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フィジー留学を終えて

Ni Sa Bula Vinaka‼︎
フィジーの挨拶で「こんにちは」
という意味です

フィジーから日本に帰国して1週間
ふわふわした気持ちが残ったまま
というか「まだフィジーに居たい」
その想いが抜けずにいます

Instagram(@yumi_fiji)は
投稿しなければと思いつつ
まだ最後の更新もできていません

留学を終えて日本に帰ってきたと
実感したくないんだろうなと
スロースタートな自分を外側から見るようにして
なんとか日本の生活に馴染もうとしています

終わらなければ次が始まらない
そうフィジーで体感してきたので
ここで自分の一区切りとして
noteに記したいと思います

留学までの経緯

当時は20歳の大学3年生
2022年5月初旬にInstagramの広告で
Free Birdのフィジー留学を見つけます

zoom説明会や電話面談を経て
「一番早く出発できる日でお願いします」
と相談したところ
Free Birdを見つけてから2週間後には
渡航が決定していました

通学中の1枚

2022年9月6日 成田空港発 予定
2023年4月22日 成田空港着 予定
全期間 ホームステイ生活 予定
約8ヶ月のフィジー留学はここから始まりました

期待していたこと

私は将来、国際系のお仕事をしたい
という想いでこの大学に進学したものの
特にこれを仕事にしたい!というものが
見つからないまま
受け身の日々を淡々と過ごしていました

大学3年生の春になり
就活を始めなければいけない時期
でもやりたいお仕事が無い
どうしよう、と考えた時に
英語力を上げたいという気持ちも含め
1年の休学、留学、という選択をしました

放課後に友達のホームステイ先でHoliというイベント

留学を通しての目標は主に3つ

  • 英語力を上げること

  • 自分の将来を考えること

  • 自分自身を知ること、変えること

これらを達成するために
毎日英語日記、人と話すこと
を決めていました

フィジーでの生活

現地のNadi空港に到着し
同じ飛行機で来た日本人と会い
現地の案内の方に連れられ
私のキャンパスがある都市Lautokaまで
30分ほどミニバスに揺られていました

日本人同士でわいわい話す人
車内で案内の方と流暢に話す人
その会話を耳に挟みながら
と言っても全く英語が理解できない私は
不安を胸に抱えながら
バスの隅で静かに風を感じていました

その後ホームステイ先に降ろしてもらい
4人家族のインド人との生活が始まりました
彼らは主にヒンドゥー語を話すキリスト教信者で
フィジーの中では裕福だと
家を見ただけでもわかるような家庭でした

1箇所目のホームステイ先の5歳くん

しかしながら約1ヶ月を過ぎた頃から
私は自分の部屋に籠るようになり
次第に会話が減りお互いの不満が溜まり
ホームステイ先を変更することになりました

原因は、お金の請求、書類と現状の違い、
家族との関係性、私の雑な行動、等
様々ありますがその1つとして
私が近所のフィジー人の小学生と
遊んでいたことを知ったファザーに
「フィジー人は危ないから関わるな」
と言われたことでした

何も知らない私に
「フィジーの危険性を教えてくれる」
これはすごくありがたいこと、ですが!
私はそれを「フィジー人」と括ることが
許せませんでした!!

人種に限らず
犯罪を犯す人は犯すし
犯さない人は犯しません
それを「フィジー人は〜」と語ることが
私はすごく嫌でした

この考え方の違いをいい経験と受け止め
2022年10月17日にホームステイ先を変え
3人で住んでいるフィジー人のお家に
住まわせてもらうことになりました

2箇所目のホームステイ先の家族

この家族は複雑で
家族構成や家の所有者などを理解するまで
3ヶ月ほどかかりました(笑)

家の所有者はアメリカに住む6人家族
ですが私と一緒に住んでいたのは
家の所有家族の妻の従姉妹とその娘の2人
彼らに加え家の所有家族の夫の従兄弟1人
という複雑な関係の家庭に住んでいました

と言ってもこの家の仲は良く
なんでも自由にさせてくれるお家でした

ホームステイ先が変わり生活がガラッと変わりました
朝は学校まで30~40分歩いて通い
昼休みはサッカーやラグビーをして
放課後はタウンに遊びに行き
夕方も歩いて家に帰る

