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すべてのひとに鐘がひつよう

このミニコラムは、NPOグリーンズの会員制度「greenz people」の方限定のメールマガジンからの転載です。

すべては関係性からはじまる。

であればこそ、“ファシリーテーター”という肩書きではなくとも、オンライン、オフライン問わず、何らかの場を開く機会は、ますます増えてきているのではないでしょうか。

そして、そんな場を調えるために大切な道具のひとつが、はじまりや終わりの合図にもなる鐘です。

マインドフルネスを世界的に広めたティク・ナット・ハン師は、鐘の音をマインドフルネスへと誘う呼び声と捉え、「打つ」でも「鳴らす」でもなく、「鐘を招く」と表現しています。

仏具の「おりん」でも、チベタンベルでも、音叉でも。

ひとたび音がなり、その響きが背景に溶けて止むまでの心地よい静寂、沈黙の中の言葉ではないコミュニケーションこそ、実はいかしあうつながりが、社会を変容するほどの確かな力が生まれる瞬間なのかなとも思うのです。

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僕がよく使っているのは、古道具屋さんで購入した、年季の入った鐘。

深いリトリートを目的とした場ときは「カーーン」という響きのある別の鐘(金剛鈴)を使いますが、こちらは「カランカラン」という乾いた音で、なんとなくカジュアルな感じがちょうどよく、気に入っています。

難点は、揺らすだけで音が出てしまうことで、何も意識せずに持ち上げると音が鳴ってしまい、場に何らかのメッセージを発してしまいます。

だからこそ、スーっと持ち上げようとする時点で、自分がいま、ここにいることができているのか、マインドフルネスが試される感じになるのです。そういう意味では、音が鳴る前から、何かに招かれているのかもしれません。

ということで、きっとそれぞれが大切にしているおりん、ベル、音叉、チャイムなどがあるはず。みなさんの愛用の鐘があったら、ぜひ教えて下さいね。ただシンプルに、音を招きあう会があっても楽しそうだな〜、なんて思っています。

※タイトルは『すべての人に石が必要』という大好きな絵本のパロディでした。

はじめまして、勉強家の兼松佳宏です。現在は京都精華大学人文学部で特任講師をしながら、"ワークショップができる哲学者"を目指して、「beの肩書き」や「スタディホール」といった手法を開発しています。今後ともどうぞ、よろしくおねがいいたします◎