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#週一文庫「この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた 」 ルイス ダートネル (河出文庫)


一番面白かったのは、P364-366 第13章 最大の発明

では、どうすれば自分で何かを発見できるだろうか? 世界を再び学ぶのに必要な道具はなんだろうか?(中略)
あらゆる科学的調査の基本は、宇宙は本来、機械的であり、その厚生要素は宇宙を支配する法則に従って秩序正しい方法で相互に作用しているのであって、神々の気まぐれによるのではないことを理解することだ。根底にあるこうした法則は、身をもってじかに体験し観察したことにもとづく、筋の通った考えによって明らかにできる。(中略)
結論は、論理だけにもとづくわけにはいかない。あるいは過去または現在の権威(それどころか、お手元にあるい本書)による宣言を鵜呑みにすることもできない。(中略)まずは自然の法則を徹底して理解しなければならない。この理解は世界を観察し、その動きにパターンを見出すことによってのみもたらされる。同じくらい重要なことに、予測していたパターンに差異が生じれば、それにも気づく必要がある。新たな自然現象を表す異常だ。たとえば、動線の横にある方位磁針が揺れることや、カビの周囲に細菌のいない円形部分が広がっている現象などだ。これには物事を正確に測定し、自然のさまざまな側面を比較して、時間とともにどう変化するか監視するために、数字で、つまり数値で表せる必要がある。
となると、科学の絶対的な根幹は、計測器を入念に設計して組み立てることと、そうした数値を数える単位であることになる。

P379-380

大破局から生き残った人びとは、科学の知識と批判的な分析の重要性をありがたく思うだろう。それらは既存の技術をできる限り維持するのに必要になるだろうが、世代を経るにつれて、迷信と魔術によって理性が封じ込められないように、社会は自らを守らなければならない。そして独自の技術力を急速に獲得するために、探究心と分析力に富み、証拠重視のものの考え方を育む必要がある。(中略)僕らの近代の世界をつくりあげたのは科学であり、それをまた再建するためにも科学は必要となるだろう。

科学における最大の発明は、科学的方法

この本のタイトル「この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた」に、一周回って帰ってくるような大団円だった。

もう一度引用しよう。

迷信と魔術によって理性が封じ込められないように、社会は自らを守らなければならない。

本当にそう思う。

理解/努力することを諦めると、人はとかく "信じる" ことに帰着する。

そんな風に"見て"きて思っていた。

たとえば、実家が宗教(別に危険を感じるような宗教ではないが)頼みな風なところのあり、何事かあると「お祈りしよう」と言うのである。その事自体はまあいい。でも問題は、お祈りをするだけしたら、あとは何ら努力することなく、ただただいつも通り過ごすだけなところだ。

明らかにおかしいと思った。

てるてる坊主だって別に嫌いじゃないし、時には雨乞いをしたっていいと思う。でも、それらをすることによって少しでも自分の望ましい結果が得られるのでなければ、その「お祈り」は、じぶんが安心するための演技でしかないように思う。

そういうのはあまり好かない。

目で見えるもの・肌で感じるもの・数値で表わされるものを、何度でも検証して、どうやらそれが確からしいということを暫定的に正しいものとして受け入れる。そういった物事の見方をしていたい。

カール・ポパーの科学哲学はそういうものだと教わった。


まだ読めてはいないのだけれど、今話題の"FACT FULNESS"も、きっとそういった内容について書かれている本なのではないかなと思う。

「誰々が言ったから」とか、「これまでそうしてきたから」とか、そんなことだけを証拠にするのは、もうどうでもいいから、事実として「どうやら確からしい」と思えるような根拠の欲しいと思う瞬間が多い日々。

でも、それはきっとどこまで行っても"正解"を得ることができない、苦しいことなのかもしれない。"ここまでやったら終わり!" というものが無くなるということなのだから。

難しいですね。でも、観察,実験しながら、考え続けていくしかない。




いつも見る"それ"は、科学的大発見

さて、第13章は、この本の最終章。それまでに辿ってきた章を振り返りたい。13章に至るまでの道程は、「農業」だとか「食糧と衣服」といった内容で、ある種「サバイバルに必要な知識」としての科学的知識が書かれていた。

白状すると、それら詳細な科学的な知識については、理解の追いつかない部分が多々あった。

でも一つ発見だったのは、この本を読んでいると、身の回りに当たり前にあるものが、"大発明"であるかのように見える瞬間があることだ。


たとえば、ガラスについて書かれている部分がある。

ガラスなんて身の回りにありふれているし、隣にiPhoneでも置いてしまえばiPhoneばかりに目が行って、ガラスのことを"発明"であるなんて感じることはまず無いと思う。

でも、

P190 第6章 材料

自然現象の影響はガラスのおかげで測定し、研究することが可能になり、それによってさらに有益な技術が発達できるのである。たとえば、気圧計と温度計は最初に開発された科学的機器であり、円柱状の液体の高さの変化を示すかたちで測定する。ガラスという透明で硬い材料がなければこうした変動を見ることは不可能であっただろう。

こう書かれると、途端にガラスがかけがえのない発明であるように感じられる。大げさではなく、本当にそう感じた。

ふだんの生活において、いちいち「ガラスってすげえ発明なんだぜ!」と感動しながら使う必要も無いとは思うけれど、時々はこういう風に立ち止まって、身の回りにあるものをじっくり観察してみると面白いことがあるのだなあと感じさせられる。

来週紹介する書籍も、そんな感じのところがあり、そちらもご紹介するのが楽しみです。



さて、最後に序章から抜書き

P32

これは文明再起動のための青写真だ。しかし、これはまた僕ら自身の文明の基礎に関する入門書でもある。

意外とぼくらは、身の回りにある"発明"を見逃していると気が付かされた。




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