人生そんなに詰んでなかった

昨日はあまりの衝撃にめちゃくちゃ悲観して、親から死をチラつかされたこともあって「もう心中すればええやろ」とか思っていたのですが、いやいや待て待て。まだ舞える。そう思いました。まあ躁鬱なのでこれも一時的な気分の浮き沈みであって、また沈んだときには死にたがっているかもしれませんが。

やれることはまだまだあります。幸い実家は2軒あるので(この時点でクソ恵まれてる)、1軒売り払ったとしても帰る家はあります。というか帰る家があるだけで恵まれていませんか?今の住処を出てもまだ住めるところがある、これだけでありがたいことだと思います。

今の副業だけではさすがに生活が厳しいので何か仕事をする必要はありますが、実家暮らしとなれば話は別です。アルバイトでもなんとかなります。何も正社員として働くことが全ての世の中ではありません。自分の体に負担をかけない範囲で自由に働けばいいですし、一切贅沢をしなければ今の副業だけでもなんとか娯楽代くらいは捻出できます。

…なんてことを下書きに書いていたのですが、救世主が現れ子会社ごと救ってもらえることになりました。「自分が厳しいとき○○さんに助けられたのでその恩です、絶対に乗り越えましょう」と父親に連絡があったそうです。あーーー、ニート回避…神様…ありがとう…。ただ収入は減るので、都心のマンション暮らしは諦めですね。仕方ない。どこかを切り詰めないと無理が出ます。車も買い替えだな。

豪遊できなくなるのももちろん仕方ないでしょう。というか、お金でしか繋がれない関係ならここで断ち切るのが正解です。僕はお金がなくても変わらず接してくれる人のことだけ信じて付き合います。

自分にはお金しかないと思っていましたし、収入が増えれば増えるほどその思いが強くなっていました。でも、今仲良くしてくれている人たちって、僕のお金が目当てで仲良くなってくれた人たちでしょうか?違います。僕という人間を褒めてくれて、認めてくれて、そうして付き合いを続けてくれている人たちだけです。そうでない人たちは僕から切りました(笑)

僕の強みは傾聴力だと思います。多種多様いろいろな考え方の人が世の中にいますが、僕はどんな考えにでも耳を傾け、なるほどなるほど、と聞いてきました。ここで重要なのが、共感ではなくあくまでも傾聴ということです。なんにでも共感することは簡単です。うんうんそうだね、と相槌を打っていればいいだけですから。でも傾聴は違います。相手が本当に伝えたいことは何か、話の奥深くにあるものは何か、それを引き出す能力が傾聴力です。これを使って、前職の教育部門ではバリバリ活躍できていました。外国籍の新卒の子たちの本音を聞き出したり、就活中の学生の本音を聞き出したり。

でもその良さを最近殺していました。人の話は全然聞かないし、自分のツラいだとか鬱だとかそんなことばかり一方的に話して、共感してもらえないとすぐに病んで…。そんな話ばかり聞かされても何も楽しくないですよね(笑)

たくさんの人が僕のことを好きになってくれた理由ってなんだろう、というところに立ち返ってみました。それってやっぱり傾聴力だと思うんです。なんせ僕はINFP-Tなのでね(笑)

友人が傷ついたり悩んでいたりしていると、僕はそれを放っておけません。偽善でやっていると思われてもいいんです。でも放っておけないんです。時間の許す限りとことん話を聞いてあげたいと思うし、少しでも気分が晴れるように何か解決の糸口がないか一緒に探りたいと思うし、別にウザければウザいで無視してくれればそれでいいし。そうやって生きていました。

本当に誰かの幸せが僕の幸せなんです。でもそれを最近は履き違えていました。言い方は悪いですが、お金があればあるほど誰かに貢げます。つまり、「誰かを支えていると勘違いしている自分」に酔っていたわけです。でもそれって支えているのではなく、ただの善意の押し付けです。そういう善意の押し付けをするとどうなるかというと、必ず人は見返りを求めるようになります。人間って強欲ですよね〜。

