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腹が立って仕方のない話

この記事は読まなくて良いです。

と、そんなことを書くなら最初からアップするなボケ、と、俺自身よく思う(し、そういう時俺は実際「はい、わかりました」と呟いて本当に読まない)のだが、今回はこういう書き出しにて失礼します。

と、いうのもこの記事は全員に読んで欲しい! この思いを共感して欲しい! という目的で書かれたものではなく、ただ一人の個人のためだけに書かれたものであるからだ。

じゃあネットで公開せずに手紙で書けやボケ、と、皆さんは思うだろうし、俺も全くそう思うのだけれど、その個人は手紙に書いたところで満足せずに「それを全世界にアップして初めて意味があるのと思う」という主張なので仕方が無い、俺はこの記事を書いてアップするのです。

なので、その一人以外は、読まなくて良いです。別に読んでも良いけど。
というか、おそらくこの後何回か、皆さんはどう思いますか? みたいな投げかけをどうせするのですよ。俺の文章の癖からいうと。
読まなくて良いですって言ったくせに皆さんには意見求めるのかよ、と突っ込まれても面倒臭いし、かと言ってどう思いますか皆さん、とか、良いですか皆さん、みたいな投げかけを意識して削除するのも手間なので、読みたい人は何人か我慢して読んでいるのだな、という前提で始めさしてもらいます。

さて、ではその個人は誰かというと妻だ。

妻は、そもそも俺に「毎日ブログを書け」とこのnoteを始めさせた人物でもある。
その妻が、ここ何日か俺がnoteを更新していないことを攻めたのだ。

毎日ブログ更新してなかった俺にも悪いところはある。
あるけど、こちらに言い分もある。

まず、俺は始めたときから、noteを普通のブログみたいな使い方はしていない、ということ。

俺がここで言う普通のブログとは、

『12/7 頭痛いー。ので、朝飯は抜く。節約節約。

テレビでまたテロのニュース。しかしやっぱ思ったんだけどテロする方にも体力って必要だよなー。そう思うよ、俺は。

俺にはもうその元気はないもの。とほほ。』

みたいな、二日酔いの日の水糞みたいななんの引っ掛かりもない文章を垂れ流すことを言う。

頭痛いなら朝食抜かずに病院行った方が良いし、節約でもなんでもないし、テロに体力が必要かどうかの議論が世界中のどこで起こってんのか知らないし、人が人を虐殺した出来事を己の老化の問題に結びつけることの意味のなさと興味のなさ。

こういうものをブログとして更新するつもりは全く無かったので、noteではある程度、記事として成立するようなものを書いていこう、と決めた。

つまり、タイトルで内容を報せ、文章もその通りのことのみを書く、というもの。
更には、その通りのことのみを書く、という責任として、自分の書いた文章にある程度キチンと責任が持てるようにしよう、というもの。

なので、個人的なことにしろ海外の面白動画のことにしろ、映画や読書の感想文にしろ、その中で扱う情報はそれなりに裏付けをしてから書いているつもりだ。
簡単に言うと、本文を読んで気になった人がググったとしても、その検索結果と内容に違いはない、という具合に。

それが、俺にとってのnoteでの記事であり、そこまでしてようやく、例え内容は大して面白くも無かったとしても、世界に公開出来る、というものだったのだ。

それを毎日しよう、とするとやはり無理で、マガジンを五つ作成することにより、ある程度記事のパターンを作り、今日は時間的に厳しいから今回はこのマガジンで、というような工夫ができたのも、noteの機能のお陰だ。

さて、先週、石垣の祖母が亡くなった。

貞子おばさんというその人は、満でいうと98歳なのでまあ立派な大往生、とにもかくにも立派立派。苦しむこともなく眠るように亡くなって本当に最後まで偉い人であった、と、特別哀しいムードも漂わず、ただただ貞子おばさんは偉い、というような楽しい葬式が執り行われて、俺はそこに出向いて最後の挨拶と送り出しをしてきたのだ。

