見出し画像

アルゼンチン•世界の果ての街ウシュアイア

南米大陸最南端の街、ウシュアイア。ここにはビーグル水道があり、世界の果ての灯台があります。

ジュール・ベルヌの小説で有名になったこの灯台は、映画「世界の果て」にも出てきますし、「世界の中心で愛を叫ぶ」の舞台にもなった場所です。

ウシュアイアの街

南極ツアーが出る街としても有名で、訪れた3月末はスキーに行けそうな服装になりました。
ブエノスアイレスから飛んだのですが、ブエノスはまだ半袖で過ごせます。
気候の違いに大陸の大きさを感じますね。

風の強いアップダウンの激しい街で、港近く以外は住宅しかありません。
スーパーに行くにも一苦労です。

港近くはレストラン、ゲストハウス、ホテル、お土産やさんなどが立ち並び、冬服も一通り買い揃えられます。

世界の果て博物館

ウシュアイアで外せないのが「世界の果て博物館」Fin del Munsonという名の博物館は本当に果ての博物館なのです。

フエゴ諸島の自然と、先住民の暮らしなどが展示されている博物館です。
ここで衝撃の発見がありました。

小さな図書スペースがあり、世界地図を見ていたところ、
Japan sea
が二重線で消されて
China sea
と書き直されていました。
これはかなりの衝撃でした。

この博物館では、世界の果てのスタンプを押してもらえます。
私はパスポートの最後のページに押してもらいました。
が、パスポート自体が無効になってしまう可能性もあるので、よく確認して下さい。
何事もなく10年使い切りましたが、保証はできません。

https://findelmundo.tur.ar/es

ビーグル水道クルージング

船着場から、クルージングツアーがたくさん出ています。
俗に言うヨットというのに乗り込み、

ビーグル水道を一回り。

しかし、かなり揺れます。船酔いしたため、下に降りてソファで横になりましたが、水面より下はなお辛く、甲板で項垂れてました。

そして、風が冷たくて強い!!

エクレール灯台

世界の果ての灯台と言われている、エクレール灯台は、1920年に作られました。
今でも機能している灯台です。
なんと無人灯台で、遠隔自動操作されているのだそうですよ。
太陽光パネルで電力を取っていますが、季節なのか曇りの印象が強いウシュアイアです。
電力が足りてるとは思えないのですけどね。

ビーグル水道には小さな島が点々とあります。エクレール灯台は、エクレール群島にある灯台です。
世界の果てと言われていますが、実はエスタドース群島にある灯台のほうが「果て」なのだそうです。

群島に降り立つ

諸島にはオットセイが生息しています。夥しい数のオットセイが群れをなして並んでいるのですが、その臭さは船酔いに拍車をかけます。

それでも、野生のオットセイを観察できるのはすごいですね。

群島の中の1つに降り立ちます。島の名前は分かりません。
こんなに地球の南側へ来たのは初めてです。

ウシュアイアは世界の果てなのか

実は、世界地図をよく見ると、ほそながーいチリの最南端プエルト・ナバリノの方が「果て」です。

ただし、人が暮らしている街としてはウシュアイアが最南端のようですね。

個人的には、ウシュアイアよりも少し北にある、カラファテの方が「世界の果て」度は高く感じました。

ウシュアイアはまばらながらも観光町なので、果てと感じる事が少なかったです。
市街地から外れると、荒野のような景色と真っ直ぐ続く一本道。
カラファテの旅はまたの機会に。

ウシュアイア空港

ロッチのような丸太造りの小さな空港。空港と呼ぶには可愛すぎます。
南米大陸の南を広大さと自然を味わいながら、バスで移動するのもおすすめですが、このカラファテ空港はぜひ見に行ってください。

世界最南端の日本人宿


かつてウシュアイアに世界の果ての日本人宿がありました。
実は今でもあると思っていたのですが、閉鎖されたようです。

上野先生ご夫妻が暮らしていた上野山荘。

2007年に訪れた時には、すでにご主人は亡くなられていて、夫人が経営されていました。
その夫人もお年を召していて、体調があまりよくなかった様子でした。
宿の管理も長期で滞在している宿泊客が行っていました。

出迎えてくれたのは、宿泊客の人たち。宿のルールなどを一通り教えてくれてました。
順番に犬の散歩もしました。
人の家庭にお邪魔したような、暖かい宿でした。

上野山荘の醍醐味は、五右衛門風呂。すでに当時はお湯を入れるだけのものでしたが、湯船のない国を渡り歩き、寒いウシュアイアの地では極楽でした。
上野山荘にあった交換ボックス。
旅行者が不要になったものを入れていく箱がありました。
干したまま忘れてきた私の洗濯物も、誰かの役にたったのか、ふと思い出します。

南極帰りの人もいるので、この地でしか使わないニット帽や手袋などもありました。
そして、物々交換で必要なものを持っていって良いのです。

実はその時妊娠4ヶ月(多分)。ブエノス・アイレスで産婦人科を訪れ。ウシュアイア旅行okをもらって飛びました。
陸移動を避けたのもそのためでした。
まぁ、医者に行ったところで誰が責任持つわけでもないのですが、片道は陸路で行きたかったですね。

上野山荘から乗り合いタクシーで市街地に出ようとしていると、ご夫人に
「若いんだから歩きなさい!30分も歩けば着くのだから」
とハッパをかけられ、市街地まで毎日歩くのが日課となりました。
体調芳しくない中、自宅に招きお茶を入れてくれてるような方でした。
その上野夫人が亡くなられたのは、2年ほど後の話でした。

旅行者が変わり番に管理するとのことで、上野山荘は今でも継続されていると思っていました。

しかし、主の手を離れた宿は形は残っても変わってしまうのでしょう。

ブエノス・アイレスには、上野先生の娘さんがやっている、上野山荘別館があります。

上野ご夫人に出会えたこと、上野山荘に泊まれたことは一生の思い出です。
世界の果てで人の暖かさを感じた旅でした。

思い出深いウシュアイア。時が立っても世界の果ては変わりません。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?