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きっとあなたのレクイエム

「明日もし君が壊れても」
作詞:坂井泉水
作曲:大野愛果
歌っている方々:WANDS(第3期)、ZARD、WANDS(第5期)
1998年6月10日にB-Gram RECORDSから発売(WANDS第3期)。
(上記の歌詞を引用する内容になります)

この楽曲は、ZARDのボーカルで有名な坂井泉水氏が作詞した。
親の影響でZARDの曲はよく耳にしており、ZARDバージョンのこの曲を聞いたこともあるし、WANDSバージョン(本家)も聞いたことある。
曲のイントロは正直なところ、WANDSの方が好きだ。あの旋律の、哀愁感が良い。そしてすぐにジャーンと盛り上がる。
ZARD版は静かに、ぼわぁ〜っと始まる感じがして静かな印象だ。同じ歌なのに結構印象は変わる。
残念ながら、YouTubeの両公式チャンネルでのMVの公開はないようなので、動画の引用はできない。ご自身の判断で聴き比べてほしい。

余談だが、WANDSのほうはテレビ朝日版のアニメ「遊⭐︎戯⭐︎王」(主人公の声優は緒方恵美さんだ)のエンディングテーマに採用されていた。
当時の連載では最終回まで行っていないのだが、今聴いてみると、なんだか最終回後の主人公の感情、別れを歌っているようなそんな気持ちになる曲だ。

さて、話を戻そう。

WANDS版とZARD版での違いは編曲にあるが、ZARD版の編曲の方が歌詞の解像度を高くしているように思える(楽曲の優劣をつけるものではない)。
そりゃ作詞した本人が歌うんだから当然だろうけど。

まず、この歌がどういうストーリーなのかということだ。

明日もし君が壊れても
ここから逃げ出さない
疲れた体を癒す
君の微笑みよ

「明日もし君が壊れても」作詞:坂井泉水

これが一番のサビだ。
この一文を見た時どんな情景が浮かぶだろう?
「君」というのはどんな人だろう?
「壊れても」というのはどういう意味だろう?
最初に聞いたとき、幼い自分はロボットが壊れるのかなと思った。
でもそれは適切じゃない。
きっと「死」という言葉を使うのは直球すぎるから「壊れる」という言葉でほんの少し遠回しにしたのだろう。

歌詞の出だしは

Call my name 誰かが呼ぶ声
暗闇の深い悲しみ

「明日もし君が壊れても」作詞:坂井泉水

となっていることからも、悲しみが窺える。
そしてラストのサビはこうなる。

明日もし君が壊れても
何も見えなくなっても
安らかな時の中で
僕らは歩き出す
君の幻よ

「明日もし君が壊れても」作詞:坂井泉水

つまり、この楽曲のストーリーは、
大切な人をたとえ亡くしても、生きている自分たちは前を向いて歩いていく
ということになるのだ。

それを踏まえた上でZARD版を聴いてみると、とても気になるメロディがあった。
2番のサビが終わった後の間奏だ。
そこでは聴き慣れたクラシックのフレーズが使われているのだ。
バッハ作「G線上のアリア」のフレーズだ。
ZARDの曲でクラシックが引用される曲が他にあったかと聞かれると、ほとんどのシングル楽曲を聴いた自分が知る限り、無い。
つまり、「G線上のアリア」を引用したのは意図があってのことになる。あえてそうしたのだ。
これは、きっと歌詞の中で亡くなったその人へのレクイエムとしての引用なのだと思う。

歌詞ではあくまで「明日もし君が壊れても(死んでしまっても)」という仮定の話であるかのようになっているが、実際の時系列がどうなっているかは聴き手に委ねられている部分でもあると思う。
自分は既に亡くなってしまったんだなと思い、いつも聴いている。
最後に「君の幻よ」という言葉もあるし、何より亡くなってしまった坂井泉水氏の歌声を聴いているからそう感じるのかもしれない。

「明日もし君が壊れても」
は、きっとあなたのレクイエムだ。
それを言いたかった。

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