母校中央大学の学園祭の展示物を見て感じたこと

 みなさんお久ぶりです!かなり長い間、投稿していませんでしたね💦先日11月3日に母校である中央大学で学園祭が始まりましたが、その学園祭の初日に、私が数か月前まで所属していた政治系学術サークルの展示物を見に行ってきました。この記事では、私の社会運動の歴史(大層なものではない)とその政治系学術サークルの展示を見て感じたことをだらだらと書き綴ろうと思います。
 私は政治系学術サークルに4年間所属していました。諸事情によりそのサークル名は伏せておきますが、このサークルがやっていたことは主に次の2つのことです。1.通常の活動ですが、サークルの会室でメンバーが集まり、週ごとに決められた時事テーマ(改憲問題や教育問題、軍事費や沖縄基地問題など)のレジュメやテレビニュースを視聴し意見をぶつけ合うということですね。2.学期末の機関誌作成にむけてメンバーが各々関心テーマを設定し研究小論を論述するということです。私は4年間そのサークルの機関誌で自民党による改憲問題批判に関する小論を書くことを特に重視して活動してきました。  
 私の社会運動の原点はその政治系学術サークルにあります。私は中学生の時から政治・経済に関心があったので、大学のサークルもそれに関係したところに入ろうと思っていました。そして入学から2日目のこと、私はそのサークルに出会うことになりました。先輩がビラを配っていたところを偶然通りかかり、私はそのビラのタイトルにくぎ付けになって、そのサークルへ加入しました。これがそのサークルとの出会いでした。大学生活に慣れ始めた5月頃にこのサークルにのめりこむ出来事が起こります。それは、大学1年生のころ履修した社会思想という科目の履修です。社会思想では、前期では、アダム・スミス、カント、ヘーゲルを、後期では、ウェーバー、マルクス、フロイトを取り扱っていました。これらの思想家の中の前期で扱われたカントが、先ほど述べたサークルにのめりこむきっかけとなった思想家です。特にカントの啓蒙思想(精神の未成年状態からの脱出及び理性を公的に使用する自由)に惹かれました。この政治系学術サークルでの活動はカントの啓蒙の理念を具現化できるのではないか、とガキだった私は思っていました。なので、夏と学年末に行われる機関誌のための小論の執筆を1・2年生時、頑張りました。ところが、社会運動するにあたって2020年、つまり大学3年生のときに大きな転機が訪れました。新型コロナウイルスの感染拡大です。このウイルスの流行によって私たちの活動も大きく制限されました。また、当時その政治系学術サークルでの活動にも少なからず懐疑的な気持ちになっていました。つまり、カントの啓蒙の理念を具現化することができているかと疑問に思い、その疑念がどんどん強まりました。そして外出が大きく緩和された2021年の5月、初めてスタンディングに参加しました。スタンディングに参加した理由は、自身の書いた小論に反応がなかったので自身の声が他者に聴かれているか大いに疑問を感じていて、実際に街頭に立って意見を主張することのほうが他者に自分の声が聴かれるのではと思ったからです。2021年は文章を書く活動と実際に集会に行くこの2つを交互に繰り返していました。そして今はデモや集会への参加を重点的に行っています。
 ここからは、自分が所属していたサークルの展示を見て、感じたことを書きます。展示物の内容は主に次の3つで、ロシアのウクライナへの侵攻の批判、自民党による改憲案批判、そして貧困でした。自民党による改憲案批判は今年に入部した後輩が書いたそうです。私もかつては改憲案批判の小論を書いていたので、懐かしいと同時に嬉しいとも思いました。なぜなら、私のメインテーマであったことと、それを後輩が゛あたかも“引き継いでくれたかのように感じたからです。来年聴講生として復帰し、そのサークルにも再度復帰しようと思っていましたが、そのサークルに私はもう必要ないなとも思ったりなかったり…。ただ、懐かしさと寂しさなど様々な感情をその展示会によって引き起こされたのは間違いないです。

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