四日ほど沖縄に滞在して、もう一人になってしまった母をなんやかや手伝ったり寝ずの番を二日続けてしたりしながら、怪談のネタを考えたり、と八面六臂の活躍を見せてきたのだが、はっきり言って、葬儀場一日目、前夜式、出棺式、納骨、告別式、その後の後片付け……と、どれも盛り沢山だし貞子おばさんとの色んな思い出が一気に蘇るし大変面白くて素敵な写真も沢山撮影したしで、正直な話「こいつはnoteが超充実するぞ」と、余計なことを多分に考えながら、あれも書こうこれもメモしとこう、と頭の中に必死で書きつけていたのだ。
母親は俺が色んなことを書いてしまう人だと知っているので、書け書けと、むしろ色んな情報を与えてくれたりした。

でも、本当に色んなことが関わる話だし、着地点は葬儀が最後まで終わる時までわからないから、リアルタイムで更新するのはよそう、と決めたのだ。

単純にいきなり『今日から葬儀場で、今夜は亡くなった貞子おばさんと一緒に眠ります』みたいなブログを更新するのは流石にどうなの、と思った俺もいる。
俺自身は当事者なのでそんな風には思わないのだけど、「葬儀のことを面白おかしく語るなんて不謹慎じゃない?」と言い出してしまう人が出てくるかも知れない。
そんなことは全く不謹慎とも思わないし、面白おかしく語っていけないことなんてそもそもない、と考えているのだけど、なにもそこで今戦おうとも思わなかったし、「式が済むまではおばあさんに集中して、送り出してあげたら?」というような意見が出てもややこしくなるかな、と思ったのだ。

それに、葬儀には沖縄の風習とか、貞子おばさんはクリスチャンだったので、カソリックのしきたりとか、が色々組み込まれていたのだ。
リアルタイムで更新するとどうしてもその辺の情報が調べきれずに、

『なんかよくわかんないんだけど、満で98歳なのに葬式で神父さんは97歳ってずっと言ってたんだよねー、あれ間違ってるじゃん。やっぱ指摘しとけばよかった!』

みたいな事を絶対書いてしまう!
責任持つためにそれは避けたかったのだ。
因みに、普通葬儀では、年齢は満で言うのだが、キリスト教は数えで言うので、神父さんはなにも間違っていないのである。

だから色々とメモしときながら、いつどのタイミングで書こうかな、と練ってるうちに東京に戻り、その日が誕生日で、そのまま高円寺で知久寿焼さんのライブがあり、それを堪能してるうちに猫の調子がどんどん悪くなり、慌てて猫が弱ってる話を書いたらそのまま通い入院となり、猫の治療費が払えないと言うことで妻と喧嘩をし、脚本会議や収録やデス電所ミーティングなどでバタバタしつつもネタをストックしてるうちに今日まで来てしまったのだ。

もう一ついうと怪談も二つくらい出来ている。
でも葬式の後に怪談もどうでしょう、と、次の記事のタイミングとか構成とか考えてるうちにこうなってしまったのです。

そんな俺を捕まえてさっき妻はこう言ったのだ。
「もうnoteも更新しなくなったし」(注釈※2)

しなくなったんじゃない、してる途中なのだ。
アップしてないだけで。
と、その場では思わずカッとなって言ってしまったが、これ、締め切り催促されてる作家が「もう出来てるんですよ! 頭の中では! 頭の中ではこんなに完成してるのになんでこんなに必死で催促してくるんだこのバカ編集者は!」と目を白黒させてヒステリー起こすのと一緒ですね。
俺はそんなこと思ったことは一度もありませんよ。
よく聞く例として挙げただけですよ。

