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漫画 高校生〜投稿時代

✏️玉川重機(旧ブログより転載 2008年7〜8月の記事です)

1986〜7年 高校生時代 同人誌『帝国文学』

■ 帝国文学 1

玉川には保育園時代から、一緒に漫画を読み、描きしていた仲間が二人いました。
その二人、前田君、岡林君と高校時代に作った同人誌がこの『帝国文学』です。
奥付を見ると、1987年となってる。

同人誌といっても高知には即売会なんてのもないので、ただ、ただ、「今、作っとかないと、なんか・・・」というヘンな焦りで作ったのでした。

岡林君がワープロで写植を貼り、玉川はストーリー漫画三本と記事一本、前田君はシュールギャグ漫画を三本と4コマ一本。
半年がかりで作った気がします。

二人とは玉川が東京砂漠で流れ流れている内に連絡がとれなくなってしまいました。
どうしているだろうか。元気でいるだろか。
会いたいです。

  ↑前田君の漫画。


■ 帝国文学 二之巻

幼馴染みの漫画仲間、前田君、岡林君と作った漫画本の第二弾。
奥付見ると1986年12月24日となっている。

この頃、高2の玉川は実家の「玉川重機」が潰れたりしたので高校生ホームレスとなり二人の家を転々としてました。
そんな中、作った本です。
毎日学校休んで本屋で一日中立ち読みしたり映画見に行ったり漫画描いたり。
なんだか楽しかったなぁ。
瞬間、将来思って背筋が凍る事もあったけど。
でも、それ以上に二人と漫画合宿をしてる感じが嬉しくてしょうがなかった。

帝国文学#1を読んでくれた人の中に漫画好きな人がいて新たに三人一緒に描いてくれました。
自分で言うのもなんだけど、バラエティにとんだ一冊になったと思います。

あの時の空気が凝縮されてる一冊。
今、見ると恥ずかしさと切なさと愛おしさが込み上げてきますよ。

天国に一番近かった時代。

  ↑玉川の手による総扉絵です。

 ↑マスタツ先生こと前田君の漫画。

特集記事『妖怪大好き』の中のコーナー『君も毒虫小僧になろう』です。当時、玉川達の間では日野日出志先生の漫画『毒虫小僧』が大ブレークしてました。


1991年 22歳 『麦酒の森』 投稿作品

森でビールを飲む少女と森にいる事が好きな少年とのボーイミーツもの。
投稿したけれどかすりもしませんでした。

今、読み返すと感動を与えようとしているのはわかるのですが当時はまっていた漫画『ジョジョの奇妙な冒険』をいたる所でまねてて、演出が『ロマンホラー!深紅の秘伝説』になっててこれではハートウォームがやってくるはずもなし。
脇役にポルナレフがフランスパンになったみたいなやつがいる。

 若さが恐ろしい。 


1992年 23歳 『レガースの色はサボテンの色』ぶ〜け投稿作品

赤裸々に恥ずかしい絵も載っけますよ!

玉川が漫画の業界にアシとして入ったのは25歳の時。それまでは投稿ばかりを繰り返してました。投稿時代は一度も賞をもらった事がありません。
これは23歳の時に『ぶ~け』という少女漫画誌に投稿した漫画、
『レガースの色はサボテンの色』の扉絵です。
レガースとは格闘系プロレスラーが当時こぞってスネにつけていたパッドで足のグローブみたいなものでしょうか。
絵柄は大好きな大島弓子さんをまねてます。

「これからは少女漫画も格闘の時代だ」と勝手に奮い立ち、格闘少女漫画を描きました。
主人公の格闘技研究部の部長の女の子が部費をめぐって生徒会長と対決しラスト、緑色のレガースを足につけハイキックでKOするという少女誌における戦略も戦術もまったくない暴走漫画。
しかし、当時の玉川は「これで1歩、大島弓子先生に近づいた」と達成感にうち震えていたのでした。
今、読み返すと主人公の父親が少女漫画にはありえないランニングにステテコ姿。

 若さとは明日なき暴走。


1993年 24歳 『地下酒場より愛を込めて』

これも投稿作品『地底酒場より愛をこめて』です。
1993年頃に描きました。
トーンのフラッシュは削り甘いし、重ねばりはモワレてるしでシロウトまるだしの絵です。
絵柄が当時、影響受けてた佐々木倫子先生にそっくりです。
高知出身だからかどうかわからないけれど、とにかく酒にまつわる話を気がつくと描いてました。
不思議といえば不思議。


1993年 24歳 『たたいてみれば天国の扉』 投稿作品

『たたいてみれば天国の扉』は漫画の業界に入る前に投稿用に描いた漫画です。
24歳の時でしょうか。

一週間後に死ぬ事を天使に宣告された少年が死ぬまでの間に「生きる」をするという話でした。
トーンを使った漫画はこれが最後になりました。
この次に描いた漫画がハヤ子でした。


1995年 26歳 『コークスクリューのはっつあん』 投稿作品

『コークスクリューのはっつぁん』は投稿時代に描いた漫画です。

玉川は格闘技が好きで、昔、佐山聡が提唱していた「コークスクリューキック」に心底ほれこんでいました。
それで、「必殺のコークスクリューキックを使うホームレスがいたら」と思って描いた漫画です。
編集さんが、漫画の原稿を見てくれる会みたいなのがあって、それにこれ持って行ったら、編集さんと講師として一緒に来てらっしゃった塀内夏子先生、むつ利之先生が「これは個性的すぎる!」とおっしゃってくださったのを、いいほうに捉えてしまい、パート2まで描いて投稿してしまいました。
かすりもしませんでした。

返却希望してたけれど帰ってこなかった。

最近になって、知らない若い女性編集さんが「はっつぁん、おもしろかったですよ」と言ってきて戦慄を覚えた記憶があります。
あの漫画、今はどこにあるんだろか。

1995年頃に描いた漫画になるのだなぁ。

公園に逃げ込んで来た銀行強盗をコークスクリューキックでKOしたあと、脇固めまで決めてしまうやり過ぎのはっつぁん。


©️玉川重機/スタジオたとる 1985〜1995

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