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土木の風景

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今までに出会った「土木の風景」についてFaceBook投稿や、冊子に投稿した記事などを寄せ集めました。興味のあるかたは、のぞいていってくれると嬉しいです。
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#土木

西田橋との再会

1ヶ月くらい前、NHKで再放送やってる「篤姫」を見てたら、西田橋が出て来て、無性に鹿児島に行きたくなり、本日、新幹線を使った日帰り旅行を決行。 詳しい説明は省くけど、西田橋は、30年くらい前、移設か現地保存かの議論に関わったことがあり自分にとって思入れの強い橋。 公園に移設されて、橋の下で子供が楽しそうに水遊びをしているのを見てぐっとくるものを感じる。あの頃の私は移設反対派で、いろいろ顰蹙なことをやったんけど、この未来に繋がったわけね。。と、感傷に浸る。 「これはこれで橋

【思い出の橋 5】通潤橋

思い出の橋第5弾は熊本の通潤橋。1~4弾に引き続き、1993年の自転車旅行で訪ねました。 2023年に国宝に指定され、すぐ近くまで高速のICも出来ましたが、私が初めて自転車で訪ねた1993年は、果てしない山奥にある辺境の橋の印象がありました。 詳しい説明は下記のホームページを見ていただければと思います。 通潤橋は、今年で建設から170年になります。熊本地震も耐え(一部損傷)、今でも現役の農業用水路橋です。日本最大級の石造アーチで、構造上の大きな特徴はアーチの両端を横から支え

【思い出の橋 4】呼子大橋

思い出の橋、第4弾は、佐賀県唐津市にある呼子大橋です。 これも20代の自転車旅行でわざわざ見に行った橋です。とにかく遠かった記憶が鮮明です。 今まで紹介した橋との大きな違いは、鋼ではなくコンクリートの斜張橋という点です。当時は画期的な形式でした。 もう二度と見ることはなかろうと思っていましたが、まさか約20年後九州に転勤となり、唐津市に飛び込み営業で点検・補修設計を提案し、受注にいたるという、奇跡のような縁があった橋です。

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【思い出の橋2】若戸大橋

百年後の評価を問う  -京都近代化の礎・琵琶湖疏水-(1999「造景」投稿)   

大変古い記事になりますが、四半世紀前にカメラマンの尾花基さんと組んで、「造景」という雑誌に寄稿しました。 尾花さんのホームページに当時のリンクが残っていたので紹介します。

通潤橋の弟「ひ」洗玉橋(2023ponte投稿)

ひふみよ橋のポンテ投稿をきっかけに、「ふ」の橋のたもとにある「ほたると石橋の館」の館長内田 理絵さんと縁ができ、石橋にかかわるイベントに声をかけていただけるようになりました。一〇月二一日は、「ひ」の橋「洗玉橋」の架橋一三〇年の記念イベントにお声掛けいただき、夫婦で参加したので、報告します。 一、今でも愛される洗玉橋  イベントは、「八女上陽の『ひふみよ橋』を守る会」の主催で朝一〇時~一五時まで、半日かけて行われた。マイクロバスによる現地移動~神主さんによる神事~記念橋渡り~

続:上陽町「ひふみよ橋」の運命(2021ponte投稿)

 転勤で東京から九州の人になったのは九年前の平成二四年。その年の七月に福岡・熊本・大分県に大きな被害を与えた九州北部豪雨が発生。私はそのまま若干ながらも福岡県八女市の復興に関わることになった。  平成二五年に発刊したポンテ39号では、当時の被災の状況と八女市の観光資源、上陽町のひふみよ橋が受けた被害についてレポートをしたが、本稿では、その続き、ひふみよ橋の復興について報告したい。  ひふみよ橋とは、福岡県八女市上陽町の星野川にかかる四つの石造アーチ橋群の総称で、星野川の約二、

上陽町「ひ・ふ・み・よ橋」の運命(2013年ponte寄稿)

1、博多祇園山笠と九州北部豪雨  博多の夏は770年の歴史をもつという祇園山笠祭りで始まる。山車を引きながら街を走って回り、タイムを競う7月15日の「追い山笠」をクライマックスとし、七月になると一日から博多の街の至る所に「飾り山」と呼ばれる高さ10mはあろう華やかな山車が飾られ、街にハレの雰囲気が漂ってくる。  私が博多に赴任して間もない昨年、「追い山笠」の数日前から前日にかけ、九州北部は激しい雨に見舞われた。道路や駅は冠水し、川もあわや氾濫というところまで水位が上昇し肝

神風がむすぶアジアハイウェイ(2015年ponte寄稿)

 福岡に赴任し、三年になります。仕事柄高速道路を多用しますが、道を走っていて気になるのが福岡都市高速の、「ある場所」に掲げられているAH1の標識。これは「アジアハイウェイ」の略称。何も知らない当初は「福岡は国際的だな〜」の感想しかもちませんでしたが、標識の裏に隠れたロマンが見えてきたので紹介します。 1.アジアハイウェイ構想  「アジアハイウェイ」とは、福岡の人が思いつきで付けた呼称ではなく、現在のシルクロードを目指し、1959年に国際連合アジア極東委員会にて提唱された道

公共事業と遊び心(2010年ponte寄稿)

 イングランド北部の都市ニューカッスル・アポン・タイン。観光地としての著名度は低いが、かつては軍事上の拠点であり、造船と貿易で栄えた歴史ある街である。橋のある街として知られ、街の中心を流れるタイン川には七つの橋がまとまって架かっている。桁橋、アーチ、トラス、と十分も歩けば橋の展覧会さながらの景観が楽しめる。ひとつひとつの形状はまったく異なり、様々なシルエットが錯綜する。形態や色がまったく異なる橋であるが、どれにも共通している点が一点ある。それは大型船舶がくぐるため、橋脚が非常