圧しようというコンセプトだ。たくさんのドラゴンを展開し圧倒できるのは楽しかったが、頻繁に飛んでくる至高の評決やサイクロン・リフトなどの全体除去をすべて捌くことはできずにコンボを決められて負けるというパターンは多かった。
2つめのローナはコンボに重点を置いた構築だ。理論上は3ターンキルが可能であり4ターンキルの実績もありました。しかし、息をひそめコンボパーツを探しにドローとサーチを繰り返すこのデッキはやりたいことではなかった。
3つめのネスロイは2、3回しか使用していないため語れるものないが、ビオランテは大好きな怪獣だ。これが統率者であることの満足度は高い。

自己責任

なぜモヤモヤするのだろうか。やりたいことをやって「楽しかったね」だけでは満足できず、ただコンボを決めて勝つだけも満足のいくゲームではない。
コンセプトを考えて構築したデッキでそれを表現して勝つ、これはパイオニアEDHだけではなくあらゆるフォーマットにおいて私がMtGで遊ぶ根幹なのだ。特にEDHにおいては自己表現と勝利の重みづけは6:4~7:3程度に自己表現に比重が偏る。この「こだわり」こそが私がもっとも大事にしているものだ。

全除去は悪か?
コンボは悪か?
コンセプトのないデッキは悪か?
勝利に特化するのは悪か?
答えはすべてNoだ。人の考え方もデッキもすべて自由であるべきだ。私のこだわりは私にだけ適用されるべきなのだ。
自己表現できずに勝つこともできないことに駄々をこねたいのではない。すべては自己責任。自分が自分に課した制約なのだ。嫌ならやめればいいが簡単にあきらめたくもない。

制約と誓約

私が感じる違和感、それは結局こだわりを完全にデッキへ落とし込めていないことだ。だからいつも釈然としないままだったのだ。私が面白く遊べていないのは私のせいなのだ。フォーマットと遊ぶ環境を踏まえたうえで自己表現と勝利の最適なバランスを実現するデッキを構築すればよいのだ。

そう考えると冒頭に掲げたテーマは「私の」パイオニアEDHは本当に面白いのか?となるべきだ。
私はまだその答えはだせない。カードプールは拡大していき、デッキの可能性も無限に広がっていく。だから考え続け、デッキを組み続け、遊び続けた先で「私のパイオニアEDHは面白いんです!」自信をもってそう言えるようになりたい。

あなたのパイオニアEDHは面白いですか?

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