CODAについて #呑みながら書きました
今日は #呑みながら書きました 本祭りだよ!呑み書きって何?という方は↓のnote読んでみてね!
呑み書きお供の一本目は、「喜多屋 寒山伏流水仕込スパークリング 寒山水」
さて、何書こうかなぁ。飲む前はさ、最近どハマりした推しについて書こうかなって思ってたんだ。暇さえあれば摂取してるから、嗚呼ヤベェな〜って思ってて、呑み書きとかなんか書く方法かなんかで外に出さないtとなって。なんだけど、今日、NHKプラスでさ見逃したドラマみたんだよね。
これNHKプラス入ってない人もリンク先見れるんかな。
見ようと思っててやっと見られて。聴こえる世界と聴こえない世界、二つの世界を行き来しているcoda。codaって言葉が浸透し始めたのもいつ頃なんだろ。そんな言葉ができる前から、聴こえない親をもつ聴こえる子どもたちはおるんだけどさ。
なんだろうな、何が引っ掛かってるんだろうな。
codaの映画やドラマなんか見るといつも、このままじゃダメだよなって思う。デフ・ヴォイスの前にも、映画で「COAD あいのうた」を見た時も、NHKでcodaの特集を放送していた時も。
この3つに共通して引っかかっているのは、親の通訳を子どもがしていること。聴者と聾(ろう)者の間にたって、子どもが、聴こえない大人と聴こえる大人と話す。それはスーパーで買い物するような日常から大人同士の話し合いまで。そこに子どもが介在しなければいけないことに引っ掛かっているんだろう。
子どもが子どものままでいられないから。
ちょっと2本目行きますね。2本目は松竹梅白壁蔵 澪 クリア。寒山水より甘め。
今、私が生きている「社会は、圧倒的に聴者の世界だ。日本の人口は2023年7月時点で約1億2400万人(財務省統計局人口推計)。そのうち聴覚・言語障害がある人は約34万人(NHKナンブンノイチより)。手話通訳士の資格を持つ人は約4,000人(NHKナンブンノイチより)。
聴覚障害者と聴覚障害を持たない者の間に立って通訳する人が足りていない。平均年収は低く成り手が少ないとのこと。もちろん資格はなくとも手話ができて通訳をしている人はもっといるだろう。それでも家庭内に聴こえる人がいればどうしてもその人に頼ってしまうのは想像できる。でも子どもに頼らないでいいようにしたい。
子どもを、子どものままでいさせてくれ。
デフ・ヴォイスの世界でも、聴こえる弟(草彅剛)が通訳するのは当然だ(意訳)ってセリフがあった。映画の「COAD あいのうた」でもそう。
子どもは小さな大人じゃない。大人の困りごとは大人が解決したほうがいい。じゃあ自分は何ができるんだって考えたら、聴こえない人とコミュニケーションが必要なときはcodaに頼らない、くらいしかないのよな。筆談でも身振り手振りでもいいから、自分が、相手と、コミュニケーションをとる。
日本手話と聴者が話す日本語は違うそうだから、多分、スムーズにかいわできないだろう。それでも大人がやるしかないんよ。だってそうじゃなきゃ子どもに負担がいくから。負担と思っていない子どももいるだろうけどさ。
あぁ。子どもが子どもでいられない状況にいることがすごく嫌なんだな、私は。
人生、大人になってからの方が長いんだから、わずかな子ども時代くらい子どもを満喫してほしいっていう私のエゴですわ。
さて、そろそろ締めようかね。
NHKのデフ・ヴォイスは再放送もあるだろうけど原作があるから、気になった人は読んでみるのもいいと思う。
あと、五十嵐大さんの本もある。こちらはノンフィクション。
それじゃあね。
マリナさん、無事到着したかな。ぷっかーのみんなありがとうね。お疲れ様です!
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