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【エッセイ】祖母との不思議な話

私の祖母はとても急に亡くなった。
祖母の母、私の曽祖母にあたる人が100歳を超えても元気に生きていたので、祖母も同じくらいは長生きするものだと思っていた。
亡くなる前日に、たまたま母が外出中だったので祖母が電話に出て何気ない会話したのが最後になった。みんなに優しい祖母だった。

その頃の私はフリーランスとしてウェブ制作の仕事を始めてすぐで、ぽつぽつと小さな案件や打ち合わせなどが入り始めていた。「よし、頑張っていこう!」とやる気満々でいたはずなのに、なぜか祖母のなくなる数日前くらいから「実家に帰らなくてはいけない。」という理由のわからない衝動が胸の中でざわついていた。どうしてだかわからない。帰らなくてはいけない用事があったわけでもない。でもなぜか帰らなくてはいけない、という気持ちに押されていた。とりあえず、今の案件が落ち着いたらすぐに帰ろうと決めていた。

そんな時の突然の訃報だった。「虫の知らせ」というやつなのかもしれない。帰って最後に顔を見たかったのかもしれない。会うのが叶わずに、声だけでも、と最後に祖母に電話が繋がったのかもしれない。
私には霊感とかいった類いのものは何もないが、勘だけで生きているところがあるので、大好きな祖母とどうにかして最後に会うための衝動だったのかもしれない。

お通夜の夜、順番に交代で寝ている時に夢を見た。
詳細は覚えていないが、祖母が出てきて「湯呑みが割れている。」と言った。
母に話すと、何のことかわからないと言う。思い出せることを話し合って考えてみたがわからなかった。
しかし後日に意味がわかった。
お墓に参ると、お供え用の湯呑みが割れていたのだ。これのことかと。
とても信心深い祖母のことだから、割れた湯呑みが置いてあってはいけないと、新しいのを持ってきて欲しかったのだろう。

私はとてもおばあちゃん子だったので、気持ちが強かったのかもしれない。母がすぐ側だが美容院をしていたので、学校から帰ると出迎えてくれるのは祖母だった。毎週土曜日の夜は、祖父母の家に泊まりに行っていた。祖母の作ってくれた紅生姜のおにぎりが今でも時々食べたくなる。最後の晩餐に何が食べたいと聞かれたら、きっとこの紅生姜のおにぎりだろう。

実家で四十九日の法要をした後のこと、ふっと「いってしまった。」と感じた。気配がなくなってはじめて、居たんだとわかった。
本当に四十九日で区切りがあり、いってしまうんだな、と思った。

自分的には不思議な話だが、本当にあったことで、本当に感じたこと。

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