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終戦の日に ーー55人の子どもが消えた『少年十字軍1939』より
B・ブレヒト作 ジュン・ヒライ絵
野村修訳『少年十字軍一九三九』より
一九三七年、夏、ポーランドに、血なまぐさい戦争があった。ドイツ軍だ、攻めてきたのは。あわてて迎え撃った、ポーランド軍。
しかし、訓練に訓練を重ねたドイツ軍の強さはまるではげ鷹。鳩のようにひ弱なポーランド軍が、勝てるわけはない。
舞い上がる煙と血のにおい……。美しいポーランドの野や、はたけは、荒らされ、傷だらけになった。破壌された、町も村も。死んでいった、おおぜいの人が。
きょうだいは減り、両親のない子どもがふえ、家族たちはちりぢり。電話は不通。新聞も読めない。ラジオも聞けない。
だから、ほかの国の人々は何も知らなかった。あの、美しいポーランドが、どうなったのか。
そうして秋がすぎ、やがて雪がふりはじめた。
――そのころだった。ひとつのうわさが、人々の口から口へ、ささやかれはじめたのは。
それは〈少年十字軍〉のうわさ。
小さな少年少女たちの一団が、ポーランドを出て、どこかへ向かって歩いているという。
食べるものもない飢えた子ら、両親を失った、みなしごたち。寒さを防ぐこともできない、ボロボロの服そうで歩く少年少女たち。こわれた町や村を通るたびに、ひとり、またひとりと加わってくる、みなしごたち。何もないのにふえるのだ、人数ばかりが。
「ねえ、ぽくたちどこへ行くの?」
小さな男の子が、少しだけ大きい子にたずねる。少しだけ大きい子が答える。
「遠くさ、職争なんかない、みんな仲よくて、しあわせに暮らせるところ………」
「ほんとうに、そんなとこ、あるの?」
「あるとも。白いパンだって、暖かいパンだって、何でも。ないのは、戦争だけさ」
「死んじやったパパやママも、そこにいるの?」
こんどは、答えがなかった。青い目に、涙が光った。答えていた子は、ほんの少し大きいだけだったんだもの。
十一才の女の子。四つになる子の手をひいて歩いた。
十一才でも、女の子はりっぱな母親。
小さい子たちのために、どんなことでもやった。
いつも、少し後ろから歩いてくる男の子。
おとなたちの罪の重荷を背負ってるみたいに歩いた。
なぜってその子は、敵国のドイツ人。
金持ちの子もいた、貧しい子もいた、それに小さなかわいい犬もいた。最初みんなは、その犬を追いかけた。食べるために。でも、みんなと同じみなしごの犬を殺せるものか。だから、逆に仲間がふえた。いっしょに食べる仲間が一匹。
勉強もした。こわれた戦車が大きな黒板。小さな先生が字を教えた。その子の一番好きな字を。でも、全部は教えられなかった。みんな、ヘイ、まで覚えたけど、ヘイワ、までは書けなかった。
愛もあった。飢えと寒さの中にも、愛があった。
少年は十五、少女は十二。
砲撃で吹きとんだ、農家の片すみで、チロチロ燃える小さな火にあたりながら、少女は、やさしく少年の髪をとかしてやった。そこに戦争なんかなかった。ふたりだけが、いた。
「ねえ………きこえる?」
やさしく少女はいった。
「何が……?」
少年の顔は、たき火のほのおを受けて、赤く、強そうに光った。
「ほら……音楽よ……」
「音楽……?」
「ええ。……そっと耳をすましてごらんなさい。とても澄んだ、きれいな音色……小川が流れるような……」
ゴオーッと、雪をふくんだ風のうなり声。それにまじって、ドオーンと遠くの戦場からかすかに伝わる砲声。そのほかは、何もきこえない。でも、少年はいった。
「うん、きこえる。……きれいな音楽だね」
ふたりの視線が合った。目がほおえみ合った。
「……ね、愛してる?」
「うん、とっても……」
少年は、両方の手で少女の額をはさんで、くちぴるをつけた。そおっと。少年には何もなかった。だから、それだけが心をこめた贈りもの。少女はその贈りものを受けた。おとなしく、目をとじて。
「平和な土地へ行こう。そこでぼくたちは。一生暮らすんだ。自分たちの家と庭を持って……」
「お庭にはバラも植える?」
「ああ、君がそうしたいならね」
けれど、平和な土地はどこ?
