見出し画像

カルチャーに上下はない 「花束みたいな恋をした」(4)

カルチャーに染まっている麦くんが好きだったからそう思うのではないか?
この指摘には考えさせられました。

パズドラしかやる気が起きなくなってしまった麦くんに対して、可哀そうという気持ちや、社会に変えられてしまったという感想を持った方は私だけではないのではないかと思います。

しかし、パズドラしかやる気が起きないように変わってしまった麦くんに対して、それも一つの人生だと捉えることは重要なことではないかと思いました。(映画的に描写、演出が感情を動かすものになっているとは思いますがそこは敢えて省きます)

ゲーム、小説、音楽といったカルチャーであっても、それ以外の選択であっても、上下という縦軸で捉えるのではなく、平行した横軸の違いとして捉える方が健全だと考えます。好みの違いとして。

小説、テレビドラマ、映画、ゲームなどに上下の差はないという考えで生きてきましたが、“パズドラだけをやる社会人”に対して、平行した価値観で尊重できていなかったことに気が付きました。けれど、そんな人生もそれはそれで良いのですよね。否定はしないこと。
(麦くんのこの変化は一時のことであって、また戻るという変化をするかもしれませんし、新しい彼女とのカルチャーを通さない新しい関係をより心地よく感じるかもしれないのですよね)
この「他者の考え方への寛容さ」というのは本当に難しく感じるときもあり、考えることが多いです。

美しいとは感じられなかったとしても、それは好みの問題なのであって決して上下で見てはいけない、それがどのようなカルチャーであっても。
改めて襟を正したいと思います。



【余談】

シナリオを読み終わりました。  
「徒歩30分の帰り道が、何よりも大切になった」
という言葉が本当に美しいと思いました。

自分の生活では、すぐに忘れそうになってしまうことなので、どこかに貼っておきたい言葉です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?