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ナイロン100℃『消失』 感想 ※ネタバレあり。

下北沢本多劇場に、ナイロン100℃『消失』を観に行ってきました。

何処かの国の未来の話。

戦争が終わり、海は油だらけになり、空には人工宇宙ステーションが打ち上げられている世界。

チャズとスタンの兄弟は、クリスマスパーティの飾り付けをしながら、七面鳥にかけるソースを作っている。

スタンにはスワンレイクさんという好きな女性がおり、チャズはスタンの恋愛が上手くいくように応援している。

ドーネンさんはチャズの古い知り合いで、兄弟の家に訪れては、スタンの身体を定期検診している闇医者で、家には息子がいる。

ネハムキンは雑誌の募集を見て、兄弟の家の二階を借りにやってきた。旦那は、偽物の月と呼ばれる宇宙ステーションにいる。

ジャックは、セントラル・サービスからやってきて、火の付かなくなったガスコンロを調べにやってきた。

戦争の影響なのか、烏は羽が抜け落ち、奇妙な声でぶつかりながら飛ぶ。
蛇口から出る水は苦く飲めたものじゃない。
更には、蛇口から出た水には人間の歯が混じっており……

SF作品でしたが、物語はチャズとスタンの住む家の中だけで進みます。

11年前に書かれた作品とは思えないほど、現代の社会にリンクしていて驚きました。

奇形の烏がぶつかりながら井戸の周りを飛ぶ、という描写や、空から降ってくる灰によってだんだんと身体に異変が生じてくるドーネンさんの姿に、どうしても原発事故のことを思い出すし、お金があって浮かれていた政府が、新たな躍進のために、と打ち上げたけど、戦争が始まって予算がなくなり、捨てられてしまうことになる宇宙ステーションだって、現在のところ迷走しかしてない東京オリンピックに重なってしまうし、ラスト、世界中で空爆が始まり、それまでの成果や結果が全てどうでも良いものになってしまう恐怖は、テロリストに狙われている現在の世界状況とほぼ同じだ。

でも、そんな状況だからこそ、人々は自分サイズの幸せを求めて頑張って生きるのだ。
スワンレイクとネハムキンの二人の女性は、なんとか前向きに幸せを手に入れようと努力している姿で描かれる。

だが、自分サイズの幸せというものが、幼少期に弟のスタンを誤って殺してしまったことにより家族離散、という傷を負って歪んでしまったチャズには、手に入ればそれを自らの手で消失させてしまわなければいけない、という悲惨なことになってしまっている。

チャズは、スタンの幸せを誰よりも願うが、スタンはロボットなのだ。

だから、スタンが女性と恋に落ちて幸せになり、結婚をして二人の住む家を出て行ってしまっては、いけないのである。

チャズはスタンが幸せに恋愛を成就させ、この家を出て行ってくれることを心の底から望みつつも、そうなることで一人残されてしまう自分を恐れてもいる。

だからチャズは、
「……よくわかんないですよ、俺だって……」
と呟くことしかできないのだ。

その後のシーンのチャズとスタンのやり取りは、小津安二郎の映画『晩春』『秋日和』の中の、原節子と笠智衆の父娘、原節子と司葉子の母娘の台詞から引用されている。(注釈※1)

どちらも、結婚をすることで変化を恐れる心情を丁寧に描いたシーンだ。

映画ではその後、登場人物たちはその変化を受け入れていくことになるのだが、チャズはそれが出来ない。

物語の中で、スタンは少なくとも三人の女性と恋愛が上手くいっていたようだ。
そして、四人目がスワンレイクなのだが、スタンの恋愛のほとんどは、チャズがコントロールしている。

チャズがプレゼントのセーターを編み、宇宙の話を伝え、向日葵を探し、絵葉書や、オルゴールを送る。
そしてスタンの優しさをアピールする。

スワンレイクも途中で、
「私のことを好きなのは誰?」
と、疑問に思ってしまう。
チャズは、自分の恋愛すらも、スタンに与えているのだ。

だから、スタンの恋愛が成就すると、自分のことのように嬉しくもあるのだ。
同時に、それはやはり自分ではないので、恐ろしく虚しくもある。

恋愛が成就するまでは必至だが、成就してしまってから先、つまり結婚、というものが、チャズにもスタンにもないのである。

両親がお互いに浮気をして、家をそれぞれ出て行ってしまって戻ってこないことに原因があるのかもしれない。
チャズは、子供一人だけ、この家に捨てられたのだ。

チャズは結婚を恐れていて、その先に行けずに何もできなくなってしまっているのではないだろうか。

だから、スタンのことを好きになってくれた女性の事を、殺すしかないのだ。

ラスト、配電盤をいじったことにより、家の天井を不気味に這うダクトから女性の死体が現れる。

水道水に混じっていた歯は、ダクトに遺棄された死体のものだった。

スタンはダクトからぶら下がる死体に、話しかける。
その後、二階から首を吊ってしまった兄にも、同じように話しかける。

スタンには、死の概念がないのだ。

恐らく、チャズが消してしまったのだろう。

それは、自分が殺してしまった弟から目を背けるような行為だ。
同時に、もう二度と弟を同じ目に会わせたくない、という優しさにも見える。

だけど、本当にスタンは記憶を消去されてたのだろうか。

ドーネンさんの使う機械はポンコツだし、ドーネンさんはどんどん頼りない人物になっているしで、本当はスタンは記憶が消えてないのではないか、という可能性も浮上する。
チャズを傷つけまいと、スタンもまた、チャズに嘘をついているのではないか。

スワンレイクは、チャズに
「わかってるのよスタンは」
と言って責める。

「スタンはスタンだもん。チャズさんじゃないもん!」
と言われたことにより、チャズはスワンレイクの首に手をかけるのだ。

いびつに歪んでしまった幸せを手に入れるため、チャズとスタンは、生きている。

ラスト、チャズとドーネンが死んだため、もう誰にも記憶を消去できなくなってしまったスタンが眺めるのは、かつての兄と友人と恋人の影だ。

だけどその影は、爆撃の熱でウネウネっとしてしまった、広場の銅像のようにも見えるのだ。

哀しくも可笑しい傑作でした。

注釈※1
ドーネンさんの息子の名前が、安二郎。

#演劇 #演劇レビュー

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