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金曜マガジン『臥龍山荘の魅力』
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写真で見る名勝臥龍山荘
この山荘に私が関わり始めたのは2002年の春からだった。当時は素晴らしい日本建築と庭園を要しているにもかかわらず無名の存在で、内子町の町並みには到底かなわなかった。
この2年後、2004年9月に大洲城の完全木造復元ができあがり、臥龍山荘に歴史的伝統文化として高い評価を受けていた「大洲のうかい」を合わせた「三本柱」での情報発信を始めた。これが今日で言う「地域創生写真撮影活動」の始まりだった。
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臥龍山荘庭園の最大の特色は「蓬莱山」という「島」が、小さいがかなりの深淵を挟んでくっついていることだ。これを地元では「臥龍淵」といっている。明治時代から大正初期にかけて発行された当時の地域紹介冊子では、この臥龍淵と如法寺河原を含めて「粋亭崖に峙って畫よりも雅なり」と賞賛している。木蝋業で財を成した城甲家の婿養子で、当時神戸にいた河内寅次郎の出資により完成したこの臥龍山荘庭園は、昨年9月に百有余年の刻を経て国から名勝指定を受けた。これで次代へと送り届けることができるかどうかが地域にも問われていることは間違いない。
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私が現職次代に役割を担った大洲市の観光集客交流基盤整備事業全般のプロデュースは、先に述べたように「臥龍山荘」、「大洲城」、「大洲のうかい」を情報素材としてフル活用し、徹底的にWEB配信して全国展開していくというのが基本的な取組みだった。そのために、早朝、昼、夜、の3パターンに四季の4パターンを組み合わせた1構図12カットの撮影を続けて素材確保に努めた。
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二十年が経過して今やSNSメインのWEB時代。地域情報受発信のノウハウと展開能力の強い地域が間違いなく「勝ち組」となる。写真は、そのための重要な素材だったしこれからもそうであり続ける。こうした取組はバックヤードでの展開であり、結果として賑わいが地域に湧き出るのだ。それが今日「名勝指定」というカタチで現れ、また、国の重要文化財に指定されたことも合わせて地域の成果であり、写真で関わり続けた「私の成果」でもある。
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だが、良いことばかりでもない。
臥龍淵はその地形と河の形状から、増水した際に流れてくるゴミや流木を堰き止めてしまうのだ。こうなると写真にならないし、撮ったとしても使える画ではない。写真はそうした状況を記録して関係者の背中を押す「指摘」という役割も果たす。
写真に写る流木は人の手でそれもボランティアでできるようなレベルをはるかに超えている。この臥龍淵は流れも速く、うかいのコースでも最大の難所とされる場所で、水深も約16mといわれているからだ。それだけに国の力を借りなければ、とてもこの名勝景観を維持し続けることはできないと言うことを写真は物語っている。
頑張れ大洲市!
2022年5月9日
街づくり写真家 河野達郎
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