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金曜マガジン 粋亭の美学①

1.臥龍山荘と城甲家
No.002 粋亭の美学-①
 ここ数年、庭園整備が進み「庭園空間」が確保されたことによって庭木樹木が生き生きとしているように感じる。この臥龍山荘のことを最初に撮影し始めたのは2004年のえひめ町並み博の頃だったと記憶しているが、当時はこの庭園の素晴らしさを大洲市民の間でも知っている方々は少なく、もちろん県内外や旅行会社などで知られた施設ではなかった。

中露地

 現職時代の私の仕事は「城下町大洲の全国展開」が任務。えひめ町並み博の開催をきっかけとして、写真撮影も少しずつ機材をそろえて勉強し、本格的に挑戦していった。当時の大洲市はそれまで公的関係機関を中心とした動きだったが、2002年以降私の在籍していた街づくり会社は行政との共同出資で設立された「大洲市TMO」であるとは言え、民間側のスタンスで集客基盤整備を進めていくという全国での先進的事例でもあった。

 どえらいミッションを背負ったが、専門知識や経験があるわけでもなく、ただただ写真を撮影して情報素材として発信していくことだけが念頭にあった。その一番軸となったのが「臥龍山荘」だった。大洲まちの駅あさもやの裏手にある「城甲家」には当時ご健在だったご当主の「故城甲昭三氏=城甲乙吉の孫」と「郁子」ご夫妻が住まわれており、ことある度に自宅へ上がらせていただきいろんなお話を聴かせていただいたり「家宝」とも言える大切な史料等を拝見させていただいた。

外露地

 今回、このマガジンでは、当時から私がお聞きしたことなどを元に調べたこと等を併せて書き記し、皆様方に公表していくことで次代へと継承していただければ幸いと考える。
 現在、建築学などの専門家の皆さん方で色々と議論をされていると思うが、私が把握しているところでは表に出ていない重要な部分においてひょっとしたら誤解があるのではないかと推測している。それは、臥龍山荘が今日このよう形で残ってきたのは、城甲家、特に故城甲昭三氏がそれこそ命がけで大変な思いをして守り続けてきた結果であるということをここに書き記しておく。この事実を実際に聞かされたとき、正直驚いた。

つづく。
写真・文 街づくり写真家 河野達郎

中秋の名月(月光反射)

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