愛はいますぐに

20歳を過ぎた頃に、突然気づいてしまった。

どれだけ手繰り寄せようとも、駄々をこねたとしても、二度と会えなくなる時が来る。

人はいつか、いなくなる。

近ごろは長く家に居るようになったので、いま会えない人たちの事を考える事が多くなった。


もちろん、いまの時代であればすぐに話したり、顔を見ることもできる。
引っ越した友人とオンライン飲み会をしたり、異動したお世話になった先輩にLINEしたり、家族に手紙を送ったり。
色んな方法でコミュニケーションを取ることができる。

ただ、やっぱり別れは悲しい。
とくに置いていかれる側にとっては。
これまでと変わらない日々に、その人だけがいない生活が続く。



別れにもいろいろあるけれど、やはりもう二度と会えない人のことを、身勝手に思い出してしまう。


友人というには少し遠く、顔見知りというには少し遠い微妙な距離だった。
彼がいるだけで明るく感じた。光って見えて、広い教室のどこにいても見つけられた。
小説じみた例えは恥ずかしいけれど、文字通り、彼は太陽のようだった。

みんなが彼を特別視しているように思えたし、実際に特別だったと思う。
いつも一番前の席で講義を受けていた。
成績もよく、社交的で、誰にでも分け隔てなく笑顔で優しい人だった。 自分の言葉で堂々と話すのが印象的だった。
ただ、当時の私はその完璧さが恐ろしくもあった。

今となっては、キラキラしている彼への僻みだったかもしれない。


二回、誘われて一緒にご飯を食べた。

他愛もないことほど覚えている
「君はお酒を勧めるのが上手だから、どんどん呑んでしまう」と笑ってくれたこと、美術館に行ったこと、帰りの電車、一緒に行ったお店、座った位置、伸びた背筋、後頭部、壁に寄りかかってスマホを見る姿、

前はもっと覚えていたような気がする。
彼は、何を呑んでいたっけ。
どんな話し方で、どんな話をしたか。どんな服をきていたか。なぜ私を誘ってくれたのか。

ある日突然、会えなくなってしまって、もっと聞きたかったことも、話したかったと思うことも、言っておきたかったことも、何も伝えられなくなった。

私はその時になってようやく、
「人はいつか、いなくなってしまう」
ということをきちんと理解した。


彼がいなくなったことは、友達伝いに聞いた。
泣いたりしなかった、泣こうともしなかった。
今でも身勝手に思い出すことに、罪悪感すら感じる。


人間関係において、タイミングが悪いとか、手遅れとかそういうことって、本当にある。
時間には逆らえなくて、取り返しがつかなくなる。
こういうのは、いくら頭で分かっていても、体感しないと気づけないようになっているのだろうか。

私はもう二度と後悔しないように、私の好きな人たちには、この愛を惜しみなく伝えることにした。
良いところは良いと言う、素敵だと、好きだと。

それから、言葉にすることに戸惑いも、羞恥心もなくなった。
伝えたいと思った時に、相手がいないことは、永く重く暗く苦しいことだ。


いま会えない私の大事な人たちが、美味しいもの食べて、笑って、過ごせますように。

それから、健やかに眠れていますように。


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