で、グダグダとそういった言い訳をしてると、あろうことか妻は、「なんでも思ったことをすぐ書く人になってほしい」(注釈※1)と言い出したのです。

良いですか皆さん。

俺にとってのそれは、先程書いたような、水糞のようなブログのことを指すわけです。
そして俺はそれを全力で避けてきたのです。
なのに妻は、それをしろという。

「じゃあそういう(水糞みたいなブログ書く)人と一緒になれば」と、今まで向こうからは何度も言われたけれどこちらからは一度も言ってこなかった言葉を言ってしまいました。

そんくらいショックだったのです。

四ヶ月くらい前にnoteを始めた時、「毎日更新するのは大変だし、滅多なこと書けないよ」と思っていて、そのことはこの記事にも書いたのだけれど、それを妻に話すと、「どうせ私とお母さんくらいしか見てないから気にするな」と言われてなるほどそれは確かにそうだ、と納得したのだけれど、いつの間にやらこんな雑記中心のnoteにも一週間で平均1000人もの方々が訪れてくれるようになったのはありがたいことだし、より一層、キチンと構成してからアップせねばなるまい、と考えていた矢先にこういうことを言われるのは、ひとえに俺に信頼がないからで、これまでなんとか毎日更新してきたものを数日開けると「もう投げだしやがった、ほらね、そもそも無理だと思ってたんだよ私には」と言われてしまい、こちらはなにも言い返せずにただひたすら毎日更新することしか売り物の無い己の才能とやらに血の涙を流すのです。

第一、妻にnoteの更新を投げだしたことを指摘されてカッとなって晩御飯も食べずに家を飛び出し、何処か喫茶店かファミレスで、この記事を書こう、と考えてたのだが財布を持って出てこなかったし、取りに戻るのも間抜けで気恥ずかしいため、今公園のベンチで震えながらこれを書いているのである。

すると、俺はやはりそれでも毎日更新してくれる人が良い、という妻の思いに目を向けず、毎日でなくても責任の取れる文章の方が良い、という俺の思いのみで書いていたのか、ということがわかる。

勿論、書くのは自分のためであるし書くことは楽しいし仕事で文章書く時の練習にもなって良いことづくめなのだけど、それでもやはり妻に「毎日書かないならもう二度と書かないも同じである」と言われたことが大変ショックというか図星で、図星だったからこそ俺は狼狽して頭に血が登り、言わなくて良いことを言ってしまったりしたのだ。

全く自分自身に腹が立って仕方がない。
情けなくもある。

なので、やはり悪いのは俺なのであった。

今後はなにがどうあれ書く。
なるたけリアルタイムに書いてみようと思う。構成を練ってタイミングを見計らって、などはどこぞのお偉いさんがやって始めて説得力の出るものであり、木っ端作家の俺がやった所でそれは書かない言い訳を探してることに他ならないのである。

思ったことをただ垂れ流すようなブログにはしないように気をつける。

あ、誤解されないよう書きますが、俺はなにも、思ったことをただ垂れ流すブログが全て悪いとは言ってないし、そもそもなにも悪くないです。

悪いのは、書かれたことに責任が持てないようなブログが書かれてアップされてしまうということだけで、更にそれは、文章を売って生きているような人なら尚更しないように気をつけよう、と思うに過ぎません。

とにかく俺は、今後もnoteは、始めることになったキッカケの妻の「竹内さんの文章が毎日読みたい」という思いに応えるためだけに更新するので、皆さんは「今日の記事は全然面白くないし愚痴と反省を読まされただけだ!」と怒らないようにしていただけたら幸いです。

だって始めに書いたじゃないですか、妻以外は読まなくて良いです、って。

(注釈※1 これを読んだ妻が言うには「〜すぐ書く人になって欲しい」ではなく「〜すぐ書かずにはおれない人が好き」とのことでしたので、ここにお詫びして訂正します。申し訳有りませんでした)

(注釈※2 妻から、「最近note更新していないし」と言ったに過ぎないと、指摘がありましたのでここにお詫びして訂正します。申し訳有りませんでした)

#雑記


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