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< ヒポクラテス と ウサギ と カメ と プラシーボ効果 >

(書籍化に向け「魔女のエネルギー療法講座」の一部を文章化したものです)
医学部に入って最初に学ぶのが、「医学の始祖」と呼ばれている「ヒポクラテス」です。「哲学」という学問を生んだアテネで、彼はそれまでの「医術」を「医学」という学問に体系化しました。そこには「人間とは何か?」「病気とは?」「健康とは?」という哲学的な問いが含まれていました。だから医術は「医学」という「学問」になったのです。
そして彼が残した名言の数々は、2500年前の人だというのに、まるで現代人に語りかけているように聞こえます。

<ヒポクラテスの格言 >
●人間がありのままの自然体で自然の中で生活すれば、120 歳まで生きられる。
●病気は人間が自らの力をもって自然に治すものであり、医者はこれを手助けするものである。
●人間は誰でも体の中に 100 人の名医を持っている。
●全ての病は腸より生じる。
●食べ物について知らない人が、どうして人の病気について理解できようか。
●病人に食べさせると病気を養うことになる。一方食事を与えなければ病気は早く治る。
●食べ物で治せない病気は医者でも治せない。
●汝の食事を薬とし、汝の薬は食事と心得よ。
●満腹が原因の病気は、空腹によって治る。
●火食は過食に通ず。
●月に一度断食すれば、病気にならない。
●健全なる体を心掛ける者は、完全なる排泄を心掛けなければならない。
●病気は食事療法と運動によって治療できる。
●人は自然から遠ざかるほど病気に近づく。
●医術はよいことを施すか、できなければ少なくとも悪いことを施してはならない。
●治療には休息・安静が最も重要である。
●賢者は健康が最大の人間の喜びだと考えるべきだ。
●病人の概念は存在しても、病気の概念は存在しない。
●人生は短く、術の道は⻑い。              .........ヒポクラテス

魔女のエネルギー療法講座3日目レジュメより抜粋

彼から見れば、当時のアテネの人々ですら、自然から離れたライフスタイルでした。ギリシャ、ローマ時代は奴隷制の文明ですから、アテネ市民はいわば貴族と一緒です。肉食中心の贅沢な暮らしをしていたこともわかっています。当時はソクラテスを始めとする哲人たちが菜食中心の食生活を提唱し、周囲から変人扱いされていました。そんな時代にあって、ヒポクラテスも警鐘を鳴らしたわけです。
彼が繰り返し語っているのが、「食と病気の関係」「人には自然治癒力が備わっている」ということでした。
2500年前の人ですが、仮にも西洋医学の始祖とされる人の言葉です。医学の原点ですよ。医療に携わる人間にとって、耳の痛い言葉だと思うのですが…
「自然治癒力」という概念をスッパリ切り捨ててしまった近代西洋医学。医学部に入って西洋医学を学ぶ学生も、それを教える教授たちも、もう少し真摯にヒポクラテスの言葉を受け止めていれば、今の医療業界はこうはならなかったろうに…と残念に思います。

かつて、アロマの先生と「どの職業がいちばんオーラが澱んでいるか?」という話題で盛り上がったことがあります。
「職業別オーラの澱み度ワースト3」!
その映えあるトップは満場一致で「医者」でした
もちろん個別にはオーラの綺麗なお医者さんもいます。これはあくまで一般論としてのお話しです。
では、なぜそうなのでしょう?
周囲に化学薬品が溢れているのも原因でしょう。普段から病人に接しているので、患者さんの病んだ氣(波動)を受けていること、病院という場所はどうしても患者の痛みや苦しみ、悲しみや落胆の感情が渦巻いているのも理由の一つでしょう。病気や事故で亡くなった方が霊的存在になってその場に居ついてることもあるでしょう。そして最後に先生が「私があなた(の病気)を治している、という傲慢さがオーラの濁りになっている」と指摘しました。
自然療法では、「病気や怪我を治すのは本人(の自然治癒力)であって、治療家はそれをサポートしているに過ぎない」という一歩引いた姿勢がとても大切になります。それは一見患者(クライアント)を突き放しているようで、実は患者(クライアント)の内なる力を最大限信用しているからです。
これに対して、医者の言う「私が治してあげましょう」は、患者自身の治癒力をを信じていない、上から目線の、実におこがましい態度ということになります。そのことをアロマの先生は言っているわけです。

