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神のパラダイム変化

「神学の秘密は人間学である」(フォイエルバッハ)
 


神と人


 神はご自身に似せて人間を創造した。同様に,人間は自分に似せて神を見る。つまり人間は,心の成長段階に応じて,神観が変化するのである。

第一段階


 第一に,人間は「良い境遇を与える神」を信じる。いわゆる御利益信仰である。すなわち,彼の言う神とは,恵比須様のような福の神である。

第二段階


 第二に,人間は「勧善懲悪の神」を信じる。つまり,正義の神を信じるようになる。なぜなら彼は,社会的経験を積むことにより,全体的秩序(社会や宇宙)について思いを馳せるようになったからだ。正義なくして,なぜゆえ共同体を維持できようか。福の神は,子どもをただ甘やかすだけの親に等しい。本当に子を愛する親は子を叱るように,神の愛は神の怒り(正義)を包含するのである。

第三段階


 第三に,人間は「試練を与える神」を信じる。教育者としての神,父なる神である。勧善懲悪の神は,因果応報を前提にしている。つまり,「善い人間は幸福になり,悪い人間は不幸になる」ことを前提にしている。しかし,この世界の現実は,善人が泣いて悪人が笑う。因果応報の矛盾,これこそ旧約聖書の義人が嘆いた世の不条理である(ヨブ記)。
 ならば,なぜ神は,善人に悪い境遇を与えるのか?なぜ神は,正しい人間に逆境を降し給うのか?なぜなら神は,期待する人間に試練を与え給うからである。将軍は軍人を訓練する際,強兵ほど厳しい試練を与える。それと同じように,神は大きな使命を果たすべき人間に厳しい試練を与え給う。

第四段階


 最後に,人間は「苦悩する神」を信じる。イエス・キリストの神である。神学者オリゲネスが喝破したように,「神の苦悩」こそ最高の宗教的秘儀である。
 全知全能の神は,愛の神である。これ,大きな矛盾である。なぜか?もし愛の神が全能ならば,なぜゆえ,罪なき子どもが苦しまねばならぬのか?イワン・カラマーゾフが神に訴えたように,無垢な子どもの涙を放置するのが神の御心なのか?(ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」)「もし神の国成就のために罪なき子どもの涙が必要ならば,俺はそんな神の国の入場券を拒否しよう」このイワンの言葉こそ,神に対する最も鋭い攻撃である。

究極の問い


 なぜ,「神の愛」と「世の悪」が同時に成立するのか?その答えは,イエス・キリストの十字架である。神は,その独り子を犠牲にするほど,罪深き世に苦悩しているのである。神は,人間に自由意志を与え給うた。そして人間は,この自由意志によって,不条理な世界を造ってしまった。神が待ち望むのは,人間が己の自由意志によって悪を克服し,世界を神の国に変えることである。神は,人間の自由を重んじるが故に,強制力を行使しない。だからこそ,今まで苦悩してきたし,今なお苦悩しつつある。愛と自由,この二つの矛盾衝突こそ,神の苦悩の原因である。そして,イエス・キリストの十字架こそ,神の苦悩の具体的表現である。

神から神へ


 人間は,己の姿に似せて神を見る。すなわち,神の観念は,その人間の本性を表現している。では,どうすれば,神観を発展進歩させられるのか?それができるのは,神のみである。生ける神のみが,人間の神観を変化せしめる。故に,人間が神に祈る第一声は,「私の神観を正して下さい」である。

「主よ,あなたの御名が聖(きよ)まりますように」(ルカ伝11-2)
 

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