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福音とは何か?~イエスの教えの本質について~

意味論的研究


マタイ伝について


 新約聖書には,四つの福音書があります。マタイ伝・マルコ伝・ルカ伝・ヨハネ伝です。一般的には,マタイ伝が福音書の先頭に記載されていることから,マタイ伝のことを第一福音書と呼びます。「なぜ,マタイ伝を福音書の先頭にもってきたのか?なぜ,マタイ伝を新約聖書のトップバッターにしたのか?」これらの理由はわかりません。しかし,古代のキリスト信徒たちが,マタイ伝を最重要視したことは確かです。彼らは多分,マタイ伝を福音書中の福音書として認識していたのでしょう。
 では,マタイ伝における福音とは,一体何なのでしょうか?マタイ伝に記載されているイエスの言行録,その言行録から類推される福音の奥義とは,一体何なのでしょうか?答えを予め申し上げますと,それは「神の国にふさわしい生き方」です。イエスは,説教によって神の国の生き方を示し,己の生涯によって模範を示したのであります。

言語世界の理解


 聖書にせよ仏典にせよコーランにせよ,あるいは,哲学書にせよ文学書にせよ,何らかの文書を理解するためには,著者の言語世界を知る必要があります。著者の頭の中にある言語の意味や言語同士の繋がり(これを言語関連網と呼ぶ)を理解しない限り,文章の意味を正確に理解することはできません。
 言語関連網は,樹木に譬えることができます。その根にあたるのは,著者の言語世界の根源である「焦点語」です。その枝にあたるのは,著者の価値基準を表現した「第一次言語」です。さらに,その葉っぱにあたるのは,価値基準によって善悪に区分された「第二次言語」です。違う表現をしてみましょう。言語世界を軍隊に譬えるならば,焦点語が司令官,第一次言語が部隊長,第二次言語が兵卒です。敵陣を突破するには司令官を攻略すればいいように,著者の言語世界を知るためには焦点語を見抜く必要があります。

マタイ伝のメッセージ


焦点語の解明


 マタイ伝の焦点語は,βασιλεια(バシレイア)です。意味は「神の国」です。また,マタイ伝には,もう一つの焦点語が存在します。それは,δικαιοσυνη(ディカイオシュネー)です。意味は「正義」です。神の国が根をはる大地だとすれば,正義は樹木の根になります。正義は神の国に立脚し,神の国は正義によってこの世に顕現するのです。
 マタイ伝において,「神の国とその正義」が焦点語です。ということは,他のすべての言葉は,焦点語を中心に回っていることになります。その証左に,イエスと洗礼者ヨハネでさえ,マタイ伝にとっては副次的な意味しか与えられていません。つまり,彼らは「神の国の教え」を説き,「神の国の正義」を実行する媒体なのであって,独立した言語的意味を与えられていないのです。
 Ιησους(イエス)やΙωαννης(ヨハネ)でさえ焦点語の出先機関でありますから,その他の言語はなおさら独立的意味を与えられていません。すべての語は,「神の国とその正義」によって価値規定されています。マタイ伝において,神の国にふさわしい生き方こそ善であり,それに反する生き方は悪です。善とはイエスに従うことであり,悪とはこの世の傍観者になることです。前者を「高価な恵み」,後者を「安価な恵み」と呼びます。前者に属する語が,νομος(ノモス),δικαιοι(ディカイオイ),ποιειν(ポイエイン)です。意味は,律法,義人,実行です。つまり,イエスの教えを実行し,律法を実現する者こそ,神の国にふさわしいのです。一方で,後者に属する語が,ανομια(アノミア),υποκριτας(ヒュポクリタス),ειπειν(エイペイン)です。意味は,無律法,偽善者,おしゃべりです。つまり,口では綺麗ごと(愛や憐れみなど)を言うがイエスの教えを実行しない人間は,神の国にふさわしくないのです。

マタイ伝はイエスの伝記ではない!


 マタイ伝の言語世界がお分かりになったところで,マタイ伝の中心メッセージに移りましょう。そもそも,マタイ伝はどういう文書なのでしょうか?マタイ伝著者は,どういった意図をもって,この書を論述したのでしょうか?
 マタイ伝とは,「神の国の生き方を論述した体系書」です。多くの聖書注解者が見逃している事実ですが,この文書は,きわめて体系的に,しかも長年に渡って加筆・修正を繰り返しながら完成した「キリスト者の教科書」なのです。
 マタイ伝の中心は,イエスの説教である「山上の垂訓(4-12~7-29)」です。これ以後の文章は,神の国にふさわしい生き方をイエスが実行する部分です。つまり,イエスは神の国にふさわしい生き方を教え,その後に模範を示したのです。

「憐れみある者は幸いである」
8-1~10-42は,イエスの憐れみを示した記事です。

「心の清い者は幸いである」
11-1~13-52は,神の子の心情を示した記事です。

「平和を作る者は幸いである」
13-53~18-35は,平和の母胎である教会(エクレーシア)を形成した記事です。

「義のために迫害される者は幸いである」
19-1~25-46は,イエスが“敵の本陣”であるエルサレム(宗教的中心地)で戦い迫害される記事です。

 このように,マタイ伝は,読者が体系的に福音を理解できるよう,きわめて注意深く書かれています。
 あーだこーだ理屈を述べましたが,マタイ伝のメッセージを一言で申し上げれば,「イエスのように生きよ!」です。よく学び(μαθητευειν),よく祈り(προσευχεσθαι),人々を憐れむ生活を送り(σπλαγχνιζεσθαι),イエスの精神に則って生きること。マタイ伝に度々登場する言葉「信仰の薄い人よ」「勇気を出しなさい」「恐れるな」は,“キリスト者として生きようと努める人々に対する励まし”と受け取るべきでしょう。

結論


 マタイ伝の中心である「山上の垂訓」は,後日詳しく解説します。いずれにせよ,マタイ伝の中心メッセージは,「キリストに従え!」「神に服従せよ!」です。このマタイ伝の精神をよく理解した者に,ガンディーとボンヘッファーがいます。もし福音中の福音であるマタイ伝の注解書をお探しならば,ガンディーの「自伝」やボンヘッファーの「服従」を読んでみてはいかがでしょうか。
 

以下は参考文献です。

ガンディーとボンヘッファーの生涯と思想について

マルコ伝とヨハネ伝の意味論的研究について

聖書の聖句を味わうために


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