でも最近の医者はどうでしょう。
ただ患者を診ているだけで、治す気すらないように見えます。慢性病などいい例で、いつまでも通ってもらった方が儲かるし薬も使ってもらえるしで、医者にとっては実に都合がいい。前回の投稿の「医者は“健康”を喰いものにしている——」は、もっと赤裸々な表現をすれば、「健康を奪って金を儲けている詐欺師」ということです。
自分で治そう、自分で治ろうとせず、医者やクスリに治して貰おうとする患者の方にも、もちろん問題があります
でも特に我が国の場合、西洋医学の他に選択肢がないのをいいことに、「治してください」と頼ってくる患者の上にあぐらをかき、「どうせ治らないだろうし、こんなもんでしょ」と生理機能をコントロールするだけのクスリを出してお茶を濁している医者たちの、なんという偽善ぶりでしょうか。
真摯に病気に向き合わないばかりか、治療を半ば放棄し、患者を金づるとしか見ていない…そんな詐欺的態度こそ、医者のオーラを澱ませている気がしてなりません。

これと一緒。そりゃオーラも澱むわな…

生活習慣病などはその最たるものでしょう。
「おおきな木 ホームクリニック」さんのブログに典型的なケースが載っています。つい読み返したくなるいい記事です。

「生活習慣病」という呼称は、聖路加病院の日野原先生が、かつての「成人病」を言い換えて作ったものです。その名の通り、生活態度が悪かったから病気になったわけで、原因となった生活習慣を直して治すべきものです「生活習慣病をクスリで治そう」という姿勢が、そもそも不謹慎なのだと気がつかないといけません。

医者に限らず、治療家のオーラを澱ませている決定的理由がもう一つあるのですが、それは次の投稿に回します。

支配者層になってみたら
2022年5月16日
https://www.o-kinaki.org/2682/
たぶん医療って、ちょっとひねくれた変人じゃないと本当に患者さんを救えないかもしれない。
そんな感じがします。

素直で従順な人は、学会が言うことがすべて正しいと信じ、ガイドライン通りに治療を行う。
なんでもかんでもエビデンス。なんでもかんでも論文。
頭固すぎ。
まるでロボットのようです。

はっきり言いますが、西洋医学がすべてと思っていたり、西洋医学しか知識がない医者は本当の医者ではない。
反論するなら、高血圧で病院に通う患者をなくしてみなさいと言いたい。
癌を治してみなさいと言いたい。

現代医療というのは、患者さんに「病気」というレッテルを貼って、ずっと病院に通い続けてもらうことなのです。

自分が病人を作っていることに気づかないのだろうか。
気づいている人もいるのだろうけど、自分の地位やお金のために気づかないふりしているのだとしたら地獄行きですね。

医療を信じ切ったらダメです。
今回のワクチンのことでよぉくわかったかと思いますが。
自分の身は自分で守る。
これしかないんです。

おおきな木 ホームクリニック スタッフブログより抜粋

西洋医学は、かつて非常に不潔だったヨーロッパ社会の中で公衆衛生と共に発展し、戦場で負傷した兵士の生存率を上げるために外科的技術を進歩させました
前回も指摘した通り、化学薬品は患者の自然治癒力を下げます。化学薬品は劇物であり、症状をコントロールしているだけで、決して病気を治していません
さらに今では、行き過ぎた殺菌・抗菌は逆効果とされています。せいぜいやっていいのはアルコール消毒くらいのものでしょう。
医療の第二革命といわれた抗生物質ですら、今では耐性菌を恐れてむやみに処方しなくなりました。院内と外来では抗生物質を出す量が5倍違うといいます。院内感染が怖いからです。
細菌にとって病院は最も汚染された環境です。そんな過酷なだからこそ、最強の菌が生まれてきてしまう。細菌の世代交代はせいぜい1日、早いものだと6時間程度です。人間の世代交代は、子供を産んで育てて一人前の大人にして社会の中心的存在にするまで何年かかるでしょうか。20数年?いや30年以上…? 
細菌と人間とは進化のスピードがまるで違います環境に適応する能力で人間が敵うはずがなかった、絶対に勝てない相手に喧嘩を挑んでしまったのです
そのことに気づいた医師たちが、20年ほど前から声を上げ始めまています。菌ばかりが強くなる一方で人間の免疫力がどんどん落ちていく現代社会において、このままでは全ての化学薬品が感染症に効かなくなる時代がすぐそこまで来ている…と。この先、人類は自らの免疫力を上げる以外に生き残る術がなくなると思われます。
言ってしまえばこれは当然の帰結です。人類がこれまでずっとそうして来たように、細菌とは闘うのではなく、共生するしかないわけです。そして菌に負けない体を作るしか方法はありません。抗生物質もまた、他の化学薬品と同様に「死にそうになったとき」にだけ使えばいい
慢性病や感染症に対して西洋医学の出る幕はもうないと知るべきです

