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映画「ネバ―エンディング・ストーリー」を観て


こんにちは
ななきです。


最近、
映画「ネバ―エンディング・ストーリー」を久しぶりに観ました。


この作品は
空想することの大切さを教えてくれる
古き良きファンタジー映画の傑作ですね。



現実を見る事は大切ですが、
現実だけ見ていては
今ごろ地球の空の上をジェット機が飛び交う事は無かったでしょう。
「空想」は人類の本質なのかもしれません。




さて、ここからはこの映画を観た人向けのレビューになりますが、
私がこの映画を観て一番に伝えたい事を書きます。



この映画には
グモルクという狼が登場し、
主人公アトレーユの抹殺を使命として、
物語を通してアトレーユを追跡しています。



終盤でグモルクはアトレーユと対峙し、
あっけなくアトレーユに殺されてしまいます。

グモルクはそんな理由から
肩透かしキャラとしての印象が強いです。



しかし、
改めて私はアトレーユとグモルクの対決シーンを観て、
グモルクの死は自決だったのではないかと感じました。

つまり、
彼は自分からアトレーユに殺される道を選んだのです。



なぜアトレーユの抹殺を使命とする立場の者が、
そんな行動をとったのか。

重要なのは、
対決前の二人の会話シーンです。



グモルクは、
自分は虚無に仕える召使いで、
虚無を食い止めようとする”ある者”を抹殺するために遣わされたと自己紹介しています。

そんなグモルクは一度、
悲しみの沼でアトレーユをあと少しのところで逃がしています。


つまり
グモルクは宿敵が目の前のアトレーユである事を認識しているはずなのですが、
なぜか気付かない振りをして対話を続けます。




グモルクは、
旅を諦めかけていたアトレーユに知識を与えます。



「勇敢な戦士か。ならば虚無と戦え」
「フェンタージェンに果てなんかないのさ」
「それは人間の夢と希望の欠片から創られた空想の世界。だから果てしなく膨らむのだ」


まるでアトレーユを導く立場のようにも思えます。



そのような事から私は、
グモルクの正体は夢を裏切られた大人の姿なのだと受け取りました。




人はみな子供の頃は無限の可能性を信じていますが、
やがて誰しもが現実の社会にのまれ、空想する事を忘れます。




「虚無とは夢を失った虚しさだ」
「希望を失った者達は簡単に操れる」
「そいつらを思いのまま操って、権力を握るんだ」



グモルクは自身の目的をそう説明しますが、
虚無に仕え、権力だけに捉われたその思想は、
夢や希望を失い、自分も思いのまま操られている事を
アトレーユに白状しているようにも見えます。




グモルクの本心は、
アトレーユにここで旅を諦めて欲しくなかったのではないでしょうか。



そしてついにグモルクはアトレーユを試すように、
自分の宿敵がアトレーユである事を伝えます。

しかしアトレーユはその言葉に怖気ずく事なく、
自分がそのアトレーユであると明かし、
死を覚悟してグモルクに戦いを挑みます。



グモルクがその勇姿を目の当たりにした時点で、
既に決着はついていたのかもしれません。


グモルクはアトレーユを殺す道を選ばず、
自らがアトレーユに殺される道を選びます。



それがグモルクにおける、
虚無に操られた人生への最後の抵抗だったのかもしれません。




子供の頃は
物語を読み、空想に浸るバスチアンに感情移入していましたが、
大人になるとグモルクの言葉や行動に胸打たれてしまいました、、、笑




人間であるからこそ、
空想する事の大切さ
そしてそれを貫き通す勇気
いつまでも大切にしたいですね。






おわり

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