ある日は誕生日を祝ってもらったり
みんなで昼ごはんを作ったり
行事のためのダンスを練習したり

私の21歳の誕生日

休日は村に行って子どもたちと遊んだり
観光地Beach Comberに行ってみたり
ラグビーの試合を見に行ったり
海に行ったり山に行ったり

暇な休日はあてもなく散歩したり
道を歩く人に声をかけたり
地元の家族のお家にお邪魔したり
伝統的な嗜好品KAVAを飲んだり
サッカーしたりラグビーしたり

家に籠っていた頃の自分が
信じられないほど
アクティブで楽しい毎日でした

村で暮らす子どもたち

元気に動いていれば怪我や事件もつきもので
ある週には犬に3回噛まれ
ベッドバグ(南京虫)にも噛まれ
ある日は財布を落としたり
しつこく誘われたり付きまとわれたり
知らない人の車に乗ってしまったりと
海外ならではの経験もたくさんしました

日常生活を通して感じたこと

Just try
Don't be shy
Nobody is perfect
Be positive
Love yourself

ありきたりな英語ですが
これらを肌で感じて理解して
自分が行動できたからこそ
これからも絶対に忘れたくない
自分の芯のようなものを手に入れました

日本に居る時に
頭では分かっていましたが
なかなか体現できなかったことも
最初はフィジーの雰囲気にのまれながら
最後は自分のものにできたかなと思います

例えば金髪坊主にしてみたり
隣町Nadiまで8時間歩いたり
フィジー人の家に泊まったり
これらを通して
やらない後悔よりやる後悔
ということを強く感じました

金髪坊主にしたての頃

これらを繰り返すうちに
興味持ったことに対して
やるかやらないかを考えるんじゃなくて
とりあえず飛び込むことが
めちゃくちゃ楽しいことに気づきました!

日本にいた時は自分の中にあった
こうでいなければ、とか
こうすべきだ、とか
そんな常識というか定義というか
自分が作っていた固定概念で
本当の自分が隠れてしまっていたから

自分が分からなくなっていたし
自分がやりたいことも見つけられずに
どこにも飛び込めなかったし
受け身でしかいられなかった
んだろうなと思います

友達とその彼女と一緒に帰った日

誰かに対する憧れとか
こうなりたい、が強すぎて
完璧を求めていたけど
自分の嫌なところも含めて自分だし
それを隠す必要もないと思っています

そう考えることで
自分が笑顔で居ることが増えたし
何より「幸せってなんだろう」と考えることが
無くなりました!!

フィジーで暮らして
幸せを誰かからもらって
私も幸せを体現して
それを誰かと共有して
それがまた誰かを幸せにする
そんないい循環が
フィジーにはあると思います

語学学校での生活

学校生活ではもちろん英語を話します
フィジー人の先生同士も
日本人の生徒同士でも
授業中も休み時間も

授業は英語で英語を学ぶ形式です
発音、文法、リスニング、スピーキング、
先生やレベルによってやり方は違いますが
教科書を使ったりして授業が進みます

キャンパス合同の修学旅行

学校には食堂があります
お昼ご飯も間食も売っています
たまに先生が授業中に買ってくれて
みんなで食べたりもしました私のお昼ご飯は
ホストママが毎日用意してくれていました

ですが私のお昼ご飯は
ドミトリーに住んでいる友達にあげて
その子は朝ごはんとして食べて
お昼ご飯はその子が作ってくれたり
たまに食堂で一緒に買ったり
食べないでサッカーしたり

学校も裸足で歩くし
肌も焼けて現地人化してたから
その子と私は
フィジアンって呼ばれてました(笑)

現地人化する私たち

クラスはLevel1~7で構成されていて
レベルアップしたい人はテストを受ける方式です

私はLevel2(Mere)から始まり
Level3(Wise)Level4(Sevu)、
年明け後にLevel5(Illy)Level6(Lena)
で学校を卒業しました

学校生活を通して学んだこと

英語はもちろんのこと
フィジー人の考え方や価値観、歴史文化
フィジーで生活する上で大切なこと
いろいろなことを学びました

例えばテストに落ちた時
先生たちはドンマイとかは言わないんです
その挑戦が素晴らしいよ、と
励ますというよりも
自分の行動に拍手をくれるんです

「何かを学ぶことは時に大変だよ諦めないで」
他人の失敗を笑いにする人は
誰もいません

大好きなmere

授業を休んで映画を観に行く時
楽しんで、って送り出してくれます
先生の用事がある時も
これやって、と言って用事に行きます

子どもの授業参観だったり
お金の振込をしなきゃだったり
外にお昼ご飯を食べに行ったり
帰ってくるのは2時間後とかの時も(笑)