他人ってどこまでいっても他人じゃないですか。たくさん何かをされたところで、お返しするにも限界があるし、そもそも他人が勝手にしたことなんだからお返しする必要もないんです。仮に僕が気になる異性に100万円のカバンをプレゼントしたとして、何も見返りがなかったとしましょう。でもそれって何もおかしいことじゃないんです。僕が勝手にプレゼントしただけなんですから。「セックスさせてくれなかった」とか「付き合ってくれなかった」とか、そう考えていたとしたら何もかも間違っています。おかしいです。頭が狂っています。最低です。人間のクズです。プレゼントをあげたいからあげる、何かしてあげたいからする、そこにそれ以上もそれ以下も何もないはずなんです。

でも最近の僕は完全に勘違いをしていました。これだけ何かしたのだから、僕のことを気にかけてくれる、付き合いを続けてくれる、だって僕にはお金しかないから。そう思っていました。

違いますよね。そもそも僕のことを気に入ってくれた理由って、全く違うところにあると思うんです。それこそ本当にお金目当てだったら、みんなもっと簡単に体の関係になったり、交際したりしているはずですから。だってその方がもっと簡単にお金を巻き上げられる。でも誰1人そうしない。まあ僕に魅力がないだけの可能性の方が大ですが(笑)
そういう意味では本当にいい人たちに巡り会えたと思っています。同性異性問わず誰1人として僕の「お金」を目当てにつるんでこない。僕という人間に価値を見出して、付き合いを続けてくれる。こんなに幸せでいいんですか?僕。

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友人と通話をしていて、「自殺する人間は自分のことが好きすぎて、好きじゃない今の自分を殺している」という話になりました。たしかにその通りだなと思いました。

何度も話している通り、僕は「自分」のことが大嫌いですが、「へたれくん」のことは大好きです。仮にこんな異性がもう1人いたら絶対に結婚しています。「自分」が究極に嫌いになったから死のうとしていたんだな、と思いました。

現実世界での僕をAくんと呼ぶことにしましょう。

Aくんはとても怠惰で、甘えん坊で、わけもなく鬱々としていて、他人にひたすらよしよししてもらわないと生きていけないゴミクズです。

一方のへたれくんは、とても明るく元気で、常にアホみたいなことしか言わないけれどもたまにユーモアを交えて鋭いことを言う、何年も彼女がいなくて変だけど多趣味で面白い人間です。

僕はへたれくんになりたいんです。常にそう思っています。でもへたれくんとして接していても、だんだんAくんという悪い自我が出てきてしまうたびに人間関係が上手くなくなっていく。

ひとつ気づいたことがあります。男女問わず、僕のことを本名で呼んでくれる人に対して異常なまでの執着や依存をしています。やはりここでも悪い自我が出てしまっているのです。へたれくんになりたい、でも本当はAくんのことを見てほしい、愛してほしい、助けて…。

しかし、本当になりたい自分はどちらでしょうか?本当に愛してほしい姿の自分はへたれくん?それともAくん?

僕は勘違いをしていました。Aくんを愛してくれない人は、Aくんが皮を被っているへたれくんという人格が好きなだけであって、本当の自分を愛してくれているわけではないんだ、と。

でも本当になりたい自分ってへたれくんの方ですよね。なら本当の自分はAくんではなくへたれくんなんです。元からたくさん愛されていたんです。

「好きじゃない今の自分を殺す」、そういう意味での自殺をしようと思います。嫌な自分とサヨナラするための自殺。Aくんは今日限りで死にます。だってそうすることで全てが前向きになると思うんです。嫌な自分は殺せる。なりたい自分にもなれる。

というかここで本当に自殺しても「あ、やっぱあいつ死んだんだ」で終わりですよね(笑)それなりに悲しんでくれる人はいるかもしれませんけど、「でしょうね」っていう感想の方が大きいですよね。「なんで死んだの!?」って惜しまれる人生でありたいですよ。やっぱり。

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何かを失うと何かを得られるとよく言いますが、まさに今回得られるものがたくさんありました。自分の価値はお金だけではないということ、ボロボロの状況であえて厳しい言葉をかけてくれる人は、本当の優しさを持っている人だということ、そして僕にはそんな人が何人もいるということ。ありがたい話です。

ーーーーオチがないな。どうしよう。とりあえず贔屓球団が強すぎて怖いというのが個人的ニュースでしょうか。2日間で33-0とかリンチにもほどがあります。この勢いで交流戦に突入したらセ・リーグを虐殺しかねない勢いです。また4勝2敗3ソとか言われるんでしょうか。なんだこのオチ。締まらねー。

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