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ととのエッセイ「彩りを感じていたいと願う朝」
#ととのエッセイ 11月22日、朝5時半。 かじかむ指を擦りながら、ストレッチを開始する。 ずいぶんと、身体が温まるのに時間を要す。 ようやく指の先まで血液が行き、 …
「運動が苦手」という概念の不適切さについて
「運動が苦手」という概念は実は間違っています。
赤ちゃんの時は誰しも懸命に立ち上がろうとします。
子供の時は誰しも多かれ少なかれ駆け回り、飛び跳ね、遊ぼうとします。
それらは全て「運動」です。
赤ちゃんも子供もそれを「苦手」と認識することはありません。
時が経ち義務教育やクラブ活動の中、
体育指導や運動指導を受ける機会は増えます。
しかし残念ながら世の中には素晴らしい運動指導者もたくさんいる中、
ととのエッセイ 「フレンドリー」について
春から娘が小学生となり、昨日初めて娘の登校に同行した。平日休みの良い所だ。たかが小学生の通学といえど、されど多くの人達や仕組みが働いてくれている。
横断歩道を渡ろうとした時、交通誘導のおじいさんは僕のことを物凄く疑り深く見ていた。僕は「ご苦労様です!」と大きな声で言った。おじいさんは「は〜い、気を付けてね!」と笑いながら言った。
その後しばらくし、我が家と同じようにお子さんの登校に同行している
ととのエッセイ 「ゾーンの入り方」
23年間、「人のパフォーマンスはどういう時に上がるのか?」と考え続けてきた。とにかく筋肉をつければパフォーマンスが上がる。ひたすら自らを厳しく律する事でパフォーマンスが上がる。最初はそう信じていたけれど、どうやら部分的には合っていて、同時に部分的に大きく間違っているような気もする。そしてそれ以上にもっと必要な要素があるような気がずっとしていて、最近はそれが確信へと変わり始めている。
パフォーマン
「鬱は悪?」そんなのもう古いよね
前向きなお話ですが、少し長いです。2週間前に鬱が再発してしまい、仕事以外はひたすら寝ておりました。日々多くのお心配りを頂き誠にありがとうございます。
症状もだいぶ良くなってきて、今朝は久しぶりにトレーニングへ行ってきました。写真は今朝のものです。
SNSで鬱を公言するのはいかがなものか。未だに賛否が分かれます。今後も分かれ続けると思います。でも全て自己責任で記しております。
まず、僕の現在の
「見えない骨折」からの回復方法
一週間程前から体調が優れず、数日前から鬱の症状が再発してしまった。最後に発症したのは2022年の冬だった。一方で、病気を患ってから19年、「もう一人の自分」との共生を強いられてきたけど、(今では自分を客観的に捉えさせてくれる良きパートナーだ)1年間発症を抑えられたのはむしろ快挙でありかなりの前進と言えるのだ。
僕の病は、神経伝達物質である「ドーパミン」の伝達異常により、感情や意欲の発起が著しく低
「運動のモチベーションが続きません」というご相談にお答えします
12月の始まりです!
思えば11か月前の事、
元旦の新鮮な空気を吸い、
毎日を新年のように、
フレッシュに生きていたいと感じましたが、
無理なものは無理で、
何事にも限度ってものはあります。
しかしながら、
毎日を「今日は今日しか無い」という意識で、
丁寧に暮らすことは大切だと思います。
さて、
最近よく「運動のモチベーションが続かない」
というご相談を頂きます。
みなさんモチベーションに
ととのエッセイ「彩りを感じていたいと願う朝」
#ととのエッセイ
11月22日、朝5時半。
かじかむ指を擦りながら、ストレッチを開始する。
ずいぶんと、身体が温まるのに時間を要す。
ようやく指の先まで血液が行き、
バスケを10分やる。
地面と身体とボールの関係性に、
全神経を集中させながら。
肩と股関節と脳が、完全に温まる。
それから倒立を10分やる。
地面と手の平と骨盤に、
全神経を集中させて、
気持ちいい場所を探しな
「ぼったくりと初対面のアミーゴと愛」
今僕は旅の途中の新幹線にいて、
過去の記憶、そして初期衝動へと回帰しながらこれを書いている。
「将来カポエイラを真剣に続けていくのなら、就職では無くブラジルへ行こう」と決意し、2008年9月サン・パウロ国際空港に降り立った時、僕を待ち受けていたのは、大きな不安とかすかな希望そして大量のぼったくりタクシードライバーだった。
かつて奴隷貿易が行われていたという、サルバドールの市街地へのバスを降りた
ととのエッセイ 「朝活は恩返し」
コロナ禍以降、朝活を始めもうすぐ4年経つ。
朝活は、僕にたくさんの気付きをくれた。
僕は、朝活は「先祖への恩返し」だと思う。
朝、森へ行き運動すると、
鳥がさえずり季節が香り、
いつもより少しまるで魔法のように
素直に自分と向き合うことができる。
自分と向き合うということは、
親や先祖から授かった「血」と
向き合うという事であり、
親や先祖が大切にしてきた「何か」と
向き合う事だと、
ある時か
ととのエッセイ 「旅と旅行の違いについて」
二泊三日で那須高原を家族と旅した。旅から戻り、朝5時のトレーニングを終え、これを書いている。
よく、「旅へ行く」と人に言うと、「なにかっこつけてんの?」とか、「旅行でしょ?」と言われるが、世知辛い世の中だなと思う。
では、旅と旅行は何が違うかと言うと、旅へは「行く」ことも「出る」こともできるが、旅行へは「行く」ことはできても「出る」ことはできない。
「旅行へ出る」とは誰も言わない。
果たし