行事も一緒に全力で楽しむし
踊りだす先生もいるし
ケータイを無くしたり壊したりして
3ヶ月ケータイ持たない先生もいるし
お菓子作ってきてくれる先生もいます

先生の孫の1歳の誕生日会

友達みたいにプライベートまで話すし
先生のお家にも行くし
先生が子どもを学校に連れてくるし
それで一緒にラグビーして遊んだり

そんな自由な先生たちと一緒にいて
生徒も、先生も、その関係性である前に
1人の人間だってことを
改めて感じました

これからのこと

私は2023年の6月下旬から
インターンシップをするため
カンボジアに1年間渡航する予定です

留学前の予定では帰国後に日本で就活をして
大学を卒業して日本の企業に勤めよう
と思っていましたが

フィジーで出会った
これからワーキングホリデーに行く人
出稼ぎにオーストラリアに行く人
日本一周中の人
世界一周を夢に持つ人
いろいろな夢を持った人たちに影響され

今ならやりたいことなんでもできる!
私も世界を見たい!と思うようになり
今の可能性を最大限に使って
自分の未来を広げることにしました

卒業式

就職する前に海外で働きたい
英語を使って仕事ができる
能動的な仕事をしたい
という想いから
途上国でインターンシップに
参加することを決意しました

自分の両親への連絡が
事後報告になってしまったことは
申し訳ないと思っています(笑)

21歳になってもちゃらんぽらんな私ですが
家族も親戚も友達も応援してくれて
ありがたい思いでいっぱいです

フィジーへの愛

最後に私のフィジーへの愛を語らせてください!
私はフィジーが大好きです!
人柄、環境、考え方、歴史、文化、
何もかも意味が深くてかっこいい!!

特に私が大好きなフィジーの文化は
「Kerekere」です
簡単に言うとなんでもシェアする文化

日本の文化で置き換えるなら
「御恩と奉公」のような
でも恩を相手に期待するでもなく
誰にでも恩を渡しているような
恩をもらうことが当たり前なような
そんな感覚です

ケータイを貸したら1時間返ってこなかったフィジアン家族

最初のオリエンテーションでは
「Kerekere文化には気をつけなさい」
と言われました

私は生活の中で意識していなかったし
あまり実感する機会もなかったので
「自分の持ち物が勝手に使われる」
最初はそのくらいだろうなと
思っていました

でもある友達が言っていたんです
「Kerekereは強いコミュニティを作っている」
私はこれを聞いてから私はその文化を
意識して感じることにしました

知らない子がバスでお菓子をくれたり
知らない人とタクシーに一緒に乗ったり
ケータイを貸し借りしていたり
初対面でデザリングを要求してきたり
経費で落ちるものを自分で買ってきたり
ホームレスにお金や食べ物をあげていたり
友達とタバコを回して吸ったり
家に招いて家族のように扱ってくれたり

挙げたらキリが無いほど
たくさんのKerekereが
日常に散らばっていました

たった1日だけど家族のように仲良くなるフィジアン家族

私もKerekereをする側になろうと試みました
が、難しいものでした
日本で育ったが故に
自分のお金や見返りのことを
どうしても考えてしまいます

ですがフィジーには
貯金という概念がありません
お金もKerekereするからです

誰かが困っていたら
自分の生活は構わず助ける
もし自分が困ったら
誰かが手を差し伸べてくれる

これがKerekereの結束力です
日本にはない助け合いの極意
人の温かさに惹かれました

きっと私がいくら熱く語っても
フィジーの良さは伝わりません
観光で短期間行ったとしても
あんまりかもしれません

地元の人たちと生活を共にすることで
やっとフィジーの良さに
触れられるのかなと思います

誕生日会にお呼ばれした時

このフィジーマインドを忘れずに
日本でもカンボジアでも生活します!
そしてまたフィジーに帰って
恩返ししに行きます!

最後に

私が留学先をフィジーを決めた理由は
費用が安いから、途上国だから、
といった感覚的で安易な理由でした

その直感で決めたフィジーで
英語に加えそれ以上の
生きる上での精神を学ぶことができて
本当に心から感謝しています

そして快く送り出してくれた
家族、本当にありがとう
私は初めて実家を離れて生活して
両親や家族のありがたみを
深く感じました

これからもフラフラしながら
過ごす日々が何年か続くかもしれませんが
どうぞよろしくお願いします

そしてここまで読んでくれた方々
本当にありがとうございます
少しでもフィジーに興味を持ったら
是非フィジーにお越しください

独立記念日にもらったFiji waterと国旗

Au Domoni Iko(I love you)
Vinaka Vaka Levu(Thank you so much)
Moce Sota Tale(See you again)



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