「格闘家のセカンドキャリア」をつくる
自分が、格闘家のセカンドキャリアの場を作ることをビジョンにしたのか?
このことを振り返ってみようと思います。
23才でプロになった自分は、週6日ジムに通ってました。
格闘家としてチャンピオンを目指して、強くなるための練習を毎日欠かさずにやってました。
練習の空き時間を生活をするためにアルバイト。
喫茶店、引っ越し、ホテルの黒服、レストラン、工場、派遣、、、いろいろやりました。
1番好きやったのは、ウェイター。
どこで働いても、格闘技をしてる分、シフトに融通をきいてもらう立場なので、とにかく人が嫌がることを好んでやりました。
どこで、働いても1番仕事が出来るやつを目指しました!
何をしても1番しか興味がありません。
もちろん、合わない職業もありましたよ。
格闘技をしながら、怪我のリスクあるのに雇ってもらってる会社に感謝を返すためです。
ただ、練習の空き時間で得れる収入は少なく、生活は厳しくて、30才こえても実家暮らし、借金もありました。
今も覚えてるのは、
知らない居酒屋に入る時に、生ビールの値段が安いか?で料理が安い店か?判断してたなぁ。
そんな生活してたけど、格闘家としては、順調にステージ上がっていってたけどね。
今から、約10年前の32才の時に生活していくために町道場(現総合格闘技スタジオSTYLE)から起業しました。
当時の自分は、ジム経営と選手二足のわらじ状態で頑張ってました!
現役中は、強くなることが第一優先なので、今みたいに経営の勉強もあまりしてませんでした。だからたくさん失敗しました。
37才の時、格上の長南選手と引退試合で戦い、ボコボコにされました!
14年の格闘技人生に幕を閉じました。
引退後は、選手に掛けたエネルギーがジム経営一点集中になるわけです。
そんな時に、先輩経営者から、
「これからどんな想いで仕事をしていくの?」
と聞かれた時に、
とっさに出た言葉は、「自分と同じように困るであろう格闘家の引退後のセカンドキャリアをサポートしたいですね。」と言いました。
でも、それは心の中では、自分を良く見せたいから言ってたのが本心でした。
ただ、セカンドキャリアを言い続けてるうちに洗脳されたように、自分の魂が震えるようになりました。
それが、自分の使命との出会いです。
格闘技に命をかけて戦ってきましたが、今では格闘家のセカンドキャリアのためなら命かけるとハッキリ言えます。
世の中の難しい問題に対して、何も解決に向けて行動せずに、口だけで簡単に難しい、出来ないとか、言う人をたくさん見てきました。
それが、普通といえば、普通かもしれません。
自分は、せっかく関わった大好きな格闘技をもっとよくしたいです。
そんな仕事のやり甲斐が自分を半端なく成長させてくれます。
ってことで、
STYLEはキックボクシングパーソナルの業界の第一人者として、格闘技の選手志望対象のジムではなく、格闘技をフィットネスとして楽しめる場として新しい価値観を世の中に広めていきます。
特に今までは、ターゲットになりにくかった女性の方に満足して頂ける内観、プログラム、サービスに拘っていきたいと思います。
その中で活躍するトレーナーは、格闘家のセカンドキャリアの場として、引退後も格闘家が胸を張ってやり甲斐のある仕事をして輝ける場として存在します。
池本誠知
1975年8月24日生まれ
*K-1、PRIDE、DREAMなどのリングで活躍。
*2013年4月総合格闘家を引退。
*2017年よりプロレスラーとして活動。
*株式会社STYLE代表取締役
*第3代DEEPウェルター級チャンピオン
*一般社団法人日本キックボクシングフィットネス協会代表理事
*STYLE高等学院学院長
*STYLEグループ7店舗CEO
*2018ミスユニバース大阪キックボクシング講師
*2018ミセスジャパン大阪キックボクシング講師
*元関西コレクション神戸校キックボクシング講師
*プロレスラー
*モデル
ここに来るまでに、様々な挫折。試練。期待。裏切り。学び。使命に出会うまでを書いていこうと思います。
フォロー宜しくお願いします。
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