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亡きH社長にご報告(小さな恋のものがたり新グッズ)

新作グッズがいっぱいできました。

ドロップス(さくらんぼ味)、ハンカチ、キーホルダー、ギフト袋、一筆せん、葉書など。
ドロップスは今夏限定販売です。


岩手県 花巻市の萬鉄五郎(よろずてつごろう)記念美術館で開催中のみつはしちかこの世界展でお披露目されています。


何度も試行錯誤し、行きつ戻りつの作業につきあってくださったデザイナーさん、
そして制作を一手に引き受けてくださったT社さん、ありがとうございました。

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こちらは・・1990年代、編集見習いのころ、漫画誌でつくっていた懸賞ページなど。
たかが口絵だが、売れ行きにも響くんだぞと編集部にどやされながらナイ知恵をふりしぼり、
当時無名だったアオイユウちゃんを双子に見立てた「おそろグッズ企画」など、
凝りすぎて出口がわからなくなったような企画で迷走していたあのころ、

「漫画家○○先生の描き下ろしイラスト入りバッグを大至急、来週までに20個ずつ×5種類」
みたいな無茶な発注を、一手に引き受けてくださっていたのがT社のH社長でした。

「ちょっと勘弁してよ、その発注、子どものお使いじゃないんだから。うちはいったいどこで採算をとったらいいのよ」

と、しょっちゅうH社長(ライオン似)に吠えられて、逃げ惑いながら、

「お気持ちはわかりますが、編集部からの指令なんですよ」と、、
実はお気持ちなど全く斟酌できずに、「中間業者は突き上げられて困るなあ」なんて思っていて。

困った末、愛想のいい、よその業者さんと浮気したりして。
その打ち合わせ現場を見られたときには、ばつが悪かったものです。


やがて自分も独立し、予算にあえぐ編プロなどから、それこそ、どこで採算とれますねーんみたいな発注をいただいた日には、自分も遠吠えすることになるのですが。


それきりT社さんとはお付き合いできる機会もなく、20年以上の月日が過ぎました。


今回、かつてない数のグッズを作るというので、ウーンと悩んでいたら、
なぜかフッと、H社長のことが浮かびました。

ご健在かしら…?


恐る恐る20年ぶりに電話をしてみると、応対されたのはご子息。代替わりされたわけではないが、実務を担当されているという。お会いすると、とても感じが良く、話が進み、

「父の代からのご縁で、今回こういうお話がいただけたのは、ありがたいことです…」と、何度も、おっしゃる。

けっこう感激屋さんなのかな。こちらは父上と過ごした90年代が思い返され、

愛しさとーせつなさとー心強さとー

なんとも言えない複雑な気持ちでいっぱいになったのでした。

この感覚は、あれに似ています。
「あなたが、あのみつはしさんの息子の、あのタッちゃんなんですねー」と、
私の夫を見て目を細める、おばさま達。

仕事の腕がいいと言っては喜び、優しすぎるといっては心配し…。
親子で仕事するというのはこういう「得」や「徳」があるのかな。

さて、国内外の工場から、ぞくぞくとかわいい小物たちが出来上がり、6月の晴れたある日、ジュニア氏は持参してくれました。

そして、ひととおり検分しあった後、

「実は…」と口ごもられた。


あ。

その瞬間、私は、ジュニアさんの中に感じていた、愛しさとせつなさーと の源流のような、正体がわかったのでした。


そうか、亡くなられたんだ。


なんでか、それを私は前から予期していたような気がする。
病を患っておられた社長は、ほんの数日前に、旅立たれたそうです。

「今回のお話があったこと、病床の父に伝えたら、喜んでいましたから。せめて、完成したグッズを見せてあげたかったのですが」

ジュニア氏はしんみりと、でも日焼けされた清々しい顔で、おっしゃいました。
お仕事や見舞の多忙をぬって、数日前にお子さんの運動会にでられたそうです。


何だかいろいろ父上に言いたいことがあったのに、二度と言えなくなってしまった。
ごめんなさいとお伝えしたかったような気もするけれど、
ジュニア氏にこれからお返しすることで、いいでしょうか・・


思えば、念の強そうな人だったので、息子さんと私をお引き合わせしたかったんだと思う。


おとうさん。新作グッズが、いっぱい、できましたよ。

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