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前略、殺し屋カフェで働くことになりました。オーディオブック配信記念SS

前略、鍋を囲みました。

 二月ももう終わろうというのに、東京の小金井市を覆う雪はやむことはなかった。
「迅太――雪だわ」
 鉄火が、喫茶・エピタフの扉を閉めながら報告した。
「雪なのは知っているが……」
 俺、高柳迅太はカウンターキッチンの中からそう返す。
「ただの雪ではないのよ? 大雪よ、お、お、ゆ、き! 困ったわ。これでは帰れないのよ」
 鉄火は鼻からむふー、と息を吐きながらそう強調し、
「一面銀世界なのよ。もう一度確認してこようかしら」
 と、再びエピタフの扉を開けようとする。
「やめろ鉄火、さっきから何回行って帰ってしてやがる? お前がドア開けるたびに冷気が入り込んでくんだぜ。勘弁しろよ」
 テーブル席でつまらなそうにスマホをいじっていた春姫がぼやく。
 そう。春姫の言うとおり、鉄火は先ほどから何度も店の中と外を行ったり来たりして、雪が降りやまないことを報告しているのだ。
「だって! 今こうやって話している間にも、雪はやんでしまっているのかもしれないのよ? そうしたら、帰れるかもしれないじゃない?」
 鉄火は頬を膨らませてブンブンと両こぶしを縦に振る。
「あのー、ですからさっきから言っているようにですね……」
 エピタフの従業員である紙魚子が定位置となっている自席からおずおずと手を挙げる。
「予報では、この雪は朝方までやむことはない、と既に宣言されているのですが」
 紙魚子は自分のノートパソコンをくるりと回してモニターを鉄火に見せた。
「な、なによ。予報なんてあてにならないじゃないっ。そんなものよりも、私は自分の目を信じたいのよ!」
 鉄火は扉を開いて再び外へ出ていってしまった。
「……おい迅太。もう扉ロックしちまってもいいんじゃねえかな」
 春姫が髪の毛をガシガシと掻き上げる。
「やめとこう、春姫。またあのナックルでガンガン叩かれたら四日市さんになんて説明して良いかわからない」
 鉄火は以前、エピタフの鉄製の扉を思い切り殴りつけ、曲げてしまった前科があるのだ。
「ていうかー、やんだら帰れるとか言ってますが、本当はやんでほしくないんですよね、鉄火さん」
 紙魚子が困ったような笑顔をこちらに向けた。
「――だろうな。さっき俺も一度外の様子見に行ったら、あいつ、店の前に小さい雪だるまを二体作ってた」
 一応、その様子を遠くから写メで撮っておいたが。
「……ガキかよ」
 春姫の呆れた声が聞こえた。
「まあ、しかしながら、私たちがお店から帰れないのもまた事実っ」
紙魚子が手をパン、と叩く。
「いえ、あの、正確に言うと、無理して帰ろうと思えば帰れるのではありますが、単純にキツイ、ということでえ」
「――まあ、四日市だきゃあ、こんな大雪なのに無理して帰ったがな」
春姫が喉の奥で笑った。
「今頃遭難でもしてりゃいい気味だぜ。あたしはそんなのごめんだけどな」 そう。エピタフの店長である四日市は、何が何でも定時で帰宅する、という信念を持っており、こんな天気の日でも無理やり帰っていったのだ。
 ――もしお前らが店に泊まるなら泊っていっても良いが、アバラに許可は取れ。
 という伝言を残して。
 エピタフのオーナーであるアバラからは、すぐに許可は下りた。
 ――店の食材使って鍋でもするといい。私の奢りだ。
 その上、そんな心躍るような提案までしてくれた。
「はい。はい。はい。ですので、着々とお鍋の準備が進んでおりますよっ」
紙魚子が再び手をパン、と叩いて嬉しそうな声を出す。
「ていうか、鍋の準備をしているのは俺一人だけなのだが?」
 俺はキッチンカウンターの中から紙魚子を睨む。
 紙魚子は、舌をペロリと出して謎の踊りで誤魔化そうとした。
「紙魚子もせっかく料理を覚えて得意になってきたというのに、どうしてそれを活かそうとしないのかさっきからずっと疑問なんだが」
 俺は白菜を刻む手を止めずに紙魚子の方を見る。
「あのー、それは、あれですっ。高柳さんが鍋奉行っ! 私はその、皿奉行という役割を担当しているわけでして」
「皿奉行って何? 初めて聞いたわ」
「取り皿を素早く参加者に取り分ける奉行ですっ!」
「解任! 解任だ! そんな役職は!」
「ひどいっ!? うー。春姫さん。私、無職になってしまいましたぁ」
 紙魚子は春姫の隣にちょこんと座った。
「おー。そりゃいいな。働かずに食う鍋ほど美味いもんはねえぞ?」
 春姫は紙魚子の肩をバンバンと叩きながら豪快に笑った。
「――どうでもいいが、本当に誰も何も手伝う気がないんだな……」
 俺がコンニャクを飾り切りしながらため息をついたその時、
「ねえ! 雪の上に足跡で文字書いたの! 見て見て!」
 鉄火が楽しそうな声で駆け込んできたので、店内には俺一人だけが残されることになった。

