もう覚えていない、祖母の話。

小さい頃、よく祖父母の家に預けられた。小学生くらいまでは毎年お泊りに行っていた。いつも一緒にいるわけではないけれど、私にとって祖母は身近な存在だった。

そんな祖母からよく、戦争の話を聞いた。

それなのに、私はその話をあまりよく覚えていない。唯一覚えているのは、「平成になった今でも、救急車のサイレンで跳び起きて逃げようとしてしまう」というエピソード。あとは、妹を背負って逃げたとか、疎開先での暮らしが大変だったとか、そういう曖昧な、暗くて、ひもじくて、不安なイメージしか覚えていないのだ。

今になって思えば、自分は、戦争を経験した人から直接話を聞ける最後の世代だった。そのことの重大さに、当時小学生の私は気づいていなかった。分かっていたら、日記でも夏休みの自由研究でも何か記録を残していただろうか。ときどき、「なんでおばあちゃんはそんな楽しくない話を私にするんだろう?この話はお父さんやお母さんは知っているのかな?」と思うことがあった。けれど、私は父や母に対してそのことを聞く勇気がなかった。なんとなく、話してはいけないものだと思っていた。それと、祖母が自分たちの娘・息子に話せなかったことを代わりに私に話しているようにも聞こえていた。

祖母が話していたこと、あれはなんだったんだろう、と興味を持っていた時期もあったが、「日本の戦争の歴史について興味があります」と大ぴらには言ってはいけない気がして(この”空気”がどこから来たものだったのかは、自分でもよく分からない)、次第に戦時中のことについて、知ろうとすることを止めてしまった。

今では、それを後悔している。当時の人がどう考え、どう感じていたのか、もっと興味を持って聞いておけばよかったな、と。

私が知ろうとすることを止めてしまった後でも、戦争に関する映像やストーリーはだいぶ見聞きした。それによって、祖母の話の記憶が薄れ、それが、本当に祖母の話だったのか、それとも私が後から知った情報で補完したイメージなのか、分からなくなってしまった。

そうして残ったのが、ただただ、暗くて、ひもじくて、不安なイメージだった。

「みーんな燃えちゃってねぇ」「もう思い出したくもない…」

そう言った祖母が今になって再び同じ話をしてくれるとは思えない。というか、私にそんな話をしたことすら覚えてないかもしれない。

失ってしまった時間は、機会は、取り戻せない。けど、戦時中の体験を語る祖母の表情はまだ覚えている。思い出したくもないと言いながらも遠い目をして、記憶を手繰り寄せながら、しみじみと語る表情。きっと平和になって平穏な世の中になったから、話せたのかもしれない。

あの戦争は、今に繋がっている。もう75年も経つけれど、そう実感する事が増えた気がする。知らないでは済まされないような、、、

私にとって戦争は過去の出来事だけど、祖母のおかげで、全く身近に感じなかったものでもない。一度後悔しているからこそ、今からでも、日本の戦争の歴史について、興味を持って学びたいと思う。