消耗していく女
スマホの画面に目をやる。
そこには気忙しく、
自分の存在価値を承認してもらうための「それ」が繰り返し画面を覆っていた。
いったい、この比較や承認はどこから来たのだろうと思う。
いや、「自分のため」に「よくなりたい」という欲求は
極めて純粋かつ尊いものだとも思う。
画面上特に私が気になるのは
異常に豊かな乳房に、ミニスカート
異常に小さな顔に、ぐりぐりと丸くて大きい目。
食事を食べているが、明らかに料理よりも
「私を見て」とばかりに見える写真。
いやはや私はそういった方々に
わざわざ嫌味を申し上げたいのではない。
「自分を見て」と思うのは、誰だってそうかもしれない。
でも、「誰かから見て魅力的な自分」ではなく、
「自分から見て魅力的だと思える自分」が
本質的には美しいのではなかと思う。
なぜ、斯くも他人の評価を得ようとするのであろうか。
案外私を見てと他者に評価を求める自分は
最終的には自分に対して「私を見て」と望んでいるのかもしれない。
私は思う。
自分の為に美しくありたいと感じた時
初めて自分の美しさを解き放つことが出来ると思うの。
混沌とした現在、
誰かを目指すのではなく
誰かの賞賛の為ではなく
もっともっと自分を知る
自分で自分に賞賛の言葉を贈られるように
頭のキレイな人を目指していきたいものです。