【掌編】神の薬

尾張の先、三河の許呂母ころもを治めていた皇子みこが亡くなった。垂仁天皇すいにんてんのうの皇子で、落別おちわけの王という。

父の垂仁天皇とも同様に、彼にも多くの子どもたちがいた。この地を治める跡継ぎを誰にするかを揉めだしたとき、誰ともなくこんな話になった。

「父皇子のため、神の薬を飲んで二柱となる勇気ある一族がいるのならば従おう」

この時代、貴人の死には殉死者を伴うしきたりがある。それを穏便に済まそうとしているのだ。

ここに三人の皇子の子どもたちがいた。若い少年ふたりとひとりの少女の三兄妹で、許呂母比古ころもひこ蚕比古かふこひこ許呂母日女ころもひめという。

優しい三人は、祖父の垂仁天皇が血みどろの戦いをしたのを知っている。

この美しい三河の許呂母の地がそうなるのは嫌だと、許呂母比古と蚕比古が薬を飲んで父の随神になることを決めたのだ。

今宵は三人の最後の宴だ。

豪気な少年ふたりは覚悟を決めてさっぱりと笑っていたが、末の妹の許呂母日女だけは溢れる涙を隠さなかった。

「許呂母比古兄さま、蚕比古兄さま……」

「おいおい、泣くなよ日女。俺たちは、薬を飲んで神になるんだぞ」
「そうだよ。跡目争いの戦いで、終わりそうにない殺し合いが続いてほかの地みたいにたくさんひとが傷付いたり死んだりするよりはずっとマシなんだ。日女のおなかには、次の許呂母の君になる子どもがいるのだから、僕らを笑って見送ってほしいな」

蚕比古の言葉にも、日女は泣き止まない。

「日女、おなかの子を触れてもいいか?」
「僕にも」

日女は涙ながらにうなずき、大きな腹にふたりの兄の手が触れるのを愛しそうに許した。

「おお、動いたぞ! 元気な俺たちの一族の新しい命だ。俺たちの分まで丈夫に育ててくれな」
「日女もいつまでも元気でね。僕たちは神になるのだから、必ず見守っているよ」

そうして、次の朝にふたりの兄は、神の薬を飲んで旅立ち、父皇子とともに葬られた。

(了、816字)


※ 作品補足

古事記の垂仁天皇の記述に登場する落別王さまは、現在の豊田市、昔は許呂母、挙母ころもと呼ばれた地で亡くなったという言い伝えがあるそうです。

豊田市駅の近くの児ノ口古墳(ちごのくちこふん、児ノ口社という落別王さまを祀る神社もあります)からは、高貴な人物が埋葬されたと思われる出土品とおふたりの人身御供が確認されていまして、ここが「衣の君 落別王」のお墓であろう、と石碑も建てられました。

ならばこの人身御供となったおふたり、二柱はどのような方々だっただろうかと思いを巡らせてこの物語が浮かびました。なので、出土したものの事実からもイメージをした創作日本神話となります。

許呂母比古、蚕比古、許呂母日女のネーミングは古事記の「三川許呂母」の記述と、お蚕さんの産地として明治の時代に興隆した元・豊田市、挙母市のことをモチーフにしています。

三兄妹という設定は天照大神さま、月読尊さま、素戔嗚命さまの神話をすこしお借り致しました。

ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。



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