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ボス誕生!

こんにちは。
「究極の塾経営突破術」
「究塾」の石原です。

おしかりを受けました。

「志望校の推薦基準に1点足りません。」

お母さまから。
受験校決定の最終面談の席で。

当時は、バブル期で過熱気味の私立ブームでした。
まだ公立高校の改革が行われる前のことで、なかなか希望通りの学校に行けない「バス停方式」と呼ばれるシステムのため公立が相対的に不人気でした。

何のことかわからないと思うので少しだけ補足しておきます。

公立普通科にはⅠ類・Ⅱ類・Ⅲ類という類型があり主に多くの学校はⅠ・Ⅱ類を設置しているのですが京都市内を大きく4つの学区に分けて、類型ごとの合否の後は受験者の希望ではなく住まいの最寄りのバス停で高校が決まるというシステムです。

いわゆる総合選抜です。

良い意味で学校間格差はないのですが、競争原理が働かないからか大学進学状況があまりよくありませんでした。
京都にいながら京都の大学に行けない印象でした。
逆に私立は進学に力を入れる学校が増え、それぞれが独自の強みをアピールしていました。

男女共学化の流れも私立ブームを後押ししていました。

その私立ですが、専願・推薦入試を希望する場合それぞれに通知簿の基準があり、それを満たさないと受験できない場合もありました。

おしかりを頂いたお子さんの場合は志望校の推薦受験を希望していましたが通知簿が1点足りなかったということです。

その場合、専願で受験できますが、推薦ほど確定に近いわけではありませんので不合格の場合もありえます。

頑張り屋のお嬢さんで中3年スタート段階から模試の偏差値も7アップしてよく伸びてくれたなあと感心していましたのでショックでした。(涙)

以前触れた、確認テストシステムがこの塾のコアでした。

テスト処理のスケジュールの縛りがあり、そうでなくてもスピードの速いカリキュラムに振り回されていました。内申が重視されない入試に向いているシステムでした。

それを遵守するだけでは地域のニーズを満たすことができませんでした。

求められていたのは、内申点のアップでした。

これは公立入試でも同じで当時、京都の公立高校の内申比率は当時45%程度あったと思います。

「それで在籍数が伸びるのなら」と上長に一旦テストの処理を止めてもらい、内申点アップにコミットした指導体制を自教室のみ実験的にスタートさせました。

テスト対策の補習を長時間やり…

予想問題を作り…

まず、今でもどこかの塾でやっていそうなことをやり続けました。

結果は…

以前よりは改善しましたが、画期的とはいきませんでした。

一番痛かったのは、受験が終わると担当講師が退職していくことでした。
そう。自分を犠牲にしてよく頑張ってくれていました。

教師からのアウトプットばかりで疲れ切っていたのだと思います。
申し訳なかったです。

余談ですか、当時の講師Aくんと先日20年ぶりぐらいに六本木1丁目でばったり会いました。大学卒業後、関西のエネルギー大手に就職し、その後、東京の金融関係に転職。今は関連の子会社に出向して執行役員をしているとのこと。

みんな優秀な講師たちでした。

こんな優秀な講師たちと子供たちがお互いに成長できる指導方はないものかと日々考え悶々としていました。

次の年度から内申対策の抜本的な見直しをすることにしました。

今までのやり方だと、瞬間的には成績は伸びますが、かかわり続けないと自分ではできない…

子供たちの力を信用していなかったからです。

でも…なにからなにまでお世話では、時間も労力も足りないばかりか高校に進んでからの学習の基盤が作れない。

では子供を信用できる条件を作ればよいではないか!

逆転の発送でした。

次回に詳しく触れますが、その逆転の発想によって素晴らしい塾づくり
と人材育成が可能になりました。

当時の講師たちは現在、ほぼ全員が塾ではない異業種で中堅として活躍していますが、口をそろえて

「ボスのおかげで、講師時代に仕事とは何かを学んだ。」

とありがたいことを言ってくれます。

私は、彼らから「ボス」と呼ばれていました。それをまねして生徒たちも
わたしのことを「ボス」と呼んでいました(笑)

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