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自然の中で呼吸する

朝4時30分
誰も起きてこない静かな時間。自分だけの贅沢な時間。まだ目覚めていない頭と身体。様子を見ながらゆっくりゆっくり身体を動かしていく。
身体との対話。心との対話。
とても大切にしている時間です。

勤めに行っているので、朝からどうしても仕事のことが頭をよぎる。自分らしくない事や、やりたくない事…仕事だからやらなくちゃいけない。多かれ少なかれそういう事はある。仕方がない、仕方がないのだけれど心はざわつきます。これは本当にどうしようもないですね。

…我ながらよくやってるものだ…
毎朝思います。

 我慢強く仕事に取り組める自分自身に感謝しつつ、もう少し余裕を持たせて生きさせてあげたいという気持ちもある。職場が山の上なんだけれど、自然の中で仕事をしているのかといえば、そんな事はまったくない。山の上だろうが平地だろうが場所など一切関係などなくて、『人間関係の狭間』で毎日仕事をしています。スッポリ間に挟まれて調整ばかりしている。

 自然と共に生き、それを活かしながら仕事をしている人を知っているのだけれど、その人は一体どんな感覚で生きているのだろう。その人のInstagramを見ていてそんなことを思った。ハーブや花、樹木、水、風や波…季節の移ろい、さまざまな手仕事…そんな自然の移ろいの中に身を置いて生きている人の感覚は、きっと今の僕にはない。人と人との間に挟まれて生きている今の僕には。でもきっと、どんな場所に身を置いているのか?が問題なのではなくて『関わり方』が全てなのだろうとも思っている。

自然の中で呼吸する。自然に合わせて。
自分が自然に同調していく。
自分が自然の一部となっていく。

 人と人との間にいて、それぞれの思いを聞いていると、『自分が自然に合わせる』などという感覚がどれほど難しい事なのかを思い知らされます。みんないくつになっても『自分』を曲げられないようで、理解しようとするより先に『なぜ!?』が出てきてしまう。
 自分を押し殺して『周りに合わせる』ということともまた違って、自分と誰かを併せていくような感覚…とでも言うのかな。周りに合わせながら、その習性や特性、摂理、道理…を上手く活用して併せていく。または、そっと静かに排除していく。流れに沿って流れに逆らわず、その流れを利用していく。自然に合わせて生きられるという人は、もしかしたらとんでもなく『したたか』なのかもしれない。


みんな、なかなか上手く『合わせる』ができない。
どうしたって人は自分と反りの合わない人とは反発しあってしまうから



自然の中で呼吸する。自然に合わせて。
飲み込まれるのではなく、
飲み込むのでもない。

とんでもなく微妙で繊細で…
流れを大きく変えられるタイミングが来るのをじっと待てる忍耐力と力強さも必要で…
『自然に合わる』ができたのなら、きっと人に対しても同じことができるようになると思う。

ゆっくりと
今朝も呼吸から始めよう。
今いるここも、山の上も、自然も人の間ででも、どう関わるのかが大事なのだから。

自然に呼吸しよう。
身体に合わせていこう。

頭より身体の方が『合わせ方』をよくわかってくれているから。

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