羊文学と喫茶店、僕はふりだしに戻る

寝坊をした。

その日はアラームが鳴らなかった。
眠る前、朧気な意識の中では、いつも通りアラームをかけたつもりだった。
いや、確かにかけた。

それでも、その日、アラームは鳴らなかった。

目が覚めて真っ先に感じたのは、焦りというより安堵だったかもしれない。

初めて住んだ大阪の地で、初めて挑んだ飛び込み営業の仕事。
日々の生活では、拭い難い違和感が自分の中に積もるばかりだった。

着たくもないスーツを着て、ネクタイを締めて、革靴を履いて出勤する。
出社すれば、世間体とか見られ方に捉われて、本音一つも話せないような雰囲気に包まれる。
現場の営業の先輩方は、僕から見ると、体裁を取り繕って、思ってもない事を喋るのが上手い人ばかりだった。
違和感がまた、募っていく。

飛び込んだ先では邪険に扱われ、その人達は死んだような顔で働いている。
歩く街中で、飛び込む先々で、死んだ目をして仕事をこなす人々を見て

俺は、ああはなりたくない

強く、そう思った。

でも、今の仕事をし続けていると
今の環境に身を置き続けると
自分を殺して、取り繕う術だけ身につけて
確実に自分もその一員になっていく確信があった。


だから、その日、8時50分に目が覚めた時
初めて感じたのは、安堵だった。

前日の夜に、弟と電話で話した後
どうしても眠れなくて、ああ、もう出勤できないかもしれないと漠然と思った。
何故か笑えてきて、「明日、俺出社できないかもなあ」と独り言を言った。

アラームが鳴らなかったのは運命だったのかもしれない
なんて言うのは精神が参っているからだろうか


大学を三年間留年していた時期に、鬱に近い状態で永くを過ごした。
そのお陰で、働き出した今でも、ふとした時にその状態に戻ることがある。
七畳一間のワンルームが、自分の世界の全てだったあの頃の自分に

どうしようもない無気力に襲われて、一切を放棄して、眠りたくなる

大阪に来てから、その回数が圧倒的に増えた。
週末は、平日の皺寄せが来て、夜の18時まで泥のように眠った。

平日の反動で、自分の好きな服を身に纏って、夜の街を散策した。
本屋で本を買って、カフェで読んだりした。
それでも、蓄積した違和感は、喉の奥につっかえたままだったように思う。



寝坊したその日は、社内のカウンセラーの方と面談をする予定の日だった。
精神が不安定な事を踏まえて、以前から月に一度くらい、面談をして今の状況を聞いてもらっていた。

カウンセラーの方に今の状態を伝える。
相談した結果、精神科の病院に行ってみることになった。

重い腰を何とかあげて、電車に乗って病院に赴く。
雨が降っていたけど、傘を刺す気にはならなかった。

初めて訪れた精神科。ビルの2階にある小さな病院だったけれど、平日の夕方だというのにそれなりの客足があった。

1時間ほど待って、診察室に案内される。
60前後の男性の先生が話を聞いてくれる。

「話を聞いている感じでは、うつ病ではないと思いますね。恐らく、適応障害でしょう。
診断書を書いてあげるから、仕事を休まれた方がいいでしょうな」

経験を積んだであろう先生の言葉には、説得力があった。

明日からどうしようかと思っていたから、一応聞いてみる。「明日から、出社した方がいいんでしょうか」

「明日頑張って出社したとして、それが2.3日続いたとして、その内必ず出社できなくなりますよ」

その言葉を聴いて、正しくその通りだと思った。
先生の言葉を聴いて、腑に落ちた感覚があった。

適応障害の診断書を書いてもらって、ひとまずニヶ月休むことにした。

漠然とした違和感を拭って
いきいきとした顔で、生きていく術を
もう一度一から探してみようと思った

世間体なんてどうでもいい
稼ぎもそこまで多くなくてもいい
ただ、街を歩いて、困った人がいたなら、すっと手を差し伸べられるような
そんな自分でいられるように


家に帰って、無気力に襲われている時
彼女から電話がかかってきた。

最近の自分の状況も報告していたから、心配の電話だろうと思った。
今日あったことをつらつらと語った

彼女は一通り聴き終えると
「ちょっと離れるね」
と言って、電話を置いてどこかへ行ったようだった。
慰めの言葉でもくれるかと思ったから、少し驚いた。

帰ってきて
「私の思ってることを言うね」
「最近、私の好きっていう気持ちと、あなたの好きっていう気持ちが釣り合ってない気がして、それが今の自分には辛くて。こんな時に言うのもよくないとは思うんだけど、別れて欲しい」

彼女は言葉を振り絞るように
ゆっくりとした口調で、でも決意を秘めたような口調でそう言った。

その言葉を聴いて
今まで付き合ってきた彼女に、僕が言ってきた台詞そのまんまだと思った。

だから
彼女の気持ちはよく分かるし
もう覆りようがないのも確かに分かった。

自分で言ってきた言葉が、ここぞというタイミングで自分に返ってきたのだ。

「ちゃんと打ち明けてくれて、ありがとう。今まで、不甲斐ない僕と付き合ってくれてありがとう。別れよう。」

そんなことを伝えて、僕たちの関係は終わった。

女優の忽那汐里にとてもよく似た、綺麗な人だった。
ふとした時に見せる、何か物足りなそうな、物憂げな目が好きだった。
でも、僕はその目を眺めるばかりで
幸せとか楽しさとか、そんなものをいっぱいに孕んだ目に変えることは、僕にはできなかった。


2024年2月19日

どうやら僕は、ふりだしに戻ったようだった。

正しく、人生ゲームで、ふりだしに戻るのマスに進んだような感じだ。

でも、時計の針は確かに進んでいて、残りのターンで僕が進める距離は短くなってきている。
おまけに、自分を乗せた車のパーツは、所々錆びれて、手入れも必要だろう。

どう生きていこうか

世間一般で言うゴールじゃなくていい。
ただ、自分だけのゴールに、自分なりの進み方で、進んでいきたいと思う。

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