たくさんいても幼い頭。
いつもはげましてきた指導者にも、わからない、平和な土地をさがす方法が。
道しるべもあった。でもみんなは信用しない。だってそこも少し前には戦場。道しるべがどこを向いているかわかりゃしない。敵を迷わすために。
女の子が死んだ。ビロードの服を着て、ついこのあいだまで、両親と召使いにたいせつに育てられてきた女の子。はじめっから弱かった。でも、みんな交代で女の子をかぱいながら歩いてきた。
――だれも泣かなかった。悲しかったけれども、涙は出るとすぐ凍ってしまった。四人の男の子が彼女を墓地へはこび、土を掘り、埋葬した。みんなはお祈りした。女の子のそまつな墓に、白い毛布がかけられていった。しんしんと降りつもる、雪の毛布が。小さな指導者は、そっとみんなから離れた。そして、静かに涙をふいた。
――南。みんなは目指した、南を。
南へ行けば〈戦場のない平和な上地〉がある。一度、負傷した兵隊に出全った。何とか道を聞き出そうと、みんなは兵隊を介抱した、七日のあいだ。兵隊は、熱にうかされ、うわごとのようにいった。
「ビルゴレイヘ!」
だれも聞いたことのない地名だった。でも、みんなは信じた。うわごとにすぎない、そのことぱを。兵隊は死んだ。みんなは、ていねいに埋葬してやった。あの、ピロードの服の女の子と同じように。
ビルゴレイヘ!
みんなは、また歩きはじめた。
こんどは道しるべも探した。ビルゴレイヘ――と書いたものもあったが、やはり方角はみなまちがっていた。
ときどき道を見失ってしまうと、みんなは、自然と、指導者のまわりに集まった。
彼は、降りしきる雪の奥をじっと見つめて、
「きっとあっちだ!」
と、小さい手で指さしていった。
「あっちが、きっとそうだ!」
――しかし、ビルゴレイは見つからなかった。
歩きながら、みんなは戦車に出会ったこともある。
町の近くもよく通った。そこには、暖かい食事や、ベッドがあったかもしれない。でも、みんなはいつも町の外を大きくまわってやりすごした。
だって、町には必ず軍隊がいるものだから。歩くのは夜だけにした。夜なら〈戦争〉も休むから。
「まだなの? まだ歩くの……?」
小さい子がたずねる。
「元気を出せ! もうすぐだよ。もうすぐ、ビルゴレイだよ」
大きい子が答える。
スペインの子も、フランスの子もドイツの子も、それにポーランドの子も、みなビルゴレイということばを〈平和の土地〉と聞いた。――でも、もうすぐそこにいけるかどうか、大きい子にも自信はなかった。
烈風が、ひゅうひゅう吹きすさぶ雪の荒野を、つかれはて、足をひきずって歩いていった彼ら。ひとり…ふたり……三人……。
雪の中に、その数は五十五人まで数えられたという。
いったい、どこへ。彼らは?
――その年の一月、ポーランドで、一匹の犬が見つかった。犬はやせ細った首に、板きれをつけていた。板きれには、ふるえたような文字が書かれていた。
どうか、どうか助けて!
ぼくらは、もう道がわからない。
ぼくらは、五十五人いて、待っています。
大きな子も、小さな子も、男の子も、女の子もいます。
いろんな国の子がいて、ことばもわかりません。
でも、みんないっしょです。ぼくらは、ずうっといっしょに歩きました。ずいぶんたくさん歩きました。
だから、今では、ぼくらがどこにいるのか、ぼくらにはわからないんです。
この犬についてきてください。
もしこられないのなら、すぐに犬を放してやってください。そうすれば、犬は、こられる人をまた探すから。
どうか、どうか、犬を射ったりしないで!
ぼくらのいるところは、この犬しか知らないのだから。
字は、子どもが書いたものだった。ひとりの農夫がそれを読んだ、森のはずれの木の下で。
農夫の仲間が集まってきた。みんな、それを読んだ。
みんなの涙が、板ぎれの上の文字をにじませて、文字はほとんど読めなくなってしまった。
犬は、そのはたけのあぜ道で、飢えきってとっくに死んでいた。
――おわり
※1939年9月、ナチス・ドイツ軍はポーランドへ侵攻し第二次世界大戦へと突入。
詩人のベルトルト・ブレヒトがこれをラジオで聞き、戦争に巻き込まれる子どもの不幸を、中世の十字軍戦争の悲劇(12世紀西欧、聖地エルサレム回復のため成人ばかりでなく、子どもも多数集められたが、実際には人身売買など惨い末路を迎える者が多かった)と重ねあわせ、この詩を書いた。
今、岩手県の萬鉄五郎記念美術館に出張中のみつはし作品の中で、『いつかどこかで』という雑誌もおじゃましています。
今から約40年前、昭和51年~57年、「みつはしちかこ編集」と銘打って立風書房から刊行された『いつかどこかで』は、古今東西の詩人、画家、音楽家などの作品やインタビューが掲載され、読者コーナーでは十代、二十代読者がじぶんの感性のおもむくままに詩やイラストを披露しあう、おおらかな雑誌でした。
その一遍として載っていたのがブレヒトの詩。『子供の十字軍』とも言われます。
長谷川四朗訳の本がアマゾンで中古販売されていますが、かなりの超訳といえる野村修訳は、出版物としては、この雑誌以外は、見当たりませんでした。
作品に描かれた子どもたちの群れは、実在したとも言われますが、1939年の冬、野の果てで消えてしまったようです。
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