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令和元年にやりたいこと

令和元年になってしばらく経った。

このブログはというと、平成30年の投稿を最後に平成31年を迎えることなく令和初のnoteでのブログとなった。

ということで、「令和元年にやりたいこと」は、ブログをきちんと書く!と言ってしまうと、すでに終末の鐘がなってしまうので、ここは一つ違うことを考えてみようと思う。

令和

令和=レイワだ。
変わる前は、「あぁん?!一ヶ月前とかマジ対応無理じゃね?」
などと言われ、変わった瞬間は「いやいや、レイワて。命令の令はどうかと思うで」だの「レイワてゴロがわるいやん」など民からは不満しか出ていなかった模様だったのだが、5ヶ月もたつと令和に文句を言っている人はとんと見なくなったように感じる。

私自身はレイワという発音や字面は実は嫌いではない。
音の響きから「レイワ=0話」というイメージがあって、嫌いではない。
嫌いでは、ないのだ。大事なことなので3回も言った。

やりたいこと

そもそも私は、もともと趣味が多いほうだった。
10代に始めたものがほとんどだが
・バイク
・バンド
・ボード(スノーボード)
など。なぜか全部Bで始まるものだ。(スノボが強引とか言わない!)

バイクはZRXというネイキッドバイク。漢のKAWASAKIだ。もっとも水冷だったので、本気のKAWASAKIスト達には下に見られてたのだが。
バイク屋さんで出会った人の中に、ジムカーナという競技をやっている人達がいて、その人達にくっついて下手くそながらも400ccと戯れていた。
岡山県の交通安全大会という車両操作競技で初参加の部に出て
安全運転技術は低得点にも関わらず、タイムアタック競技が他の方にくらべて高得点で総合点で優勝してしまう、という惨事を巻き起こしたこともある。
あまりの恥ずかしさに表彰台だけは勘弁してくれ、と言ったが、周りから怒られて仕方なくもらったメダルだったが、入院していたジイちゃんをせめて喜ばそうとひきつった笑い顔と一緒に見せに行ったことを覚えている。
当時は、雨が降ろうが道が凍ろうが一生バイクしか乗らねーなどと吹聴していたものだが、22歳で車の免許を取り、半年ほどして最初の車を買うとそんな気持ちはどこへやら。車にのめり込んでいった。
歳は一回り上だが超イケメンで超々高年収だったバイク仲間が当時の私に「だって車は女の子と手をつなぎながら移動できるんだぜ」とドヤドヤの実の力と思われる顔でドヤってきたのを昨日の事のように思い出す。
お兄さん、それは道路交通法違反やで 笑

18歳で初めて入ったバンドはオリジナルバンドで、誘われオーディションのようなスタジオ練習が終わった直後に
「じゃ、1ヶ月後にワンマンライブ2時間やるからオリジナル8曲、カバー8曲覚えてね」と言われた。
初めてのライブはさんたんたるもので、他人、それも素人が書いた歌詞なんて覚えにくいものは頭の中に1/3くらいしかなかった。1/3の純粋な感情だ。
昔から音程はすんなりと覚えてしまう性質だったので、メロディこそミスらないものの、歌詞が出てこないのでそこまでの歌詞を判断しながら適当に作って歌った。終了後、怒られた
観客の皆さんには概ね好評だったのは覚えている。いい思い出だ。
今考えると、仕事で大勢の前で話す機会があっても特段緊張しないのはこのときの経験が活きているのだろう。
バンドはそれから子供が生まれるくらいまでの間、ほぼ途切れることなく様々な人達とやっていた。

スノーボードは19の時に行っていたバイト先の先輩が連れて行ってくれたのがきっかけで1回目からはまり込んでしまった。
当時は先輩の友人の四駆で、朝3時位に岡山を出て7時くらいに現地についたら少し休んで、終わりの時間までひたすら、それを毎週やっていた。
その後自分でレガシィという車を買ったあとは、自分ひとりでもよくお隣り県の鳥取県は大山に行って、同じくらい滑っていた。
今考えると、仕事で大勢の前で話してスベる機会があっても特段緊張しないのはこのときの経験が活きているのだろう。
自営を始め、レガシィなんて燃費の悪い車(注:ハイオクリッター8km)には乗れねぇ!ってなって二駆の軽に切り替えてからはもっぱらバスツアーになったが、朝8時とか9時に山に到着して、15時にはバスに戻らされるので消化不良感は否めず、たまにしか行かなくなってしまっていた。

思えば、11年前自営業を開始し、6年前に結婚し、5年前に子供が生まれ、趣味に割く時間の割合はどんどんと減っていき、とうのとうには無趣味にほぼ近い人間になっていってしまっていた。
おっと誤解を招いてはいけないので補足だ。
焦って誤解は禁物だぜベイベー♪
自営も結婚も子供の出生も、すべて自分、ないし自分の家族と決めたことでネガティブな思いはなかった。
趣味の代わりに仕事や家族に時間を割くことが、自分にとっての最優先事項となっていっただけのことで、趣味が減っていくことはどちらかというと喜ばしいとさえ感じていたのだ。

そして令和元年

令和の元年に私は離婚をした。つい先日のことだ。
まさか40を前に家族というものを失うとは露ほども思ってなかったが、ふたたび独りの身となり、仕事以外の時間をほとんど自分の時間として使えるようになった私は今、久しぶりにいろんなことを始めようとしている。

「バイク」は正直、歳を重ねた今の私にとっては少しハードルが高くなってしまった。しかも手をつなぐことこそないけれど、車の快適さを覚えてしまったので今はそんなに惹かれないのも事実だ。
少なくとももう数年は先でいいかな、などと考える。

「バンド」は今ふたたび始めようと曲作りとメンバー募集を並行中。
当時から別にプロを目指していたわけでもなく、何ヶ月かに1度くらいのペースでライブハウスに立っていた程度だが、またそのくらいの軽さでやれたらと思っている。

「ボード」も、40前の体力衰えた状態で飛んだり跳ねたりはなかなかできなくなっているのだけれど、今シーズンは北海道に滑りに行ってこようと思っている。北海道でひとり雪にまみれて日がな一日中スベり倒し、滑りちらかして来ようと思っている。

令和元年にやりたいこと

結局、令和だろうが平成だろうが、本質はあんまり変わっていない。
12年目に突入したスタイルエープラスは、少しずつ忙しくなってきたので前ほど趣味にも時間は割けないのだが、それでも孤独に押しつぶされない程度には色々楽しもうと思っている。

と、いうことで、誰かバンドやりませんか?笑

#令和元年にやりたいこと

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