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猫を散歩に行かせようとした話

十三年も前のことで些か恐縮ではあるが、こないだも書いた通り、我が家に猫が参加したのである。

猫は七輪と名付けられたが五日で、ちっち、という名に変わり、それ以来我が家の真ん中辺りでふてぶてしく寝ている。

と、書いている今でさえ、熱を出して布団で寝ている妻と、ドラクエ10を起動しようとパソコンの前に座っている俺との、丁度真ん中辺りに位置する畳の上で毛繕いをしている。ふてぶてしい。

で、時間は十三年前から二年ほど進みますが、つまり今から十一年前のある日、妻が思いついたのである。

それは、ちっちが二歳になる誕生日の日であった。

ちなみにこの誕生日というのは我々が自分たちの目で「あ、生まれた。今お母さんから生まれてきました」と目視で確認したものではなく、ちっちを譲ってくれた、ダンボールに猫をたくさんを抱えた兄妹が後日、手紙で、ちなみに誕生日はこの日ですのでよろしく。と、教えてくれたものであり、あの兄妹が全くの嘘をついていたとしたら、我々は何ら関係のない日を「ちっちは今日おめでたい日だね。おめでとう」と祝ってることになるのだが、まあ、だとしたところで別に関係ないから、特に気にしない程度の日でもある。

で、そんな本当に特にめでたいとは思ってない普通のある日に、妻は、「ちっちに紐をつけて街をそぞろ歩きたいのだけど」と思いつきを提案をしてきたので吃驚した。

だって散歩といえば犬じゃないですか。もしくは子供、それか老人ですよ。

猫を散歩? 聞いたことない。

だいたい、猫は、糞をした時であれば、何がそんなに大事であるのか、バタバタバタと家中を走り回りますが、それ以外は概ね、寝ていますよ。「運動するのは、うんこを出した時にはしゃぐのだけで充分ですよ」とでも言いかねない雰囲気ではないか。

いや、うんこを出した後のあれは、はしゃいでいるのかどうかはわかりませんが、ともかく、猫って、運動をしない生き物代表みたいなとこありませんか。ナマケモノ以外でさ。

そんなことを俺は考えるのだが、それは言わない。何故なら、妻のその提案は、既に提案などではなく、彼女の中で決定事項になっており、「散歩に連れて行きたいんだけど、どう思う? やっぱ反対?」ではないのだ。

俺に話し出した時点で既に、「散歩に連れて行くから。貴方は行きたくないのであれば一人で留守番してるといいよ」という意見でフィックスされていたのです。

なので、「猫が散歩するなんてナンセンスと思うよ」とは言えずに、「いいね。散歩。とても楽しそう」と答え、妻が猫用のリードを買って帰るのをただ見ていた。

猫用のリード!

そんなのあるんだ。
ということは、世の中には猫を散歩に連れて行くという特殊な人種と、散歩を好む特殊な猫種がいるということなのか。

俺は大変驚いたけど、それは顔には出さずに「うん。猫用のリードね。なるほど」などと、何の発展性もない意見を口に出しながら、妻がちっちの体にリードを付けるのをただ見ていた。

ばたばたと、自分の体に変な紐が装着されるのを全身で嫌がる猫を見ながら、俺は段々と、猫の散歩、これってとっても楽しそうかも? と思い始めていた。

猫の進むままに道をついて歩く人間……。やがてその主従関係は逆転し、普段では気づかないような道に誘導されたり、知らなかったトンネルをくぐらされたり、猫たちだらけの集会に参加させられたり……?

猫の散歩、超楽しそうじゃん!

早く行こう早く行こう、と紐を付けるのに手間取る妻を急かす俺。

そして無事にちっちの体にリードをつけ終え、我々は意気揚々と、ほくほくの顔で玄関のドアを開け放したのです。広がる外の世界へ走り出せ! 七輪!

玄関から一歩も動こうとしない七輪。

全身を床に伏せ、カッチカチに固まってしまった。

何事が起こっているのだろうか?

俺と妻はおろおろしながら、猫の体を抱え上げ、そっと玄関外の廊下に置いてみる。

即座に家の中に戻ろうとする猫。

「散歩に行くんだよ」と話しかけながら、猫を何度も玄関から外に出す。

でも猫は、嫌だ嫌だと家の中に戻りたがる。

この時点で俺は、「この猫、小さい時から家の中だけで生きてきた家猫だから、外が怖いのだな」と気づいていたのだが、妻は、それを認めようとしない。

ええい、こうなったら強行手段だ、と、猫をマンションの廊下にだすと、戻れないようにドアを閉めてみた。

すると、猫は、驚きましたよ皆さん。全身を床にのたうちまわらせ、「とにかく四本の足のどれも私は床につけませんからね!」と、全身を力一杯ぐにゃぐにゃさせながら、わー! わー! と、大声で鳴き出したのだ。

その時の猫の様子を端的に表現するならなんでしょうね。
駄々。
いや、もっと激しかったな。
モッシュ?
フロアに誰もいないのに、皆いる! と思い込んでる人が全力でモッシュしたら、丁度あんな感じになるんじゃないかな。

単純な話、床にごちんごちん、と頭を打ち付けながらの悶絶を披露したわけです。

このままじゃ頭割れちゃうし、他の住人に猫飼ってるのばれちゃう! と、慌てて妻と二人でドアを開けて中に入れました。

ああ、驚いた。

思い返せば、ちっちが、今まで家の外に出る時って、カゴに入れられて動物病院に行くときくらいなのだった。

で、動物病院行ったらなんか針を刺されたりするし肛門に異物を挿入されるわけでしょう。
そりゃ嫌だよね。

ほら、だから俺は嫌がるんじゃないかな、と思っていたのだ。やっぱり外が怖かったんだよ。

今までは、カゴに入れられてたから、仕方なく全身を硬直させて耐えていたけれど、今回のようにリードをつけられただけの状態で自由にされたら、外なんか一歩も出たくなかったんだよこの子は。

と、思ったのでした。

その後、妻は二度と「猫を散歩させよう」などと言わず、買ったばかりのリードはゴミ箱へ直行しました。

ちっちにしてみればとんだ誕生日だったし、それ以降、我が家では特にちっちの誕生日を祝わなくなりました。

いいのだ。元々人に言われて知った誕生日だし。それよりも、我が家に初めてちっちが参加した日の方が大事ですよ。

まあ、それより十一年後に、まさか自分から進んで家を出て、二日も帰ってこない日が来るなんて、この時は思いもよらなかったけどね。

ふかー。

#猫

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