感情から離れてみたら…
感情って何だろう…?
…何なんだ…?
…感情は喜怒哀楽そのもの…?
人間って感情的な生き物だなって思う。感情の『浮き沈み』の大きい人はとても大変そうに見える。自分の感情に自分が振り回されている、そんな感じがする。
そう思うと、感情の浮き沈みが控えめなんだよな…僕は…
小さい頃から繊細で『ガラスのハート』の持ち主だったものだから(笑)、それをどうにかしたくて色々本を読んでみたり、精神の事が知りたくてお釈迦さまの事を調べてみたりしてるうちに少しづつ、自分の感情が落ち着いていったように思う。
落ち着きはしたけれど…感情が消える事はない。人間として命が終わるその時まで、ず~っと感情は湧き出てくるだろう。生きている限り何かを感じ続けるだろうから、その感じた事に自分の『情』が乗って出てくるはずだ。
人間関係に苦しんでいた頃、それはそれは感情的だった。10年前の自分はまだまだ感情こそが『自分自身』である思っていたなぁ。感情を満たすことが幸せへの唯一の道のように感じていたし、感情を満たす以外に感情の処理の仕方があるなんて思いもしていなかった。
結局のところ、感情が人の『幸・不幸』を左右しているように思えるので、感情的に生き続けていれば…感情が安定している時は『幸せ』で、感情が不安定な時は『不幸せ』になってしまう。感情次第の人生になってしまうね。
感情なんて、その時々でコロコロ変わってしまうからアップ・ダウンの激しい『ジェットコースター』みたいな…よく言えばスリリングな人生になる。
…ジェットコースター…
…若い頃はいいけどね…
年取って体力が落ちてきた時にそんな人生を乗り切れるのだろうか…
もっとこう…『遊園地』よりは、『温泉』の方がいい気がするなぁ~(笑)
じんわりと、しみじみと、美味しい物食べて、散歩して、温泉に入って…最高っすね!…幸せだ…みたいなの(笑)
これが割と、そのまま感情にも当てはまるように思えるのだ。
感情から一歩引いた所に自分の意識を置いておくか、
感情に自分の全てを乗せて置くか。
感情は死ぬまで湧き出てくるよ。それは間違いないだろう。癒しきれないような深い深い悲しみも感情だ。そこから出てくる怒りも…感情だし、大きな声で叫びたくなるような喜びも、心が踊るような楽しさも感情だ。感情は人生に彩りを添えてくれる。感動的で美しくて…華やかだ。
でも、その反面…とても癒せないような悲しみや苦しみもまた感情なんだよね。
美しいその反面で、とても辛くて重苦しい『おどろおどろしい』一面も持っている。恨みつらみという『感情』が他の人を傷つけて本当に殺してしまう事もあるのだから…
その感情に、自分の人生を全て乗せてしまえば…おそらく、ほとんどの人はあまり幸せではいられないだろう。
だって、生きる事は苦しみの方が多いから…
人は生きている限り『生老病死』の苦しみからは逃れられないのだから。
生きて年を重ねれば…どうしたって老いてくるし、病気にもなる。そして死ぬ。みな必ず死ぬ。そこからは逃れられない。それは悲しいし、苦しいよね。
ジェットコースターに乗り続けるのか…降りて温泉に行くか…?降り方さえ一度覚えてしまえば、自由に乗り降りできるけど…これはかなり高度な生き方だな~(笑)
10年前の僕は、ジェットコースターな人生しか無いのだと思い込んでいたけれど、本当は『温泉な人生』もあるんだよね。自分の性格上、間違いなく『温泉』の方が好みだし心地がいい。でも、ず~っとジェットコースターに乗り続けて生きてたんだよね。
他があるって知らなかったから…
それ以外…ジェットコースター以外は生きられないって信じてたから。
今、自分の意識は感情からは少し距離を置いて『感情と一緒に生きてる』わけだけど、本当にのんびり、しみじみとした人生になっている。
ただ、感情から少し引いた所に意識があるので、とても地味で『感動』もそんなに無い。感情の世界はカラフルでキラキラだとしたら、一歩引いた『こちらの世界』は本当にしみじみとしていて、色も単調、どこかわびさびな感じの…渋い所だよ…(笑)
感動して涙が溢れる…なんて事はほとんど無くなった。
ただ、そこなんだよね。
ただ目の前にある事を感情を挟まずに見れる
この一点がすごいんだよ。
癒しきれない悲しみも…
『癒す必要がなくなってしまう』可能性があるんだよ。
勝手に自分で癒されてしまう…そんな可能性がある。
過去の出来事としてその『悲しみ』を見る事ができて…
どこか少し引いた所から、感情的でとても悲しんでいる自分とは別の自分が『悲しんでいる自分』に寄り添い、一緒にその辛さを共有して一緒に悲しみ、慰めてくれる…あんなに癒される事はこれまで経験した事が無かった。『自分』が『自分』に共感してくれる…元々同じ人格なのだから…共感力は他の人がどんなに頑張ってみてもかなわないよね。
そんな共感力で包まれちゃったら…ねぇ…
自分の中でそんな事が起きてしまう…そんな可能性が『温泉』にはある。
真の癒しは外には無い…そう感じています。
ただ、感情から自分を離すのが難しいんだよね…やる方法はきっと色々あるのだと思う。
瞑想だったり、グラウンディングだったり…ただ、とても地味で時間も掛かるしすぐに結果として実感も持てない。それでも毎日繰り返し続けた…その先にしか無いのかもしれない。
ひたすら出てくる『自分の感情』をひたすら一つひとつ、手に取るように観ていく…
『あれは何だったんだろう…?』
自分の感情をそうやって時に思い出しながら、一つひとつ観ていく…そんな作業を繰り返すうちに、気付いたら少し離れた所から自分の感情を観れるようになるのかもしれない。
一つひとつ、自分の感情と向き合う…これは本当にしんどい作業だ。見たくない物も、認めたくない自分の姿や現実も、感情を通して観ていく事になるのだから。
出来れば隠しておきたかった事に自ら光をあてる事にもなる。目を背けたくなるような心の傷を直視する事にもなる。
…だから…
瞑想やグラウンディングが必要なのだ。身体の緊張、血の気が引いていく感覚、胸が締め付けられるような感覚…辛かった当時の記憶は身体も記憶している。頭だけじゃない。全身が記憶しているのだ。
だから、身体が当時を思い出して硬直したり、緊張を起こしたりした時に意図的に緩める事をしてあげないと、意識が身体に引っ張られて、身体と一緒に意識まで辛かった当時に戻ってしまう…それでは『その当時の感情』からは離れられない。当時の感情に呑み込まれてしまったら、『辛かった当時』をもう一度繰り返し体験するだけになってしまう。
瞑想もグラウンディングも上達すれば、きっと意図的に意識や身体の緊張を緩める事ができるようになれるだろう。身体の緊張に気が付いて…
『あ…この感覚…緩めなくちゃ…』
吐き気を覚えるような不快感の中で意識を保ちつつ、そんな風に出来るようになれたら上々だ。
でも、そこまで出来るようになるには…コツコツやるしかないんだね。
人間って大変な生き物だ…
ホント大変...
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