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運って面白い!

田舎育ちの私は、高校卒業間際まで地元から出ていく自分を考えたことは正直一度もありませんでした。
友達が、都会の話をして周りから羨ましがられていても、私は全く羨ましいと思いません。
地元で充分だったからです。

夏は、家の周り一面が蛍の光でいっぱいになり感動します。冬は、朝の太陽が一面真っ白の雪景色を白銀の光の中に変えて眩しいほど輝いています。そんな地元が大好きでした。

そのせいか正直、地理が苦手でした。何故、他の土地を知らないといけないのか、ここに一緒に大切な母と弟達、友達、親戚がいるから充分ではないの?っと私は常に思っていたので全く他の土地に興味が湧きませんでした。

私は、しかし、想定外も想定外!
地元から800kmも遠くのまあまあ都会の短大へ行くことになったからです。

丙午の影響で高校初の公務員全滅、皆そこからの就職、進学探し。私は、全くの想定外に先が考えられなくなりました。

悩んだ日々を送っていると、中学校では別々のクラスでしたが、小学校時代の友達が久々に私に声をかけてくれました。何と私におすすめしたい短大があると。

それは、私は忘れていましたが、小学校の文集に将来の夢に『保母さんになりたい』と書いていたことからでした。その友達は、文集を私の夢を見てから、『保母さん』は、私にピッタリだとずっと思いながら過ごしていたらしく、ずっと何時か言いたいと思っていたと話してくれました。

私は、とても嬉しかったし、やっと自分の未来に明かりが見えてきて、とても有難くて心が舞い上がりました。
そして、私のことをキラキラした目で話してくれる友達が天使に見えたことを覚えています。

その短大は9時から16時まで学び、17時から22時までライン作業で働くという条件でした。
そして、寮母さん付きの寮があり守られた中であることも教えてくれました。その上、学費、通学費は全て会社が持ってくれる上にお給料で生活費を作ってくれるという好条件!(バブル絶頂期に感謝です。)  な、何て素晴らしい☆

母に直ぐ話し、母に学費も全て迷惑はかけないから行かせて欲しいと頼みOKをもらいました。(後々、母は、高校卒業後の私が居ない生活に1年、夜は寂しくて泣いていたと聞きました。帰省した時は、そんな姿見せず何時も笑顔で〝お帰り〜〟と私を抱きしめてくれたことを思い出すと泣けちゃいますね。)

学校では、担任の先生は大変だったようです。その学校を調べ、まだ募集に間に合うのか、合格基準に満たされているのか。学校と会社の2つの合格を得ないといけません。しかも1つの県から2名しか合格できませんでした。
先生は、必死で書類を間に合わせてくれて、本当にたくさんの皆さんの力のお陰で試験を受けることが決まりました。

試験会場は、地元から電車で半日かかる場所でしたが、親戚の叔父が自分の姉が近くに住んでいると紹介してくれ、初めての土地でしたが安心して泊まり試験を受けることができました。

その時、泊めてくださった叔母さんは70歳くらいだったと思います。初めて合う方でしたが、とても優しくて、私に合格祈願と寒いからと赤いマフラーを買ってくれました。その優しさを今でも忘れません。

何とか、合格し、多くの方にお世話になったことを胸に合格の報告を回り、公務員のことは全く頭になく、次の目標のピアノの練習に明け暮れました。

教えてくれた友達にも合格をすぐ伝えました。「合格できたんだね。間に合わないかと心配だったけど。流石だよ。すうちゃんは、保母さんに絶対向いてるから神様も応援してくれたんだね。」と私の合格を飛び跳ねて喜んでくれました。
こんなに私のことを思ってくれていた友達に感謝しかありません。

入学費用だけは、既に看護学生で働いていた姉が合格祝いに支払ってくれました。短大への支度は、私の高校時代に母子家庭用の返済なしの奨学金を3年間貯めていてくれたので何も困ることなく、入学、入社できました。

学校も会社も寮生活も、私には、必要不可欠な、かけがいのない沢山の楽しい人生経験をさせてくれた有難い2年間の生活でした。
その2年間でできた友達、先輩後輩、会社の上司は、とても良い方ばかりで…私は幸せ者です。

しかも、高校3年間の奨学金は、中学校3年の担任の先生が、調べたら母子家庭への無償の奨学金制度の支援があるが挑戦してみないか。と薦めてくれたのがきっかけでした。

奨学会を立ち上げられた会長さんは、自分が母子家庭で育ち苦労をしたので、自分のように頑張っている母子家庭の生徒を応援したいとのことで始められました。

正に神ですね✨本当に有難かったです。

私も将来は、母子家庭を助けてあげられる人になりたい。必ず良い保母さんになると心に強く思ったのを覚えています。

そして、その奨学金を遣わずに貯めていてくれた母にも感謝しました。
(母から、通帳を見せてもらった時は、ビックリしました。自分は、全く忘れて部活と勉強、家事に追われた毎日の充実しまくり濃厚な3年間でしたから。)
母は、「お母さん、あなたには、助けてもらってばかりだから、これくらいしかしてあげられないから。これは、あなたが頑張ってる証拠なんだから。いつもありがとうね。」と言って渡してくれました。私の方が、感謝してるのにと泣けました。

こうして改めて私の人生を振り返ると、『思い』と『奇跡』の連発で感謝しかありません。

やはり、ご先祖さまが守ってくれていますね☆とまたも思ってしまいます。

皆さんも、予期せぬ奇跡に後から気が付くこともあるかもしれませんし、自分の人生の目の前のことを深く考えず一生懸命生きていると、奇跡が起こる感動を瞬間瞬間に感じることがあるのではないでしょうか✨

私は、少なくとも奇跡は、感謝と愛に生まれると確信しています。そして、私の奇跡は、まだまだ続きます🌸

本当に運というものは面白いです🍀

ここまで長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。きっと最後まで読んでくださった方も、運がついてる方だと思います。🙏✨