自由が丘のハーブショップ&スクール「グリーンフラスコ」の代表、林 真一郎先生は薬剤師でもあります。林先生は薬学部を卒業された後、薬局を開業する段になって、自然薬であるハーブや漢方と医薬品を一緒に並べてはいけないと知り、それならとハーブショップを開店した異色の経歴の持ち主です。
「グリーンフラスコ」8年前に魔女系講座をスタートさせた場所でもあります。当時林先生は母校の薬学部で「ハーブ医学の講座」を受け持っていました。しかし薬学部の教授たちからいろいろ揶揄されるわけです。「ハーブが効くなんて、そんなの迷信の類だろう?」「せいぜいプラシーボ効果じゃないの?」と。ですから林先生は自身のブログで「エビデンスがある!エビデンスが!」と何度も主張されていました。
薬学部といえば西洋医学の牙城で、完全にアウェーですから、それはそれはやりにくかっただろうと拝察します。
アウェーでは相手のルールに従う「劣位戦」を強いられます。エビデンスや成分の作用機序を説明するのは確かに正攻法ですが、あくまで相手方の文脈に沿ったアプローチです。それならいっそホームで戦えばいいのに…と思っていました。

相手が作ったルールに沿って戦うのが「劣位戦」です。これに対して自分に優位なルールを設定して戦うのを「優位戦」といいます。つまりアウェー戦に対するホーム戦です。ルールを先に提示すれば、戦場をコントロールする立ち位置を確保したことになり、圧倒的に有利になるからです。
欧米はこれがとても得意です。15世紀から20世紀にかけての植民地侵略でもこの手を使いましたし、今でもオリンピックのルール作りなどは彼らの独壇場です。
日本は明治維新以来ずっと劣位戦を強いられ、欧米に追いつけ追い越せとやってきましたから、これがとても苦手です。優位戦という闘い方があるという発想すら湧かないのかもしれません。
国際関係に詳しい日下 公人(くさか きみんど)先生は、多くの著書で「優位戦思考」という言葉を使い、日本人を鼓舞してきました。いわく「欧米に追いつき、その先を目指すのであれば、これからは日本人は優位戦思考を持たなければならない」「(欧米に比べ)上品な日本人がイニシアチブを取れば、世界はもっと人類にとって住みやすくなる」と。そして日下先生は「これから世界は日本化するだろう」と言われます。
優位戦思考とは、言い換えると「イニシアチブを取る」ことであり、「ルーラー(支配する側)になる」ことでもあり、日本人にはそれだけの資格があると言っているのです。

優位戦思考と聞くと、わたしはいつもイソップの寓話「ウサギとカメ」を思い出します。
ウサギが「どうしてそんなにのろいのか」とカメをバカにしたとき、カメは悔し紛れに「じゃあ、あの山のふもとまで(かけっこで)競争しよう」と言うべきではありませんでした。かけっこはどうしたってウサギが有利で、カメにとってはアウェーだからです。
物語ではウサギが油断して途中で昼寝をしたことでカメが逆転勝ちしますが、もしウサギがゴールまで走って昼寝をしていたら、カメに勝ち目はありませんでした。ウサギにとってこの敗北は教訓になりましたが、たまたま勝利したカメにとってはどうなのでしょう
カメはもっと得意な戦場を選ぶべきでした。例えば「この池の向こう岸まで、どっちが先に行き着くか競争しよう」と言えばカメは負けなかったはずですウサギは池の岸をぐるっと回らなくてはならず、カメは向こう岸まで直線距離で泳いでいくことができます。つまりかけっこという「劣位戦」ではなく、泳ぎもOKという新ルールの「優位戦」で戦えばよかったわけです。
ウサギだって負けた悔しさより、カメ(の泳ぎ)を見直したに違いありません。そこで二人は仲直り…という結末が、イソップ的ではない日本的な筋書きと言えるでしょう。