 白菜。
 椎茸。
 コンニャク。
 人参。
 豆腐。
 長ネギ。
 鶏モモ肉。
 春菊。
 油揚げ。など。

 昆布からとった出汁に酒と塩と醤油で味付けをし、ひと煮立ち。
テーブル席の真ん中にカセットコンロを置いて、土鍋をセットしたら完成である。
「薬味は、七味、生姜、大根おろし、青ネギもある。あと、何故か新潟のかんずりという調味料が店にあったので、それも使っていいし、ポン酢とラー油も用意した――まあ、鍋なんて個人の自由な味付けで好きなだけ楽しめばいいんだが――」
 具材を入れてから俺がその辺りの説明をしている内に、鉄火と春姫と紙魚子は、あっという間に火が通ったものから順に食べつくしてしまった。
「――俺の分を残しておいてあげようとか、誰も考えなかったのか?」
 もぐもぐと頬を膨らませている三人と、肩を落としている俺の前には、既に出汁を残して空になってしまった土鍋があるだけだった。
「ほんなほほはいはよ、ふぎほほほへへって」
「はんはふぁいいもははひはひ、ひほえほ?」
「んぐっ! んぐぐぐ、んぐぐぐぐ! ぐぐっ!」
 鉄火と春姫と紙魚子がほぼ同時に何やら弁明めいたことを口にする。
「食い終わってから喋ろう? あと、紙魚子は完全に詰まってるよねそれ?」
「んんっ。ふー。そんなことないわよ、私たちは待機しているので、次は迅太が全部食べていいのよ?」
 鉄火は喉元をどんどんと叩いてからこちらを見る。
「いや、そんなターン制の鍋は勘弁願いたいのだが……」
 もっと鍋って、和気あいあいと楽しくつつくものではなかったか。
「あれ? ていうか――待ってくださいっ」
 紙魚子が、高い声を出した。
「どした紙魚子? やっぱり肉追加すっか?」
 春姫が空になった土鍋を見つめる。
 どうして誰も食材を自分で追加しようとしないんだ。
「ウノ、ドス、トレス、クアトロ……シンコ!」
 紙魚子はテーブルの上の取り皿を神妙に数えている。
「やだ……どうしてフランス語なの……」
 鉄火が呟く。
 スペイン語だけどな。
「かつて皿奉行だった私は気づいてしまいましたっ! ……取り皿が、人数分よりも多いということにっ!」
 紙魚子が震えた声を出す。
 確かに、テーブルの上には五枚の取り皿と箸が用意されている。
 それに対して、今テーブルを囲んでいる俺たちは――
 俺、鉄火、春姫、紙魚子――の、四人だ。
「おいおい……一人分、多いじゃねえか?」
 春姫の声音が緊張感を増した。
「わ、忘れていましたっ!!!」
 紙魚子は肩を大きく震わせた。
「エピタフには今日、もう一人、いたことをっ!!!!」
 そう叫んだ紙魚子の背後から――高速で移動する影が飛来する。
 影の主は、土鍋の上空をスムーズに旋回しながら降りてきた。
 それは、食材を抱えた、ドローンだった。
 ドローンは、土鍋の真上まで降下すると、ゆっくりとアームを拡げた。
 ドボン。
「熱っっっっっっつい!!!!!!!!」
 熱された出汁が、春姫の顔面に直撃。
 ドローンによって鍋に投下されたものは――生クリームでデコレーションされた、ホールケーキだった。
「「「「フヤラーーーーーーーーーー!!!!!!!」」」」
 俺たちは同時に叫ぶ。
 そう。「鍋の準備ができたら声をかける」と、『かいはつしつ』に籠っているフヤラに伝えていたのを、すっかり忘れていたのだ。
「フヤラ、ごめんなさい! 今からでも一緒に食べよう?」
 鉄火が『かいはつしつ』の方へ走っていく。
「熱い! 熱い! 熱いいいいい!」
 春姫が顔面を抑えたまま床でもんどりうっている。
「量産型ドローン……完成していたんですねっ!」
 紙魚子が次々とチョコやタバスコ、クレープなどを抱えたドローンが上空を規則正しく飛来しながら土鍋に近づくのを、シリアスな顔で見ている。
 俺は、次々と鍋に投入されていく当初の予定になかった具材たちを見つめながら、
「ここからでも美味い鍋にリカバーできる方法があるのではないか?」
 なんてことをぼんやりと考えていた。

おしまい。

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