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【新】『夢をかなえるゾウ』が、社会現象になった理由

私自身、まだ読んだことが

無いですがすごく読んでみたくなりました!

早速本屋に立ち寄ってみようと思います。

本と時代が「たまたま」一致した


──『夢をかなえるゾウ4』では、「避けられない“死”を意識することによって、よりよく生きる」ことがテーマになっています。まさに、今のコロナの状況を見越したような一冊ですね。

「このままでは幸せになれない」

──「成功本」として知られる『夢をかなえるゾウ』シリーズの中でも、今作ははっきりと「幸福論」に寄っている点が特徴的です。

『夢をかなえるゾウ』の1~3で僕が書いてきたのは、ある意味「資本主義的なピラミッドの上り方」です。
本がベストセラーになるにつれて、僕自身もその「ピラミッド」を上り続けてきたわけですが、4、5年くらい前から「このままでは幸せになれないな」という出来事が立て続けに起きて、すごく考えさせられたんですよ。

「レジェンド」になれなくてもいい


──その成果が、「今をどう生きるか」「夢をどう手放すか」といった一筋縄ではいかない問いに挑む『夢をかなえるゾウ4』だと。もともと、『夢ゾウ』シリーズとして出す予定はなかったんですよね?

これも資本主義的なピラミッドの話に通じるのですが、ぶっちゃけた話をすると『夢をかなえるゾウ』の続編を出しても、僕の地位は上がらないんですよ。
マンガ家の井上雄彦先生だって、『スラムダンク』の次に『バガボンド』があってこその巨匠。『スラムダンク』の続編だけを描いていたら、今ほどのレジェンドになっていなかったかもしれません。

ノウハウ本は、なぜ「サブい」のか


──『夢をかなえるゾウ』といえば、ガネーシャが関西弁でギャグを連発しながら、各巻の主人公に夢のかなえ方を指南していくのがお約束ですが、このスタイルはどのようにして生まれたのですか?

先ほどの話で言うと、大学に入ったばかりのころの僕は、女の子と話した経験がほぼなかったので、いわゆる「恋愛マニュアル本」に頼ろうとしたんです。

自己啓発本とか恋愛マニュアル本って、存在そのものが恥ずかしい。なのに自分はそれを必要としている。そんな矛盾した状況に陥ってしまったのです。
そのときに思ったのが、自己啓発本や恋愛マニュアル本の最大の欠点って「ツッコミがない」ことだなと。

企画は「アイデア勝負」ではない


──その課題意識から誕生したのが、『夢をかなえるゾウ』であり、いわゆる自己啓発書とはかなり雰囲気の違うものになっていますね。

よく、僕の作品を読んだ人から「うまくやったね」みたいに言われることがあるんです。
『夢をかなえるゾウ』が出たころは特に言われました。「自己啓発と笑いをうまく組み合わせたね」か「うまいこと仕組みつくったね」とか。
高名なクリエイターの方でも意外とこういうことをおっしゃるんですが、企画に対する姿勢が自分とは根本的に違うな、と感じます。
いい企画は、マグマのような葛藤の産物というか、悲鳴みたいなものなんです。

納得するまで「追及」をやめない


そうやって、神様にガチ問答を仕掛け続けているということは、僕に「幸せになる才能」がないということなんでしょう。

「これでいいや」とはなかなか思えなくて、納得するまでヤツ(神様)を問い詰めざるを得ない。
例えば、『夢をかなえるゾウ4』には「悟り」に関する話も出てきます。僕自身、一度悟りをインストールしてみなくてはと思って、断食をやったり、瞑想をやったり、一時期お寺で修行したこともあります。
でも、ずっと瞑想していると、あれっと思ってしまうんですよ。「オレがこうして座っている間に、地球は温室効果ガスでどんどんヤバくなってないか?」と。自分だけ悟って、救われて、それでいいのかと。

一部抜粋

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