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ガンジス川で想うこと

わたしの実の両親はとても健康で活動的だ。
長い間、家族の中で健康的な問題を一番抱えていたのは、わたし自身だった。

幾度となく体調不良を親に訴え、病院に行った。
その度に問題ないと帰されるか
処方されるのは腰痛のための痛み止めかコルセットで
どの医者も原因を見つけてくれないことや
根本解決にもならない痛み止めやコルセットを出してくることへの不満を、実の母親に漏らしていた。

そんな自分の態度や行為がどれほど実の親の心に重石をしていたか今やっと理解できる気がしている。

義理の母は結婚当初から
いくつかの健康上の問題があり(甲状腺機能障害、腰痛、消化不良、高血圧など)よく体調を崩していた。

当時はわたし自身も腰痛や不眠や消化不良で悩んでいたから、そこまで気にしていなかった。
(気にかける余裕がなかったというのが事実)

わたしがコロナ禍をきっかけに
骨格メソッドに出逢い、自分の身体の問題を
「誰かに見つけて、治してもらいたい」
のスタンスから
「自分で問題を理解し、自分でその解決のためにどうすればいいかを考える」
のスタンスへ変えていった3年の間に

義母の体調は少しずつ悪化していった。
わたしの体調はすっかり良くなる一方だったが
体調不良を訴える義母を見たり、考えたりするのは
軽くなる身体とは逆に心は重くなった。

以前は腰が痛くて長時間の移動が難しかったわたしも
腰痛がなくなって旅行に時間やお金を使いたいと思うことが増えた。

この3年間、夫と旅行の計画を何度も立てたが
義母の体調不良を理由に
それらが実現することはなかった。

そんなことが続いたので
わたしは、義母を心から愛おしいと思えたことがなかった気がする。

嫁いですぐの期間は、義母はわたしに対し服装や料理に厳しかったし
その期間が終わると次は
義母の体調不良がわたしの心を遠ざけていた。

体調不良で苦しんでいた期間が長かったわたしにとって、義母の体調不良に寄り添うことは
自分の数年前の姿をフラッシュバックさせることでもあり、正直心から寄り添うことはできなかった。

家族の体調不良はこんなにも心を重くするんだと感じていたこの3年間。

日本に帰り、実の両親の活発さを見ると気が休まった。
自分の身近な人は皆、こうであって欲しい、こうであるべきだと思っていた。
数年前まで、自分こそが家族の心の重しになっていたことさえ忘れて。

身近な人が健やかではないとき、
私たちの心はすっきりと晴れきることはない。

でもそんな健康上の不安を抱える家族がこの世を去った今、言えることは
亡くなった後の悲しみは、それに比べようもならないということだ。

わたしが、義母と過ごしたのは、たった5年と18日。
その期間だって半分くらい日本にいたから、
正確にいうと3年も一緒にいなかったと思う。
夫や義父に比べたら、屁みたいなものだ。

それなのに、義母が亡くなってからの苦しみや悲しみは
体調不良の義母と過ごした頃の心の重さとは比べ物にならない。

日常生活は戻っても
気がつくと上の空になってしまう自分。
最後のお別れができなかったことへの後悔。
(わたしがデリーに着いたのは火葬が終わってからだった)
厳しかった頃の義母への感情を手放せず、最後まで心を開くことができなかった後悔。
もっとできることがあったのでは?と今更自分を問い正したくなる虚しさ。

夫も義父も壮大な悲しみを持ちつつも、日常を取り戻しているように見える。
屁ぐらいしか義母と過ごしていない自分だけが
まだ悲しみから抜け出せずにいることも恥ずかしく思える。

そんな悲しい日々も、1週間前にガンジス川に母の遺骨を流してから
少しずつ落ち着いている。

インドは日本と同様に火葬をするけれど、墓はなく
川に遺骨を流す、いわゆる自然葬。
ヒンドゥー教の考えは輪廻転生、私たちは生まれ変わるものとされているから
遺骨が川に流された時から、義母は新しい世に向けて出発したことになる。

私たちの一生は、カルマと呼ばれ、過去の世から受け継いだ行いで決まっている。人生でどんなことが起こっても本人以外の力で誰かの一生を変えることはできない。

だからこそ
彼女の次の世が健康で恵まれたものになるようにお祈りしましょうと祭司は言っていた。

わたしの夫はとても信仰心が強く、そして精神的にも強い。
わたしは、夫のように信仰高く、精神強くはなれない。
だから、心の回復にも時間がかかっているのだと思う。

だけれど、
これをここまで読んでくれている誰かに伝えられることがあるとしたら

自分の身体は、他の何よりも優先して自分自身で大切にしましょうということ。
自分の人生は、結局自分でしか変えられないし、
身体も人生の一部ということを忘れないで欲しいということ。

わたしは、骨格構造を整えていくという選択肢を選び
今のところ自分が想像した以上の変化を実感しているのだけど
だからといって自分の人生が10年伸ばせるなんては思ってはいない。

わたしが身体を整える目的は
健やかに楽しく過ごせる日々を1日でも増やすことで
身近な人へ心穏やかな日々を還元することだ。

この2週間、落ち込みながらも
完全に心折れて、闇に突き落とされずに済んだのは
わたしの身体がきちんと機能していたからなのは間違いない。
(以前の体調不良のわたしだったら、完全に闇堕ちしていた)

食欲は落ちたけれど
それでも何も食べれないということはなく
横になって目を閉じれば眠れ、
朝にはちゃんとお通じがあり
身体がそこまで痛むことはなかった。
(※義母が亡くなった数日後に1時間の散歩をしたら、3年以上ぶりに腰が痛くなったから、少なからず精神的なダメージは身体に影響すると思う。セルフワークを数日して、しっかり休息を取った現在は問題なく長い散歩もできるようになっている)

結局、自分の人生とは自分の感情に左右されるし
感情は身体の状態に左右される。

だから、わたしはこれからも自分の身体を
他力もセルフケアも
自分の状態を更新できるもの全て活用して
快適な状態を更新していくことを辞めないし

義母との別れを経験した今
改めて自分の健やかさを選択し続ける生き方をしようと強く思う。

義母は69歳だった。
人生の長さは人それぞれだけど、
私たちに残された時間というのはそれほど長くないのかもしれない。

だからこそ、残された時間を
可能な限り健やかに楽しく生きていくことを
今この瞬間から自分自身に誓いたい。

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