見出し画像

【掌編小説】「三はきっと、いつでも神さま」

クリスマスにお正月。小学生のひかる月也つきやは、ジングルベルやお正月の歌を口ずさむ。さすがに外は早く日も暮れるし、寒いので今日は光の家だ。

「クリスマスケーキに、チキンに、お正月のおせち! 楽しみだね」
「ああ、月也。そういやおせちって、お前のとこは何段だ?」
「うちは三段だよ。光は?」
「俺んちも三段。けどな、五段とか四段も、あるらしいぞ」
「そうなんだ」
「五段のときは一番上に南天の葉っぱと実を飾って、難を転じる、っていう意味があるらしい」
「うん。おせちのひとつひとつの料理にも、健康にとか、いろいろ意味があるのは僕も知ってるよ」
「そういや、正月の鏡餅かがみもちも、三段だなあ。一番上にだいだいっていうちいさいみかんと、餅がふたつで。あれも何か意味があるのかな? 月也はどう思う」
「うーん、うーん、あっ! 日本のいちばんエライ神さまたちって、そういえば三人じゃなかった? アマテラス、ツクヨミ、スサノオの。それと関わりがあるんじゃない、光?」
「神さまのときは三ちゅうな、月也。あー、けど確かに橙が太陽っぽい感じだし、その下にふたつ餅があるもんな。言われてみりゃ確かに一番上がアマテラスで、下のふたつの餅が弟たちのツクヨミとスサノオを意味するって思えば、そうかもしれねえ」
「うん、きっとそうだよ! 日本のお正月におそなえするくらい、大切な橙とお餅なんだもの。アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三柱が、きっとこの三段のお飾りなんだ。おせちだってもしかしたら、だいたい三段になってるのはそうかも!」
「だからお正月にどっちもあるのか、在り得るな~」
「ねっ」

ふたりのあいだで、橙とお餅ふたつ=アマテラス、ツクヨミ、スサノオ、そしておせちの三段の意味すらもそうかもしれないという「三」に関わる新たな日本神話が誕生したようだ。

おしまい

※ 見出しの画像は、みんなのフォトギャラリーよりkeitaさんの作品をお借りしました。ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?