これを先ほどの林先生の例に当てはめると、自然療法の立場から「優位戦」に持ち込むためにどうしたらいいか、の答えは「自然治癒力」というホームに立つ、になります。「あなたたちの化学薬品は自然治癒力を上げませんよね」と言えばいい
精油やハーブといった自然薬は、自然治癒力を上げつつ症状を改善することができますただ症状を抑え込んでいるだけの劇物より、それがどんなに素晴らしいことか…と
でもまあ、化学薬品の効果を信じてやまない人たちには、これを言っても納得しないでしょう。ヒポクラテスの格言をスルーした医者たちにとっては、何を言っているのかすら分からないかもしれません。

そこでもう一つ「プラシーボ効果」についても語っておきます。
「プラシーボ効果」「プラセボ効果」とも呼ばれ、日本語で「偽薬効果」と訳されます。「本物」の薬と同じ剤形の「偽の薬」を被験者にわからないように処方し、効果にどれくらい差が出るかを見る「治験」で使われる言葉です
驚くべきことに「偽薬(シュガーピル)」でも一定の効果がありますそれが本当の薬と信じることで、そのつもりで飲むことで効いてしまうことが起きます
西洋医学ではそれは「気のせい」になっていて、それを「プラシーボ効果」と呼んでいるのです。
つまり「プラシーボ効果じゃないの?」は、「それは気のせいじゃないの?」と偽物扱いしているに等しい。だから「本物」のクスリなら「プラシーボ効果」を超えなければいけません。そうでないと、気のせいなのか、本当に効いたのか分からないわけで、これを「プラシーボ優位性」といいます。
西洋医学はここで完全に思考を止めてしまい、「なぜプラシーボ効果が存在するのか?」を考察しようとしません
しかし実際に「プラシーボ効果」による劇的な改善や治癒が報告されており、人の持つ意識(気のせい、思い込み)の凄まじさを垣間見ることができます。

思考のすごい力 心はいかにして細胞をコントロールするか 」
2009/1/19 ブルース・リプトン (著)西尾 香苗 (訳)
出版社 ‏ : ‎ PHP研究所
単行本(ソフトカバー):342ページ

「トンデモ本」っぽいタイトルで損をしていますが、原題は「Biology of Brief(信念の生物学)」です。ブルース・リプトン博士という生物学者が「エピジェネティクス」と「量子論」を語った先進的な著作です。

(前略)現代では、白衣を着た医師が自信満々の様子で薬を処方すれば、患者はそれが効くと“信じる”ものだ。そして実際にそうなる。本物の薬であろうとシュガー・ピルであろうと関係はない。
 プラシーボには”一体どうして”効き目があるのだろう? 医学は概してこの問いかけを無視してきた。だが最近、主流の医学研究者のなかに、これに興味を持つ者が現れてきた。彼らの研究結果によれば、プラシーボ効果を引き起こすのは、何も19世紀のいかれた治療法だけではない。近代医学の洗練された技術にもプラシーボ効果は見られるのだ。医学の最も手堅い技術である「外科手術」でも、である。
 2002年、『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』に発表されたベイラー医科大学の研究では、重度の消耗性膝疾患の手術が紹介されている。
 筆頭著者であるブルース・モーズリー博士には、手術をすれば患者が改善すると「わかって」いた。いわく「まともが外科医なら、手術にプラシーボ効果などあるはずがないと知っています」
 そこでモーズリーは、手術のどの部分が患者の苦痛を和らげるのか明らかにしようと考えた。そこで患者を三つのグループに分け、最初のグループでは痛んだ膝関節の軟骨を削った。次のグループでは膝関節を洗浄し、炎症を引き起こしていると思われる物質を除去した。そして最後のグループでは「偽の」手術を行った。患者に麻酔をかけ、標準的な手術と同様に三か所で切開を行ない、本物の手術と全く同じようにふるまい、しゃべる内容も本当の手術と変わらないようにした。食塩水を流して、膝を洗浄するときの音まで再現することまでした。40分後、切開した部分を縫合した。これも本物の手術とまったく同じ手順である。手術後はどのグループの患者にも、運動プログラムなどの術後ケアを受けてもらった。
 結果は衝撃的だった。もちろん手術を受けた患者の症状は改善した。これは予想通りである。だが、偽手術を施したグループにも、手術を受けた二つのグループと同程度の治療効果が見られたのだ! 膝関節炎の手術費用は5000ドル、年間65万件も行なわれており、確固たる実績を上げている手術である。
 モーズリーはこの研究結果からはっきりと悟った。
「わたしの外科手術は、全然、これらの患者の役に立っていなかったのです。膝関節炎の手術の成功は、すべてプラシーボ効果によるものだったのです」
 この研究はテレビのニュースでも紹介された。プラシーボグループの患者が、歩いたりバスケットボールをしたりといった「手術」前には不可能だったことをこなしている様子がVTRで紹介され、驚くべき結果を実際に目で確認することができた。この患者たちは、自分達が偽の手術を受けたことに2年間まったく気がつかなかった。
 ティム・ペレスという患者は、手術を受ける前は杖なしでは歩けなかったが、今では孫とバスケットボールをすることもできる。ペレスが語った言葉には本書のテーマが集約されている。
「この世界では、できると考えたことは何でも可能なんです。あなたの心だって、奇跡を起こすことができるんです」
 その他、ぜんそくやパーキンソン病などの治療でもプラシーボ効果があるという研究結果が上がっており、うつ病の治療でもプラシーボ薬が大活躍している。あまりに効果が著しいので、ブラウン大学医学部の精神科医ウォルター・ブラウンは、軽度から中度のうつ病患者には、まずプラシーボを与えることを標準的な治療にしてはどうかと提案しているほどだ。(後略)

