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正義感の強さは、ぼちぼちが1番生きやすい

僕は昨年までは、めちゃめちゃ正義感が強くありました。敵をつくっては、ぎらぎらしてました。

「こうするべき」「こうじゃないといけない」
「それはいけないこと」「あの人は間違ってる」と思っていました。

自分なりの正義を守るために懸命に『悪』と戦っていました。
毎日懸命に戦うもんやから、さすがに疲れ果てて…ストレスも溜まっていきました。

正義感という言葉にするとまるで「正義の味方」かのように聞こえますが

僕がやっていたことって『否定祭り』だったんです。

自分では肯定できないことや、自分の価値観から外れる色んなことに、都合よく『悪』というレッテルを貼るとラクで気持ちよかったんです。

「これは駄目」」「あれは駄目」
「この人は駄目な奴だ」「自分も駄目な奴だ」「これは出来ない」
なんて自分の心に正義感を纏って生きてきました...

自分で肯定できないことをなんでもかんでも否定しまうから、
世の中には悪い事や、悪い人で溢れている…
そんな感覚でずっと過ごしていました。
(だいぶんましになったけど、今でも自分自身もたまに悪になるので厄介で)

だから、普通に生活しているだけなのに、常に自分なりの正義感を持って毎日悪と戦っているような気がしていたんです。 
「世の中間違ってる」とか本気で毎日思っていました(笑)

今思い返しても、こりゃあ疲れるよね
正義感で周りの人や出来事はもちろん、自分のことまで痛めつけていたんだから。そんな正義感に溢れていた僕ですが、今は正義感がほとんどありません。ぎらぎらもなくなってきました。

心のことを学んでいくうちに、正義感がみるみる無くなってきました。そういう考え方もあるよね。その発想取り入れてみよう。とか

出来事への否定が減った部分に、肯定できる出来事が増えたんです

本当にこれだけで正義感が無くなったんです。

今まで悪いものだと捉えていた出来事や行動や人のことを
「それもありやな!」「それもいいね!」
「それも役に立つことがあるな!」
と思えるようになったんです。

否定が減ったぶん、余白ができ、肯定出来ることが増えたから、自分の中の正義感はみるみる減っていきました。

そしたら、毎日の生活での疲れやストレスがだいぶんましになり、減っていったんです。
心の中で戦うことを辞めたからかな。

今でもたまに正義感が湧いてくる出来事に出くわすことがあります

そんな時には
「あれ?正義感が湧いてくるってことは、
多分この出来事の何かを否定してるんやな」
と自分自身に問いかけて
「この出来事の役に立つ部分があるとしたら何なのかな?」
を考えて、なるべく肯定するようにしています。

すると、正義感がみるみる無くなって誰とも戦わず心が疲れないんです。正義感の強かった当時は周りのことばかり気になっていました。

だけど、正義感が無くなってきた最近は自分や大切な人たちのことをちゃんと考えられるようになった気がします。

自分や大切な人を大切にするためにも、正義感っていうものは、ぼちぼちが1番生きやすいのかもしれません。

今回の記事は、センターピースの亀井弘喜さん(犬飼ターボさん発案)から学んだことを記事にしました。

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