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猫が家に来た時の話

もう十三年前の話だけど、当時まだ結婚してなかった妻と、二人で一つの家を借り同居をした際に「自転車を買ったので近所を探索しよう」という話になり、「家に一番近いコンビニはここなのだな」とか「病院は意外と近くに三軒もあるから安心安心」などと言いながらくるくる近所を廻っていた。

そして、少し足を伸ばせば大きな幹線道路に出ることが判明し、その道路沿いに大きめの古本屋さんがあった。(BOOKOFFみたいだけどBOOKOFFではない)

そこで立ち読みでもしたり面白そうな漫画があれば買ったりしようかと足を踏み入れたところ、入り口のすぐ左に少し開けたスペースがあった。
そこには正方形の棚が幾つも重なって並んでおり、そこには数々の小物や古本やオモチャや服など、が入っていた。

何これ、倉庫? と思って近づくと、勿論倉庫などではなく、その一角はレンタルスペースになっており、個人が月幾らかで正方形の棚の一つを借り、そこに自分の売りたいものを入れておくと、買いたい人が、お店のレジで品々を買うことができる、というものだった。

古本を買いに来た人の欲しいものがそんなところで見つかるとは到底思えないし、そもそも古本屋にスペース借りて古本売るとはいい度胸してるなこいつ、とも思えるし、古本屋も「本だけは売らないでください」とか言うべきじゃないのか、などと思いながら眺めていると、その中の一つに、ぬいぐるみや小物なんかと一緒に、一枚の小さい紙がペラリと貼ってあるのを発見。
その紙には、『子猫譲ります』の文字が。

売り物? と、最初は思ったけど、譲ります、と書いてあるからお金は取らないのだろう。
でもレンタルスペースに貼ってあるし、うーん、と悩みながら妻にそのことを相談してみるが、相談するときに「この家に子猫が新しく加わるとしたら」という言葉を、実際に口に出して言ってみると、もう「この家に子猫が新しく加わるべきだ」という気持ちになり、「この家に子猫が新しく加わっていない今の状況はおかしい」と一気に気持ちが高まり、飼おうかどうしようか相談するために話し始めた言葉の終わりが、「そういうわけで、今から電話しようと思う」だったので、妻としては相談されたというよりも、一方的に決心を告げられた、という心持ちだったであろう。

元々妻は学生の頃、下宿先で猫を飼っていたし(その猫はその後妻の実家へ引っ越した)、俺も犬は飼っていたが猫も好きだったし、特に大きな問題はなく(ひとつあるとすればその家がペット可ではなかったことくらい)、電話をかけ、子猫を譲ってもらいたいという旨を告げる。

すると話が早く、次の日に会える、という。
待ち合わせ場所は、レンタルスペースのある古本屋の駐車場になった。
駐車場が広かったし、紙が貼ってあった場所で出会うのはごく自然なことに思えた。

次の日、ホームセンターで持ち運びのできる猫用のケージを購入し、タオルケットを敷き詰め、待ち合わせ場所の古本屋へ妻と自転車を飛ばす。

するとそこに現れたのは、小学生の兄妹であった。
二人は中くらいのダンボールを抱えていた。

「猫はこれです。好きなの選んでください」

そう言って兄はダンボールを開けた。
するといるわいるわ。
小さいのが、なーなー、なーなー喚きながら空を見上げてこっちを見ている。

「知らない人間のようだがこいつは餌をくれるのだろうか」「くれるかわからんが鳴いておけば間違いあんめえ」などと浅ましい考えをしているのが手に取るようにわかった。
「其の手は食わない」と一段余裕の大人の態度を見せようとしたが、実際は「こんなに可愛い生き物見たことない。信じられない」という考えが脳内を占めており、顔は緩みっぱなしであった。
なーなー、なーなー。

紙には「黒猫もいるし白猫もいるし、なんと三毛もいます」と書いてあったことを思い出し、大人の態度で「それで君、三毛猫というのはどれかね?」と、尋ねたところ、「これです」と段ボールの奥底に無造作に手を突っ込み、ひょいと小さくて動く毛玉を取り出した。