「思考のすごい力(The Biology of Belief)」より抜粋

さらにいくつかの事例を挙げた後で、ブルース・リプトン博士は、プラシーボ効果でこれだけの成果を上げながら、なぜプラシーボ効果そのものについてもっと研究しないのかと疑問を投げかけます。
人に内在している「治ろうとする力」、そしてそれを発動させる「人の意識」、これをもっと研究した方がいい。それは近代西洋医学が最も忌避してきた領域です。でもおそらくここに「治癒に関する最も大切な鍵」が眠っているのです。

ではもう一度、化学薬品の「カゼ薬」が、どうやって風邪を治すのか見てみましょう。
化学薬品の「カゼ薬」は劇物であり、単に熱を下げたり、鼻水を止めたり、咳を止めたりと生理機能をストップさせているに過ぎません。でもそうこうしているうちに自然治癒力が上がってきて風邪は治りました。
では本当に「カゼ薬」は効いたのでしょうか?
熱や鼻水といった症状は「治癒反応」であり、それを止めれば治癒を邪魔したことになります。そもそも劇物によって自然治癒力を下げたのですから、治りが遅くなってもおかしくありません。タミフルのようにウイルスに対する消毒薬のような作用機序であっても、自然治癒力を下げるという点では同じです。
でも症状を止めることで、いかにも薬が効いた感じがします。治ったような気分になります。そのプラシーボ効果で自然治癒力が発動し、風邪が早く治ったのではないか? つまり化学薬品は唯一「治ったような気にさせる」という点で効果があると言えるわけです。
その薬はお医者さんが出したものだから…白衣を着た人が処方してくれたから…TVコマーシャルでみたことがある有名な薬だから…大手製薬メーカーが作っているから…いかにも効きそうなパッケージに入っているから…だから効いたのではないでしょうか?
わたしは化学薬品のほとんどがプラシーボ効果だろうと思っています。

アロマ(精油)なんてプラシーボじゃない?ともし医療関係者に言われたら、「いやいや、あんたらの使っているクスリこそプラシーボですよ」と自信を持って言い返します。おそらくこれが真実だからです。
医者が扱う化学薬品など、この程度のものです
大金をかけるのがバカらしくなりませんか?
治ったような気分になるのも大事ですが、それならもっと自分の思いと自分の体を信じた方がいいそこに治癒の本質があります

化学薬品こそプラシーボ(気のせい)。だって治癒反応を止めてしまうのに、人間の意識の力で治っているだけなのだから…
対して症状を抑えながら自然治癒力をサポートするハーブや精油という自然薬の素晴らしさ、
これで理解してもらえるでしょうか?

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