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許し許される関係でいよーう

こんにちは。すいです。

先日、職場の方が「自分が学生の頃にTikTokがなくて良かった」と話していました。それはつまり、学生の頃にTikTokが流行っていた場合、イタい動画を投稿してしまっていたから、そのルートを避けられて良かった〜ということ。

これには、異議があります!
確かに、自分の痛々しい姿が、一生世に出回る可能性を避けられたのは良いことかもしれない。人によって、"イタい"のレベルは違うし、それに対する恥ずかしさも違う。なので、その人がそう思ったことに異議はありません。ただ、"イタい"ということが淘汰される世の中には異議がある。
恥ずかしいからこそのイタいで、それをなるべく避けたいという気持ちは自然なものだけれど、どうしたって結局、イタくなってしまうのも自然なことだと思うのです。
何をしたって、数年後にはそれがイタさになっている。だから、もっとイタさを許容してほしい!許容できる世の中になってほしい。

もちろん、イタいだけでは済まないような、誰かを傷つけたり、犯罪行為だったりする場合は別です。ただ、そうでないのなら!そこに楽しさがあるのなら!突き放して、嘲笑するだけのものにしたくない。
TikTokから無数に生まれている動画たちもそう。誰にも迷惑をかけず、本人たちが楽しそうに何かをやっているだけの動画に対して、冷たいコメントが多すぎます。誰しも一度は通っているはずの、イタさなはずなのに。もういい加減、そのイタさこそが人には必要なのだと、言ってください!

私もこれまでに、数え切れないくらいのイタいことをしてきました。中には、恥ずかしすぎて上手く思い出せないものもあります。もちろん、今もかなりイタいことをしている。けれど、そのイタさがいつか自分を救うことになると信じます!結局、振り返ったときに浮かぶものは、イタさを伴った楽しさを感じた日のことだから。

イタさとは末永く付き合っていく覚悟でいます。

皆さんも、人と自分のイタさとは、許し許される関係でいましょう〜!どうか!

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