和毛に包まれたそれは、段ボールの底で他の兄弟たちに踏まれに踏まれ、「どうせ私なんかが鳴いたって餌などもらえませんでしょう」といった態度で隅の方でぶるぶる震えていたのである。

更に目やにがバッチリで、目もまだ開いておらず、「なんて貧相で不細工な面だろう」と、一発で気に入ってしまったのである。

いわゆる、出会ってしまった、というやつである。

メスであることも気に入った。オスの猫はマーキングが迷惑、と聞いていたので「やだなあ」と思っていたからである。

妻は黒猫が良かったらしく、「こんな変な顔の猫は愛する自信がない」などとブーブー言っていたが、俺は兄妹に「この子を譲って下さい」と言って、その目やに毛玉をケージに詰め込み、兄妹に自分たちの連絡先を教え(親に言われたのだと思う)、他の黒猫とか白猫とかとも別れ、その足で動物病院へ行き、目やにを取ってもらったり予防接種なんかをしてもらったりして帰宅した。

ケージから出すと毛玉は、ぶるぶると震えながら「やっと見えるようになったと思ったら知ってる匂いが一つもないとこに連れて来られた」と言った表情でゆっくりと、電話機の置いてある台の下に潜り込み、それきり出て来なくなってしまった。

無理やりにでも引っ張り出して「今日から我々が君の飼い主である。早く言うことを聞くと美味しいものがもらえますよ」と教え込もうとも思ったが、妻が「その必要はない。どうせこの家の中しか行き場所はないのだから、その内に慣れて身を任せるようになる」と言うので、さすがは猫飼いの経験者の言うことは重みが違うなあ、と感心し、そのようにした。

と言ったって、二人してずーっと電話台の下を床に顔擦り付けて覗き込んでいるだけなので、猫にしてみたら「なんだこのプレッシャーは」と恐怖を感じたのであろう。
ぶるぶると震えながらよたよたと這い出てきて、少し歩き、また電話台の下へ潜り込んでいった。

ひょっとしてこのままこいつは電話台の下で暮らすことになるのでは? と不安がよぎる。成長して身体が大きくなったら電話台の下の板を外さなければならない? とも思うが、その心配は二日で解決した。
電話台の下に居続けることの無意味さに、猫は二日で気づいたのである。これが遅いのか早いのかはわからない。

猫は色々な名前候補の中から、妻が「七輪」と名付けた。
「なんか和風の名前が良いから」という理由で。
和風の名前ったって、物から取ることはないじゃないか。
「花子」とか「お菊」とかそういうことじゃないの、和風の名前って。

でも俺は「良いね、七輪。センスがあると思うよ」と、猫飼いの先輩を立たせることにした。
動物病院で名前を言う度に「えっ、なんですか?」と聞き返されることになるのだが。

そして命名、七輪は、五日くらいでもう「ちっち」と渾名で呼ばれるようになっていた。
七輪→しち→しっち→ちっち
という変化である。

今では動物病院でも「ちっちです」と答えるようになっている。いちいち聞き直されることが面倒くさいからだ。

後日、七輪を譲ってくれた兄妹から手紙が届き、そこには「私たちは、きなこ、と呼んでいたので、きなこという名前にするのがいいと思います」と書かれていたが、残念、もうこの子は七輪というか、ちっちになったんだよ。と、思うだけにして、特に返事は書かなかった。文通とか始まっても煩わしかったし。

そして、やがて七輪はすくすくと成長していき、その姿を見るに連れ、俺は気づいた事があった。

これ、三毛猫じゃないよね?

まあいいんだけど。
猫が年老いて色々と病気になったりしてきたので、死ぬ前に猫のことを書いておけば、死んだ後に書くよりも色んなことがスムーズにいけそうな気がしたので、なんか思い出したりしたら今後も時々書くことにします。

#猫

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